第260話 兵士の整列
ウブラ国の執政官は、長く考えこんでいた。
「バルドラ殿」
声をかけようとしたが、天幕の入口から兵士が入ってきた。
「失礼いたします!」
「あとにしろ」
「それが、ジャルサイメーラ様の使者がきております」
ジャルサイメーラとは、七人いる執政官の名だ。その使者であれば、バルドラも無視はできないようだ。露骨にいやな顔をした。
「アトボロス王、少々、待ってくれるか」
バルドラが腰をあげて言った。ほかの文官をひきつれて天幕の入口にむかう。
「そうか、鳥人か」
なにか思いだしたように、初老の執政官は足を止めた。
「ヒューデール軍参謀、鳥人であるなら、各地を旅するはず。聞いたことはないか、海のむこう、グールをあやつる人間族の国があるという
ついさきほど聞いた話だ。ヒューの顔を見ると、端麗な目を細めているが、表情は変わっていなかった。
「聞いたこともない」
「左様か」
バルドラはそれだけ言い、天幕をでていった。ウブラの文官たちもでていく。
残ったのは、われらレヴェノア国の王と、その臣下である三人だけだ。
「そんな顔するな、アト」
ラティオの言葉に、あわててアトの顔を見た。
それは王の顔ではなかった。血の気が引いた蒼白な顔で、遠い一点を見つめている。
「ずっと考えていた。グールをあやつっていたのは人間族。つまり、ぼくがいたせいで、父さんと母さんは」
そんなことを考えていたのか。飛躍しすぎた考えだ。だが人間族であるアトにとって、すべての元凶が自分なのではないか、そんな考えになるのか。
思わず、となりに座るアトの肩をつかんだ。
「断じてちがう。偶然、おなじ種族だった。それだけであろう」
アトが自分を見た顔に、胸が締めつけられた。それは、かつてコリンディアで見た少年の顔だ。まわりのおとなに猿人とまちがえられ、捕まっていたときの顔。
不安とおびえ。こんな顔をさせないために、自分は剣の腕をみがいたのではなかったか。
「そう偶然。だが、偶然じゃねえこともあるぜ」
アトの左に座るラテイオが、からだをかたむけ、自分とアトの顔をのぞきこんだ。
「いまごろになって、正体をさらしてきた。こりゃ、
作為とは、なにか意図がある。そうラティオは言うのか。
「このテサロア地方で、もっともグールに対抗してきたのが、おれらだ。そこの王は人間族だった。あちらさんも、たいそう、おどろいただろうぜ」
軍師の言いたいことが見えてきた。
「レヴェノアの王、アトをおとしめるのがねらいか!」
「そのとおり。現に、ウブラ国は、アトを信用できない」
なんと。偶然を逆手に取られたのか。
「ぼくは、もうひとつ、考えていることがある」
ぼそり、アトが口をひらきかけたが、そこで止まった。待っていたが、そのさきの言葉は話さず、苦悶の顔を見せている。
「わたしが、いっしょにいこう」
言葉を発したのは、ヒューデールだ。卓の上に、ほおづえをついている。その姿勢でアトをながめていた。
「ヒュー、だめだよ。いまレヴェノアは危機をむかえている」
「わたしがいなくても、どうにかなる」
「それを言えば、軍師の代わりもいるぜ。イーリクがいるからな」
三人が話していることがわかった。
「アト、王の座を捨てるつもりか!」
おとなになった少年は、悲しい目で自分を見つめ、うなずいた。
「人間のぼくが王だと、みなが不安になる。それに、ぼくがいなくなれば、ウブラ国とも手をむすべるかもしれない」
なんとも言葉がでず、天幕の天井をあおぎ見た。
ウブラ国が信用していないのは、たしかにアトが人間だからだ。そして、わが軍も浮き足だっている。
「アトの代わりはペルメドス文官長、おれの代わりはイーリク、ヒューの代わりはヤニス、そして、犬っころの代わりはナルバッソスだな」
ラティオの言葉に反論はなかった。ほほに刀傷を持つ犬人の総隊副長、ナルバッソス殿なら全軍を任せることはできる。
見あげた天幕の天井は、きれいなものだった。あまり使われてはないのだろう。アトや自分の天幕は、なんども使っているので黒く汚れている。
かつて自分は、アッシリア国を捨てた。今度はレヴェノア国を捨てるのだろうか。
いや、あのときとはちがう。アトがいま考えているのは、どうすればレヴェノアの人々が安全になるかだ。
天幕を見つめるのをやめ、立ちあがった。アトを見つめる。
以前に、ラティオから聞かれた言葉をおもいだした。アトは王か、友か。こうなってみると、いやほどわかる。自分にとって、アトは友だった。
