第262話 遠い家路
「グラヌス総隊長!」
うしろから大声で呼んだ犬人がいる。もとはアッシリアで熟練の騎馬兵、ネトベルフ第二騎馬隊長だ。ふたりとも、全力で馬を駆けさせている。
「私の換え馬を、わたしておきます!」
よこに追いついてきたネトベルフから、換え馬の
「ここまでか!」
ネトベルフがさけんだ。併走していたネトベルフの馬が、馬体をかたむけて曲がっていく。馬が限界にきたのだ。
自分の乗る馬も、気づけば右へ左へと蛇行していた。倒れる
換え馬の綱を引き、すぐよこを走らせる。走らせたまま手をのばし、換え馬のたてがみをつかんだ。強引に乗りうつる。
さきほどまで乗っていた馬の手綱をはなすと、すぐに馬は駆けるのをやめた。うしろへ遠くなっていく馬を見ていたが、馬は倒れるように地面に横たわった。
これで最後の一頭になった。どこまでもつか。
この状況は、まったく想定していなかった。
昨日の夕刻、アトと近衛隊はレヴェノアへむけて走りだした。それから一刻ほど遅れて、千騎の騎馬兵とともに出発した。
一刻ほどしか、遅れていないはずだ。それが夜通し走っても、アトのうしろ姿どころか、近衛隊の百騎も見えなかった。
このままでは、追いかける意味がない。馬をいたわりながら走るのをやめ、全力で駆けることにした。脱落する者は、それぞれがレヴェノアを目指せばよい。
半数ほどが、王のもとへ着けばよい。そう考えていたが甘かった。夜は明け、太陽はすでに、昼のてっぺんをまわっている。それでも追いつけなかった。
街道のさき、大きな岩がころがっているのが見えた。馬の速度を落とす。
岩をよけるために、街道わきに生える雑草のしげみをぬけた。街道をはずれると、ごろごろと大小の石がある荒れ地になる。しんちょうに馬をすすめた。
ここまで、南下する街道は一本道だった。ほかの道はない。馬を走らせるなら、踏み固められた街道しか無理なはず。
岩をよけて、また街道にもどる。手綱をたたいた。
こちらには二頭の換え馬がいたのだ。それでも、これほどまでに追いつけないのか。
われらが王は、レヴェノア軍のなかで、もっとも体重が軽い。そして王という地位のため、いつも馬に乗る状況になる。
気づけば、アトは長駆けの名手となっていたか。
それに近衛隊だ。まだひとりも見ていない。ならば、アトに遅れずついている。
思えば、近衛隊の隊長はゴオであり、副隊長はハドスだ。あのふたりが指揮する隊。生ぬるい隊であるはずがない。
おそらく、戦いの訓練などはしていない。近衛隊が、サナトス荒原で調練をしている姿など見ないからだ。
だが、独自に
戦いの訓練をする通常の兵士と、アトボロス王についていくだけの訓練をする近衛兵。その毎日の積みかさねが、この差か。
「はっ!」
さらに手綱をたたき、尻を浮かせた。馬への負担を軽くするためだ。
馬が走る速度をあげた。街道わきにしげる雑草の景色が、飛ぶようにうしろへ流れていく。
王と近衛隊は、長駆けの名手。それはわかった。だが、このグラヌス、追いつかねばならない。
しばらく駆けていると、街道のさきになにかある。
近づいていくとわかった。倒れた馬だ。その馬を踏まないように大きくよけていく。
そうか、馬か。アトも近衛隊も、専用の馬をつかっていた。その馬は自分たちで選別している。長い月日をかけて、質のよい馬を見つけているはずだ。
長駆けの名手であり、馬の質もよい。永遠に追いつけないのではという予想がわいてくる。
「はっ!」
その予想を打ち消すように、手綱をたたいた。
さらに走っていると、荒野のなかを馬だけが歩いているのを見つけた。
あれも近衛隊の馬だ。ここまで駆けさせ、限界になった馬を乗り捨てたにちがいない。
しかし馬の姿はあれど、近衛隊の姿を見ない。ということは、馬を捨てた近衛兵は、徒歩で王のあとを追っているのか。
「なにっ!」
ふいに空中へ投げだされた。背中を地面で打つ。
背中を強打したことで息が止まり、しばらく動けなかった。冬の空を見つめる。
しまった。おのれの馬が限界だったか。あせるあまり無我夢中で馬を駆けさせていた。
しばらくすると、衝撃と痛みは落ちついた。上半身を起こし、ふり返る。自分が乗っていた馬は、道の上に倒れていた。
足を踏んばり立ちあがる。座っている余裕などないのだ。
腰に差していた剣をぬく。
革の胸当てなど、軽装備もつけていたので、それもはずす。
ひとつ大きく息を吸い、そして大きく吐いた。それから駆けだす。
馬がだめになれば、自分の足で走ればよい。
荒野のなかにある一本道だった。そのさきの地平線を見すえ、走った。
すこし走ると、息があがった。いつもより息があがるのが早い。疲労か。夜通し馬を駆けさせ、からだのあちらこちらに痛みもある。
速度を落とし、歩きながら息をととのえた。
ここはまだウブラ領。自分たちの家は、まだまだ遠かった。それでも、帰らねばならない。レヴェノアの街は、自分たちの家だ。
アトは王であり、自分は総隊長。一刻も早く、レヴェノアの街に帰らねば。
「このグラヌス、かならず王とともに帰ってみせる」
言葉にだし、おのれに誓った。馬ではなく自分の足で駆けだす。
地平線までつづく道を、また走り始めた。
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