第265話 ボレアの港町

 暗い運河の水面でも、流れがあるのはわかった。


 その流れに乗り、小舟が速さを増していく。


 ボレアの港町が、ぐんぐんと近づいてきた。


 遠征へといさみでていくさいには思わななかったが、帰りの運河からながめて気づいた。このボレアがいかに盛況であるか。


 陸からは、木板や丸太でできた桟橋がいくつものびている。そこに小さな舟がところせましと、つながれていた。


 さらに運河にそって大きな石の壁。岸壁だ。それがふたつもあり、大きな船が係留されていた。


 岸壁のむこうには、ひしめきあうように小屋や建物がある。その家々に明るい灯火はついていた。つまり、ここまで敵はきていない。


 この帰ってくる小舟が見えたからか、夜の桟橋には民兵らしき男たちが集まっていた。


 舟がつき、木のくいと板でできた桟橋におりる。


 目のまえに大きな男がいた。熊人のケルバハンだ。


「ケルバハン殿、レヴェノアは健在か」

「アトボロス王!」


 自分の言葉を無視して、熊人は小舟に乗りこんだ。うしろに婦人をひとりつれている。


 ケルバハンは、寝かせていたアトに近づく。そうだ、ふたりはよく知った仲だった。


「ケルバハン殿、王は怪我けがをしているわけではない。疲労なのだ」


 こちらの声は耳に入ってないようだった。熊人のボレア総督は、つれていた婦人となにか話した。


 その婦人が、アトのからだに手を添える。癒やし手ケール・ファーベか。


水の精霊よ命を与えたまえアルケー・プシュケー・ソーマ


 犬人族なら、だれもが知っている「水の祈り」が聞こえた。


 アトが目をさます。岸壁から見守っていたボレアの民兵たちが、安堵あんどのため息をつくのが聞こえた。


 目をさました本人は、ここがどこかわからないようだった。だが、ケルバハンの顔を見て、まわりの景色を確認すると、大きく息をついた。ボレアの港だとわかったようだ。


「ケルバハンさん、レヴェノアは?」


 アトがたずねた。


「王都より早馬がきたのが三日前。グールがくるので臨戦待機と。そのあと、続報は届いておらん」


 ケルバハンの返答が聞こえ、目のまえが暗くなる錯覚に襲われた。


 すでに三日。ここまで、限界を超えて駆けてきた。敵の攻城よりまえに帰れるのではないか。そんな都合のよいことを心のどこかで考えていた。


 アトは、すこしのあいだ考えていたようだが、顔をあげ、ケルバハンを見つめた。


「馬を三頭、貸してください」

「王よ、自分でゆくのか!」

「もちろんです」

「ならば、このケルバハンと、ボレアの守兵も!」


 アトは答えず、桟橋にあがっていたラティオを見た。王からの視線を受けた軍師は、ゆっくりうなずき、口をひらいた。


「ここに敵が襲ってくるのか、それすらわからねえ。いまは守りを固めてくれ」

「しかし、三人ではなにも!」

「それは逆だ。敵らしき集団がいても、三人なら夜の闇にまぎれることができる」


 なるほど、百や二百の集団で動けば、すぐに見つかってしまう。ラティオは闇にまぎれ、とにかくレヴェノアの街をみずからの目で確かめてみる考えか。


 桟橋から陸にあがる。


「アトボロス王、われらも戦います!」


 アトのまわりを囲むボレアの守兵たちからも、同行を願いでる声が聞こえた。


「だめだ、ここの守りも重要だぜ。もはやレヴェノア第二の街だからな。大勢の住民がいる。まんがいちのときは、対岸に逃げてくれ」


 ラティオが守兵たちをきふせていた。


 それでもしぶる顔をしたケルバハンだったが、軍師であるラティオのほうが上の役職となる。それ以上の反対はしなかった。


 ケルバハン総督は、ひかえていた文官たちに命令をだした。しばらく待っていると、三頭の馬をひきつれて帰ってくる。


「アトボロス、無理はするなよ」


 馬を差しだし、ついでに水袋や食料をわたしながら、ケルバハンは心配そうに言った。言われたアトも、真剣にうなずいている。