「このグラヌス、いまも昔も、変わってはおらぬ。言えることはおなじ。アト、思うようにやればよい」
ハドスが町長をしていたペレイアの街でも、おなじことを言ったおぼえがある。捕まって塔から抜けだした自分たちだが、そこから逃げず、アトはグールが襲ってくることをペレイアの人々に伝えた。
アトはいつも、人々を
それに、これからは人間族であるというだけで、人の見る目が変わる可能性がある。アトがつらい思いをする必要はない。
ラティオとヒューも立ちあがった。
「始まりは四人だったしな」
ラティオが言った。この遠征にでかけるときにも言った言葉だ。
ひとり座っていたアトが腰を浮かしかけた、そのとき、入口から大声をあげて人が駆けこんできた。
「そ、そのほうら、戦いを始める気か!」
「カナド殿、なにを言われる。王も、総隊長である自分もここに」
「ならば、臨戦態勢をとかれよ!」
それを聞き、あわてて天幕を飛びだした。
臨戦態勢ではない。だが、レヴェノア軍一万の兵が整然と横陣にならび、直立不動の姿勢だ。
ならぶ兵士のまえに、かつての副官であり、よく知るイーリクの姿を見つけた。
「イーリク、なにをしている!」
「隊長、言いだしたのは、私ではありませんので」
そう言って、イーリクは笑った。
うしろから、アトやラティオたちも天幕からでてきた。
「あの馬鹿、なにやってやがる!」
ラティオが、だれのことを言ったのかわかった。ならぶ兵士たちのまえ、ひとりの若い犬人が歩みでた。
歩みでたのは、ペルメドス文官長の息子であり、歩兵四番隊長のカルバリスだ。
「陛下!」
カルバリスは王を呼び、両手をひろげた。
「帰りましょうや」
カルバリスを筆頭にして、隊長たちが歩いてくる。アトのまわりに、みながつどった。
「おい、馬鹿息子、なにやってやがる」
ラティオの文句には、カルバリスではなく、これもかつてコリンディアでの副官だったドーリクが笑った。
「王がなにか、ひとり考えこんでいるようす。このドーリク、すぐにわかりましたぞ!」
そうだった。アトがなにか言えないことを考えているとき、唇が白くなるほど強く噛む。この
ラティオに馬鹿息子と呼ばれたカルバリスも口をひらいた。
「馬鹿なおれが考えても、ウブラ国と手をむすぶのは、無理な気がします。兵士たちとも話してみましたが、みな、レヴェノアに帰りたがってます」
カルバリスは、アトを見つめていた。アトも、カリバリスを見つめ返す。
「ぼくは、人間族だ。そしてグールをあやつっていたのも、人間族だった」
「そうですね。アッシリアのくそ野郎も犬人族で、おれも犬人族です。まったく、いまいましいですね」
不謹慎だが、思わず笑いが込みあげた。カルバリスが、うまいことを言うものだ。
ほかの隊長たちを見る。みな笑顔だった。
「勝手をして恐縮ですが、こちらも話し合いをさせていただきました」
そう言ったのは、ほほに傷を持つ総隊副長だ。その言葉にうなずいているのが、もとアッシリアの騎馬兵ネトベルフ、ボルアロフ。
それにウブラ国からきた漁師デアラーゴも、うなずいている。この四人は、どれも熟練の軍人たちだ。
「ナルバッソス殿、ひとつまちがえば、ウブラ国と戦闘になるぞ」
「いま、もっとも問題となっているのは、そこではないでしょう、グラヌス総隊長」
ナルバッソスの核心をついた言葉に、思わずため息がでる。
「それぞれが隊ごとに兵士と語りあいました」
ナルバッソスの言葉に、ほかの隊長たちがうなずく。
「さらに隊長同士で話をしていたところ、カルバリスの提案です。ことは単純、もう帰りませんかと。それに隊長すべてが賛同したしだいです」
ナルバッソスはそう言って笑い、ほほにある刀傷をゆがませた。
「はは、こりゃ、おれらの負けだな」
となりのラティオが鼻で笑った。
アトがなんとも言えない顔をしている。
自分はひとつ反省をした。人の集団というのは、場の雰囲気に左右される。だが、ひとりひとりの心は、それほど大きく変わるものではない。
思えばいままで、アトのひとことで方針が変わったことは、いくどもある。おなじように臣下や兵士のひとことで、事態が変わることもあるか。
始まりは四人だった。だが、その昔にはもどれない。そう、もはや仲間が多すぎる。
わが友であり、われらが王の肩をつかんだ。
「帰ろう、アト」
アトは、まっすぐ自分の目を見つめ返し、力強く、うなずいた。
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