第261話 レヴェノアへの帰路

 家に帰ろう。


 それはみなの総意となった。


 ウブラ国の執政官であるバルドラ・クーチハバラからは、今後も話しあいたいという言葉をもらった。


 それはありがたいが、これ以上の話が必要なのかとも思う。こちら側は、同盟を望むと表明している。あとはウブラ国がどうでるかだ。


 会談が終われば、ウブラ領に長居する理由はなにもない。レヴェノア軍の一万は帰路についた。


 レヴェノアの街に住み始め、まだ四年ほど。それでも帰るとなれば、胸がはずむのを感じた。やはりレヴェノアがわれらの家か。


 心なしか兵士たちも、帰りのほうが速く歩くように見えた。


 南へ南へと、一万の兵は順調に足をすすめる。


 ところが、西の空が赤くなり始めたころだった。鳥人の女性から止まれとの進言が入る。自分としては止まりたくなかった。野営の準備をするには、ずいぶんと早い。


「まだ陽が落ちるまで、いくぶんかある。できるかぎり南下しておいたほうがよいと思うが」


 ヒューデール軍参謀に反論したが、いままでにないほど深刻な顔をしているのに気づいた。


「ヒューよ、どうした?」

「ヤニスが、こちらにむかっている。待っていてくれとの伝言を、諜知隊の早馬がたずさえてきた」


 ヒューは西の方角、アッシリア国のあるほうに顔をむけ、遠くの空に目を細めた。


「ヤニスが王への報告でじかにくる。これは初めてだ。悪い知らせでなければよいが」


 こちらにくるというのなら、たしかに止まって待つしかない。兵士たちには待機とだけ伝えた。休ませてしまうと、また行軍を始めるのに手間がかかる。


 しかし、待つというのは長く感じた。日は刻々と地平線に近づいていく。


 まだなのかと、ヒューに問いただそうと思い始めたころ、ふいに待機をしていた兵士たちが割れた。


 人垣が割れたあいだを、ひとりの男が歩いてくる。


 その近づいてくるものが、なぜか人ではない異様なものに感じた。


 歩いてくるのは諜知隊の副隊長。初老と呼んでいい歳のヤニス殿だ。いつものように足取りはしっかりとしている。だが、その顔からは生気を感じなかった。


 からだのあちこちに、血のにじんだ包帯を巻いている。戦闘があったのか!


