第264話 愚兄の意地

 いくどか倒れ、そのたびに起きあがった。


 倒れたと思い意識がもどっても、歩いていることもあった。


 歩きつづけ、ひさしく見ていないものが、地面にあった。倒れた近衛兵だ。


 いや、兵士ではない。


「ハドス、近衛副長」


 もとはペレイアの町長をしていた犬人。自分より歳は十ほど大きい。


 そうか、多くの倒れた近衛兵を見てきたが、ハドス殿の姿はなかった。


 ならば、思いあたることがある。道のさきを見た。遠くに、もうひとり倒れている人影。


 歩いた。自分の歩く速度が遅い。ゆっくり、ゆっくりと、倒れた人影に近づいていく。


 その人影が、黒ずくめの服を着ているのが見えてきた。


 さらに歩き、その倒れた黒ずくめの男を足もとに見た。


「さすが、五英傑、ゴオ近衛隊長」


 最後まで王についていったのは、やはりこの男だったか。心から感服する。そして、道のさきをながめた。


「さすが、わが友、アトボロス」


 感嘆の声をもらした。五英傑が倒れた道のさき、アトのうしろ姿は、まだ見えない。


 おどろきは、なかった。いちどでも戦場にでた者ならわかる。生死を賭けた最後にものを言うのは、気力、それしかない。


 しばらく、呼吸をすることだけに集中し、それからまた歩きだした。


 どれほど歩いただろうか。西の空が赤くなり始めたころ、道のさきに倒れている人影があった。夕日を受け、白い羽織りが赤く照らされているのが見えた。


 たったひとり、少年は、ここまできたか。


 いや、少年でもない。今年で二十歳か。それでも、たったひとりで、ここまできた。


 さらに歩きつづけ、やっと、わが友のそばまできた。追いついた。


「ここからさきは、このグラヌスが」


 ひとこと発し、しゃがみこんだ。アトの腕をつかみ、わきの下に頭を入れる。


 アトの体重は軽い。軽いはずが、持ちあがらなかった。


「このグラヌスが!」


 さけんだ。足がふるえる。だが、持ちあげられるはずだ。持ちあげてみせる。


「おまえら、化物ばけものだな」


 声がして、急にアトが軽くなった。


 自分が首にかけているのは、アトの右わきだった。左を見る。いるはずのない顔がそこにあった。


「まぼろしか」

「それだったら、飛んでレヴェノアに帰るぜ」


 ラティオだった。その顔に余裕はなく、疲労と土ぼこりにまみれていた。


「六頭、こっちは六頭の馬を買ってきた。それを使いきっても、影も形も見えやしねえ。正直、あせりにあせったぜ」


 そうだ、近くの村で馬を買えないかと言っていた。


 アトが、なにかをつぶやいた。足を動かそうとする。


「こんなになっても、まだ帰る気らしいぜ」


 ラティオが、ぜいぜいと息をきらしながら笑った。思わず、自分も笑いがでる。


「兄が、不甲斐ふがいないからであろう」

「まったくだ。ふたりもいるのにな」


 ラティオと力を合わせ、アトを持ちあげた。


 気づけば、もう太陽は地平線に沈み、あたりは暗くなっている。


 暗くなると、西の方角が明るいことに気づいた。


「このあたりは、カルラ運河に近いはずだ」


 ラティオが言った。そうか、南下する街道は一本道だったが、ゆるやかに曲がっていたのをおぼえている。


「夜の漁をする漁師かもしれねえ。いってみるか?」

「ゆこう。敵であっても、このグラヌス、素手で戦える」

「おれのをやる。持ってはいるが、おれに剣の腕はねえ」


 そんなこともない。そう言い返したかったが、軽口をたたく余裕はなかった。


 ラティオとふたり、アトを両わきから抱え、カルラ運河にむけて歩いた。


 ふたりとも体力の限界は超えているはず。それでも明かりが見えるということで、あらたな力がわいたように感じた。


 歩みは遅いが、それでも半刻ほど歩くと、カルラ運河の岸辺に着いた。


「漁じゃねえ」


 かついだアトをはさみ、左にいるラティオが言った。


 カルラ運河にいたのは、小舟だった。それも、いくつもの小舟が、カルラ運河にある。


 距離を離しているが、等間隔でならんでいるのだ。点々と小舟の明かりが遠くまで見えた。


「敵か、味方か」


 ラティオはそう言うが、どちらでもよかった。敵であれば、あの小舟をうばってみせる。


「わが名はグラヌス。レヴェノア国の総隊長である!」


 正面の小舟に乗る者が、なにか動いた気がした。こちらを見ているのか。


「ケルバハン様の命令により、待機しておりました。いまそちらへ!」


 思わずラティオと顔をあわせた。


くま野郎だと?」


 ラティオが、おどろきの声をあげた。自分もおどろいている。ケルバハンとは、ボレアの港で総督をする熊人ゆうじんの名だ。


 明かりは動きだし、こちらへと近づいてくる。


 小舟をこいでいたのは猿人で、漁師のようにも見えるが、革の胸当てなど軽装備もつけていた。


「どうぞこちらへ!」


 岸に着いた小舟から、猿人の男がさけんだ。


 小舟は、ひとりであやつっていたようだ。ひとりなら、まんがいち敵であっても川に落としてしまえばよい。ラティオとふたり力をあわせ、アトをかついで乗せた。


「ア、アトボロス王、ご、ごぶじですか!」


 絶句した男の口調だった。これなら、われらレヴェノアのたみにちがいない。


 猿人の男は小舟をだすと、ぎながら自身のことを話した。ボレアの港で漁師をしている男だそうだが、民兵でもあるらしい。


「多数の小舟を配置させているのは、ケルバハンの策か?」


 ラティオの問いに、民兵の猿人はうなずいた。


「レヴェノア軍の兵士を見つけたら、すぐにつれて帰ってこいと」


 それを聞いて、自分は感心した。からだの大きな熊人だったが、やはりボンフェラート宰相が総督を命じるだけある。頭の切れる男なのだ。


「王都レヴェノアは、健在けんざいか?」


 今度は自分が聞いてみたが、わからないと男は言う。


「おい、グラヌス」


 ラティオに呼ばれ、小舟がすすむさきを見た。


 こうこうとした街の明かり。ボレアの港にちがいなかった。

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