 このケルバハン総督も、ただ王だから心配しているのではない。アトと個人のつながりが深い。


 やはり、アトと国を去ろうとしたのは、まちがいだったようだ。アトがいてこそのレヴェノアか。


「アトボロス王をたのむぞ」


 自分にむけて、ケルバハンが言った。さやに入った剣も差しだしてくる。自分が剣を帯同していないことに気づいたか。


 王をたのむ、その言葉、今日でいくどとなく言われた。


「命にかえても」


 剣を受けとり、言葉を返す。聞いたケルバハンも強くうなずいた。


 馬に乗り、出発する。


 アトボロス王、ラティオ軍師、そしてこのグラヌス。たった三人だが、王都レヴェノアをめざし、ボレアの港町をあとにした。


 夜道ではあるが勝手知ったる道、レヴェノアへの街道を駆ける。


 どこからレヴェノアの街を見るか。三人が思いついていたのは、おなじだった。兵士たちの眠る山、ヒュプヌーン山だ。


 数刻、馬を走らせてヒュプヌーン山のふもとに着いた。馬はふもとの木につなぎ、三人で墓地のある山の中腹まで歩く。


 山の斜面だ。疲れた肉体では歩くだけでも息が切れる。それでも三人は、しだいに駆け足になった。われらの街は、どうなっているのか。


 左右からのびる木々の葉におおわれた暗い山道だった。そこをぬける。視界がひらけた。


「レヴェノアは無事だ!」


 アトがさけんだ。自分も遠くに目を細める。レヴェノアの街が見えた。等間隔にならんだように見える明かりは、城壁の上にあるかがりにちがいない。


 だがすぐに、大きな火柱があがった。


「敵の攻撃か!」

「いや、グラヌス。おそらく火車ひぐるまだ」


 ラティオの言葉に納得した。夜なので、はっきりとは見えないが、ヒュプヌーン山から見えるのは東門のはず。ならば、そこに火車を置いたか。敵が門に押しよせたとき、火車に火をつければ防御になる。


 レヴェノアが健在なのはわかった。しかし、交戦中だ。これから、どうするか。


 ラティオは、王であるアトが城外に姿を見せれば追ってくると言った。たしかに、それで敵の戦力は分断できる。


 だが、ここまでの道中で痛いほどにわかったことがある。やはり、レヴェノアという国は、アトなのだ。


 思えばそれは、レヴェノア軍を作った最初からそうだった。この小さな王は、味方の士気をあげ、人々に安心をあたえるのだ。


「自分が敵を引きつける。そのすきにアトを場内へ入れることは、かなうまいか」


 軍師ラティオにたずねた。聡明なる猿人は、あごに手をやった。


「そいつは、かなり危険だぜ」

「ラティオよ、ここまでで感じていないか。われら国を捨ててもよいと思ったが、大きな、あやまりだった。レヴェノアという国、そして街には、アトボロスという王が必要だと」


 軍師は片眉をあげた。


「心身の雄、ケルバハンみてえなこと言いやがる。当の本人はわかっちゃいねえだろうがな」


 ラティオの言葉にアトを見ると、たしかに、われらが王の顔はに落ちていない。ラティオが言葉をつづけた。


「敵兵だけならいいが、問題はグールだ。足が馬より速いやつもいるだろう。人の匂いにも敏感だ。それをかいくぐり、城壁のなかに入るには・・・・・・」


 そうか、皮肉なことに高い城壁であるからこそ、外から敵は入れぬのだ。だが入れないのは味方もおなじ。


 門を開けようとしても、跳ねあげ橋がある。待っているあいだに見つかってしまうか。


「ヒューがいたらな・・・・・・」


 ラティオのつぶやきはもっともで、ヒューならば場内と密に連絡が取れる。または、アトを抱えて城壁を飛び越えることができるやも。


「街に入ることはできる」


 ふいにアトが口をひらいた。


「ワムじいさんだ」


 まったく聞いたことのない名に、自分もラティオも首をひねった。


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