第257話 かつての三人
ザンパール平原を背に、わが軍は南へと退却している。
その最後尾に、ラティオと馬をならべた。
「王都騎士団か」
戦った騎馬隊のようすをラティオに説明したのだが、軍師はひとことつぶやき、それっきり押しだまった。
背後をふり返る。
このあたりは、黄土色の地面がつづく荒れ地だった。踏み固められた道が北へとのびている。
ザンパール平原は、もはや見えないほど離れた。そして敵が追ってくる気配もない。行軍は、ふつうの歩く速さにもどしていた。
王のアトは、近衛兵とともに先頭にいる。その次に歩兵や、荷車を押す人夫。この人夫たちは、さきの戦いでは陣のうしろで待機していた。
退却する列の最後は騎馬隊。敵が追ってきたときに迎撃しやすいよう、騎馬隊が最後尾を守る。
その騎馬隊の、さらに最後列、しんがりをラティオと守っていたのだが、ばさりと上空から羽音が聞こえた。
わが国で軍参謀と呼ばれる鳥人の女。ヒューはめずらしくもラティオのうしろではなく、自分のうしろに乗った。
「ウブラ軍も退却だ」
ヒューの言葉に、考えに沈んでいたラティオが顔をあげた。
「グールは?」
「追ってないようだ。そのままザンパール平原に残っている」
「アッシリア軍は?」
「退却するバラール軍を追って、北だ」
ヒューの報告を聞いた軍師は、また口をつぐんだ。
聞きたいことは山ほどあるが、いままでにないほど、この猿人が考えこんでいる。
「敵に、頭のまわるやつがいるな」
ラティオはそう言うと遠い空を見つめ、あごに手をやった。声にだしたということは、考えがまとまったのか。
「ラティオ、頭がまわるとは、どういうことだ?」
「ウブラの軍を追わねえってやつだ」
「すまん、さっぱりわからん」
「おそらく敵は、今回で一挙に片づけるつもりだった」
三つの軍を全滅させるというのか。ウブラ、バラール、われらレヴェノア、すべてを合算すれば十六万を越えるというのに。
いや、それもできるのか。なにせ五万のグールだ。わが軍の教えでいけば、グールを兵力に例えるなら三倍、十五万の兵に等しい。そこに十万のアッシリア軍も加わる。合わせた兵力は二十五万とおなじ。
「しかし敵は計算が狂ったな。どこかの小国が、遅れてきたうえに、まっさきに逃げた。追うことはできねえ。敵はもっとも数の多いウブラ軍と戦っていたからな」
ラティオの言う小国とは、われらのことだ。そして十三万のウブラ軍を背にして、われらを追うことはできぬ。それもわかる。
「おれが戦場への到着を遅らせたのは、自国の兵を損耗させたくなかっただけだ。それで大きく助かった。運がいいぜ。こりゃおれの運じゃあねえな。おまえの強運か」
ラティオに言われたが、それより聞きたいことがある。
「だが軍師よ、グールが、ウブラ軍を追わぬのは、なぜだ」
「それも、おれらさ。このレヴェノア軍が反転してグールの背後をつく、またはバラール軍を攻めるアッシリア軍の背後を襲うのもありえる。つまり、動きが読めねえ」
なるほど。それで、頭がまわると言ったのか。
「しかし、ラティオこそ、瞬時にそこまで考えたのか」
「あちらとしては読めねえ敵がいる、ならば、へたに動かねえのが兵法の鉄則だからな。おれは追ってこないと判断した。それにアッシリアにしてみりゃザンパール平原が、これからの戦争における拠点だろうぜ」
それを聞いて思いだした。まだコリンディアの歩兵だったころの話だ。ウブラ国へ攻めこむには、まずザンパール平原を落とす。それが長年の悲願だった。
「しかし、四つじゃなく、五つだったか」
「軍師よ、五つとは?」
「グールは、なにかしら裏があるんじゃねえか、それは、みなも考えていただろう」
声はださずうなずいた。グールは人があやつっているのではないか。それは自分だけでなく、隊長や兵士たちも、うすうすは感じていたことだろう。
「アッシリア、ウブラ、バラール、どこが影で糸を引いているのか。そう考えていたが、ちがった。グールをひきいているのは、外からきた勢力だ」
なるほど、それでわが国をあわせて五つか。
「ラティオよ、しかしその、あらたな勢力というのが」
「言うな」
言わぬのか。グールをひきいていたのは、われらが王アトボロスとおなじ人間族だった。
「だれも、なにもわからねえ。話してみたところで、無駄なだけだ」
たしかに、
「伝令兵」
ふいに背後から美麗な声が聞こえた。うしろに乗るヒューだ。
最後尾にいるわれらだが、自分は総隊長で、ラティオは軍師である。まわりには馬に乗った伝令兵が待機していた。
ひとりの黒服、伝令兵が馬を駆けさせ近づいた。
「三人で話がある。すこし離れてほしい」
「はっ!」
ヒューの命令に、黒服の伝令兵は馬首をひるがえした。ほかの待機する伝令兵へと駆けていく。
このようなヒューは初めてだ。自分は手綱を引き、馬の速度を落とした。まえをゆく騎馬隊との距離があいていく。
「めずらしいな、うちらの長女が真剣だぜ」
それはラティオの母君が言った言葉だ。アトが末弟、それを兄と姉で守れと。
その姉のほうが口をひらいた。
「確認するが、まだアトは、おまえの弟なのだな?」
見えないが、ヒューは自分にむけて聞いたのではない。その証拠に、ラティオは自分の背後にいるヒューを見つめている。
そうか、ヒューがこちらの馬に乗った理由はこれか。ラティオの顔を見ながら話したいからだ。
