第254話 寝ぼうの軍師

 待てど暮らせど、軍師ラティオが起きてくる気配はない。


 太陽はすでに地平線をはなれ、荒野を明るく照らしていた。冬の夜で冷えきっていた大地が、ほんのすこし温められる。


「各隊に、出発の準備をさせますか?」


 聞いてきたのは、かつてコリンディアでは自分の副長だったイーリク精霊隊長だ。


「いや、すこし待てば起きてくるだろう」


 ところが、それから一刻ほどしても、われらが軍師は姿をあらわさなかった。


「具合が悪いのかな」


 心配そうに言ったのは、王のアトだ。ヒューデール軍参謀も加わり、三人でラティオの天幕をたずねてみる。


「おい、軍師よ。いつまで惰眠だみんを」


 そう言いながら天幕の入口にある布をめくったが、思わず動きが止まった。


 そこにいたのは、すでに革の胸当てなど戦衣装いくさいしょうに身を包み、どっかりと、あぐらをかいて座る猿人の男だ。


「外に見られたくねえ。入って布をしめてくれ」


 アト、ヒューも天幕に入り、入口の布をしめる。


「どういうことだ、ラティオ」


 自分は問いながら天幕のなかを見まわした。寝具もすでに片づけられている。


「伝えたはずだぜ。レヴェノアの軍師は、二日酔いで起きられねえ」

「意味がわからぬ。戦いは目前というのに!」

「だいたいの状況は、諜知隊からの知らせでつかんでいる」


 ラティオの言葉に、諜知隊をひきいるヒューを見た。その鳥人がうなずきを返したので、ほんとうの話だ。


 軍師は、あごに手をやった。口の右はしには、いつものように笑みを浮かべている。


「昨日からの動きはこうだ。東からウブラ軍、西からはアッシリア軍。このふたつがザンパール平原に進入している。小さな森や林を焼き払いながらだ」


 軍師の話を聞きながら、王であるアトを見た。若き人間の王も、興味深そうに聞いている。ということは、これはアトにも教えていない話か。


 他国ではありえない話だが、わが国の軍師は、王にさえ必要と思ったことしか報告しない。


「グールは、ザンパール平原の中央にある草原へと逃げているようだ。このままいけば四方向から、はさみうちとなるだろう」


 ねらいがわかった。思わずアトと見あう。アトもうなずいたので、この軍師の考えがわかったのだろう。


「ラティオよ、戦場にわざと遅れていくのがねらいか」

「わざとじゃねえ。軍師のせいで遅れるのさ」


 そう答えたラティオは、アトのほうへとむいた。


「帰ったら罰として、三日ほど牢屋に放りこんでくれ。ちゃんと理由も発表してな」


 なんということだ。


「智愛の雄、その名が地に落ちるぞ!」

「そんなもの、いくらでも落ちりゃいい。おれはなるべく味方の損失をすくなくしたい」


 聞いて思わずうなった。長くをともに歩み、あるていど考えも理解した気になっていた。だが、まちがいだ。この男の頭のなかは常人とはちがう。


 それでも、なぜそうするのか理由はわかった。へたな芝居をうつのは国の評判のためだ。いや、国というより王であるアトの評判か。


「見はりの兵より報告がございます!」


 天幕の外から伝令兵の声が聞こえた。ここは自分が答えたほうがよいか。


「そこから伝えよ!」

「はっ! ウブラ共和国より使者がまいった次第です」


 思わずラティオを見ると、あぐらをかいた軍師はうなずいた。


「アトもグラヌスも、軍師のおれに怒った顔をして使者と話せよ」


 その言葉どおり、自分とアトでウブラ国の使者に会った。


「いつごろ戦場に着くのかと、おうかがいするのが私の使命であります!」


 ウブラ軍の兵士だった。羽織りなどはつけておらず、着ている甲胄かっちゅうに装飾もない。隊長などではなく、ただのいち兵士だろう。


「軍師のせいで、進発が遅れている。申しわけないと伝えてくれ」

「はっ。ご病気かなにかで?」

「いや、飲みすぎて寝坊だ」


 使者の兵士は、ぽかんと口をあけた。それもそのはず、戦いが始まる朝に寝坊する軍師など、聞いたことがないだろう。


「まったく、帰ったら処罰せねば。王もお怒りだ」


 口からでまかせを言ってみる。よこに立つアトが、口を曲げてうなずくのが見え、思わず吹きだしそうになった。怒った顔というより、それは困った顔だ。


「私見を述べて恐縮ですが、そのような軍師、辞めさせればよいのでは?」

「それがな、軍の編成だけでなく、荷運びの計画もまかせてあったので、どれをどの荷車に載せればよいのかも、ほかの者では、わからんのだ」


 これはいま考えたことではなく、ラティオがそう言えと教えてくれたことだ。


 ウブラ国の使者は周囲を見まわした。わが軍の兵士たちは、たき火にあたりながら、ひまそうにしている。


「この話は、そのままお伝えしてよろしいのですか?」

「そうしてくれ。なるべく、いそぐようにはする」


 納得しかねる顔をした使者だったが他国の者だ。しぶしぶと帰っていった。


 それからも、たき火で暖を取りながら待ち、ようやくラティオが姿をあらわしたのは、日の出から三刻は過ぎたころだった。


「いやあ、よく寝たぜ。出発するとするか」


 軍師ラティオの姿を見た隊長たちは、文句を言うわけでもなく、みずからの隊へ出発の準備を命じに駆けだした。


 隊長たちには、ほんとうの理由を伝えていた。なので文句は言わない。だが意外に兵士たちも、おどろくような顔をした者はすくなく、にやついている者までいた。


「みんな、なにか裏があると思ってるみたいだ」


 笑顔でそう言ったのは王のアトだ。自分もうなずく。


「思えば、古顔の兵士たちは、四年ほどの付き合いになるか」


 アトやラティオと過ごした月日は長いが、レヴェノアの兵士たちとも長いのだ。


 兵士たちは、きびきびと荷をまとめ荷車に積んでいく。半刻ほどしたのち、わがレヴェノア軍は、ザンパール平原にむけ進発した。

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