 ヤニスは、まっすぐに王のもとへと歩いた。


「ご報告がございます」


 王のまえで足を止めたヤニスは、淡々とした口調で言った。王は心配そうな顔で、ヤニスを見つめている。


「顔色が悪いように見えます。だいじょうぶですか」

「座ってよろしいか、王よ」

「もちろんです」


 王に許可を得てから、ヤニスは土の上にあぐらをくんで座った。


「アッシリア側の諜知隊は、ほぼ壊滅」


 居ならぶ隊長すべてに、衝撃が走ったのがわかった。ヤニスが言葉をつづける。


「これは月日をかけて調査され、ほぼ同時に襲われたもようです」


 思わず、ヒューの顔を見た。諜知隊の隊長であるヒューの目が、驚嘆で見ひらかれている。


「ヤニス、何人がやられた?」


 そのヒューが、すばやく聞いた。


「ほぼ六割は。四割ほどは逃がすことができました」

「六っ」


 ヤニスの説明で言葉を失ったかのように、ヒューが固まり口をとざした。


「さらに、かくされた兵力がありました。アッシリア国から、レヴェノアの街へ進軍がございます。予想される数は、兵士が二千、グールが千」


 グールと、アッシリアの兵士が同時。そんな馬鹿な、そう以前なら思っただろうが、すでにふたつが手をくんでいるのを見たいまなら、すぐに理解できる。


「王よ、まことに申しわけ、ありませぬ」

「ヤニスさんが、あやまることではないと思う」

「この危機を見ぬけなかったこと、諜知隊を死なせたこと、そしてかつて、王をあざむいたこと」


 最後の言葉は、アトが家をおとずれたさいのことだ。無論そのとき、アトは王ではない。


「ヤニス殿、レヴェノアの街は・・・・・・」


 近寄ろうとしたが、思わず足が止まった。


 あぐらをかいて座っているヤニス殿だった。だが、その目に光はなく、呼吸をしているような動きもない。


「死んだ・・・・・・」


 信じられないといった声で、カルバリスが言った。


 さきほど自分が感じた異様さがわかった。死人が歩いてくるような異様さだったのだ。


 目のまえの異様さに、だれも動けなかった。うめくでも、さけぶでもなく、ヤニスという男は、役目をはたし、そして死んだ。


 だれもが声を発するのを忘れたなか、小さな人影が動いた。


 アトはしゃがみ、ヤニスの肩と背中を抱くように持つと、そっと土の上に横たえた。


「状況を、確認する」


 ヒューはそう言うと、ばさりと羽をひろげ、冬の空へと飛んでいった。


「ヤニスが」


 ひとこと名を呼び、言葉を失っているのはボンフェラート宰相だ。わが国で大賢者だいけんじゃと呼ばれる猿人はヤニスと歳も近く、宰相という地位なので諜知隊とのやりとりも多かっただろう。


 イーリクやドーリクも、驚嘆きょうたんの顔で地面に横たわった初老の犬人を見つめていた。ふたりとも、ペレイアの街でヤニスとは会っている。


「やられた・・・・・・」


 みなが亡くなったヤニスを見つめるなか、軍師ラティオだけが腕をくみ、目をつむってうめいた。


「敵は、一挙にけりをつける気。おれ自身が、そう言ったのにな」

「ラティオ、こんなことは、だれにも読めぬ」

「おれらの街に残した兵は、二千にも満たねえ」


 ラティオの顔は青ざめている。打ちのめされたような軍師の顔を、このグラヌスは初めて見た。


「まだだ、ラティオ。わが国がほこる城壁がある」

「グラヌス、死ぬまえのヤニスが言っただろ。人の兵士が二千、これは蹴ちらせる。だが千匹のグールだ。これはもたねえ」


 反論する言葉に困ったとき、横たわったヤニスのよこにひざをついていたアトが、顔をあげた。


「レヴェノアへ、いそぐ」


 それだけ言うと、アトは立ちあがり歩き始めた。


「王よ、ここは敵地! 軽率に動かれますと」


 止めようとしたのはイーリクだ。だが、言葉につまった。アトがふり返ったからだ。アトの顔に表情はなかったが、ゆらりと昇り立つ炎のような気迫を感じた。


 すばやく王の馬を持ってきたのは、自身も馬に乗るハドス近衛副長。


 ハドスは、この王の動きを読んでいたのか。ゴオ隊長をはじめ、すべての近衛兵は馬に乗っていた。


 アトは馬にまたがり、わが国の軍師へと顔をむけた。


「ラティオ!」


 呼ばれた軍師は、とじていた目をひらき、アトを見た。


「いいぜ。近衛隊と先行してくれ。残りの軍は編成して、王様を追いかける」

「よいのか、ラティオ!」


 自分の問いに、軍師はうなずく。


「ここはウブラ領だが、ウブラが襲ってくるとは考えられねえ。おなじく、アッシリアが兵をこっちにまで用意するのも不可能だ。あとは盗賊ぐれえだが、そんなものはゴオ隊長がなんとかするだろ」


 ラティオの話を聞いているあいまに、馬蹄のとどろきが聞こえた。ふりむけば、アトはもう走りだしている。


「おまえは、騎馬隊の千騎とともにアトを追え。ありったけの馬をあつめて、それを換え馬にしろ。乗りつぶしていい」


 それならば、二頭は換え馬にできる。だが疑問もあった。


「いそぐことが最優先なのだな。城壁の外を敵が囲んでいたら、どうする?」

「それも、どうとでもなる。王であるアトだ。敵は外に王がいるとなれば、追いかけるしか手はねえ。こっちは、もちろん逃げる。つまり、戦局はあらたな方向になる」


 いつも思うが、この猿人と話していると、自分が馬鹿ではないかと思えてくる。


「グラヌス、こっちは心配するな。残った兵は、ナルバッソスが指揮するだろう。おれは近くの村をまわり、馬を買えないか探してみる」


 うなずき、歩きだす。だが最後にラティオが、らしくない言葉をはなった。


「軍師としてあるまじき言葉だが、なんとか、がんばってくれ」


 自分はふり返り、軍師の顔を見た。この軍師がいたからこそ、勝ってこれたのだ。


「このグラヌスに、まかせよ」

「ああ、たのむ」


 もういちどうなずき、自分は軍師に背をむけ歩きだした。

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