しかしそれでは、このグラヌスの顔が見えぬではないか。
「聞くだけ、やぼってもんだ。おれは、おれ自身よりアトを信用している」
ラティオが答えた。ふたりは見つめあっているようだが、ふっとラティオが笑ったのを見ると、うしろのヒューも笑ったのだろうか。
そのヒューの声が聞こえた。
「おのれ自身よりアトか。なかなか深いことを言う」
「だろう。こりゃある意味で、
首に吐息がかかったので、やはりヒューも笑っているようだ。
アトへの信頼、それならば自分も胸をはれる。
「このグラヌスも!」
「おめえは、いいよ」
よいのか。自分には聞かずとも。なにか、似たようなことが昔にあった気がする。建国の食卓だろうか。
「それで、話ってな、なんだ?」
ラティオの問いで、いよいよ本題に入るようだ。思わず背筋をのばした。
「鳥人族というのは、この世界をわたり歩く者が多い。かつて、わたしが生まれ育った旅団も、そんな鳥人の一族だった」
ヒューとの出会いを思いだした。バラールの酒場で喧嘩をして牢に入っていた。出会ったときから、この鳥人はひとりだ。だが仲間や家族がいたころもあるのか。うしろにむけて聞いてみる。
「ヒューよ、いつから、ひとりだ?」
「十五からだ。まわりとそりが合わないので、飛びだした」
十五からひとり。なんともたくましい。
「アトと、おなじ
ラティオの言葉に思いだした。アトが故郷をなくしたのは十五のときだ。
なぜ、この鳥人は仲間になってくれたのか。その答えは、これなのかもしれない。自身とおなじ境遇の子を見て、ふっと興味を持った。そんなところではないか。
そう思った矢先、ヒューはさらに口をひらいた。
「わたしのことはいい。だが、子供のころ、おとなたちから聞いた話がある。人間族の国だ」
思わず、あぶみを踏みはずしそうになった。
「今日に見た、あの灰色の
首をひねり、うしろにむかって言った。ヒューの顔がわずかに見える。うなずくのも見えた。
「海をわたった遠い異国。かつて、グールをあやつる人間族の国があったと」
「かつて? なら、いまはねえのか」
ラティオが聞き返した。自分は首をひねったままだと疲れる。正面にむきなおり、耳をそばだてた。
「その国は、グールをあやつる
グールの血だ。あの生物には、血に毒がふくまれる。
「アトは、その滅亡した国の生き残りってわけか」
ラティオの問いに、ヒューは考えているようだ。しばらく間があき、鳥人は答えた。
「どうだろうか。人間族の国は、ほかにも多くある」
「おいヒュー、子供のころに聞いたんだろ。アトが捨てられたのは二十年前。時期としては
グールをあやつる人間族の国。国が滅亡すれば、人々はあらたに生きる土地をさがし旅にでる。その途中で赤子を捨てた。ありえる話だ。
それに、ほうぼうにちった人間族の生き残りは、いくつかの集団になるはずだ。そのうちのひとつが、アトを捨てた。それとはまたちがう勢力が、このテサロア地方に目をつけた。そんなところか。
ラティオが思いのほか、顔をしかめていた。
「くそっ、その話、だまってやがったとはな」
吐き捨てるように言った。
「言うわけがない。子供のころに聞いた話だ。関係はないかもしれない」
「あったじゃねえか」
ラティオが
「まあ、言えねえか。あいつの運命が過酷すぎるぜ」
過酷。その言葉を考えた。
「そうか!」
「いまわかったのか。にぶいねえ、うちらの
その軽口に笑えなかった。ラティオはうなずき、言葉をつづける。
「そう、グールをあやつっていたのは人間族。つまり、アトの親を殺したのは人間族。そして自身も人間族」
さきほどラティオが「言うな」と言った意味がわかった。アトはいま、どんな心境なのだろうか。
「こりゃ、とんだ皮肉だぜ。人間族の侵略を、人間族のアトが止めるとはな」
「ラティオよ、ことは冗談では・・・・・・」
「犬っころ、ことの重大さはわかってるさ」
「それならば」
「だがな、おれら兄弟のなかじゃ、冗談のひとつでいいだろう」
ラティオの物言いに、思わずため息がでた。さすがと感心もする。
アトがどこの生まれであろうと、関係はない。ラボス村、セオドロスの子だ。
「この三人は、それでよくとも・・・・・・」
うしろの鳥人がつぶやいた。それも正しい。あの灰色の頭巾をかぶった人間を、多くの兵士たちも見たのだ。
思わず天をあおぎ、ため息がでる。これは感心のため息ではない。心配のため息だ。
「グラヌス総隊長、ラティオ軍師!」
馬に乗った黒服の伝令兵が、大声で呼びながら駆けてくる。
自分とラティオが足を止めた馬の近くまできて、伝令兵は口早に説明した。
「ウブラ国より使いがきております。二国会談の要請で!」
ラティオと見あう。この状況、自国の兵士たちがどう思うか、それだけではなかった。ウブラ国は、どう思っているのだろうか。
「とりあえず、隊長をあつめるか」
軍師の案に賛成だ。
「伝令兵!」
近くに待機していた伝令兵をすべて呼ぶ。
「このグラヌスの名によって全隊に通達」
「はっ!」
「退却を中断。アトボロス王、ボンフェラート宰相、各隊の隊長をここに」
「はっ、ただちに!」
伝令兵は馬のはらを蹴り、駆けだしていく。
もういちど、天にむかって息を吐いた。冬の空に青さはなく、どこまでも厚い雲がひろがっていた。
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