第253話 王のたき火
「グラヌス総隊長、夜明けです」
声が聞こえ、目をあけた。
じょうぶそうな白い布が見える。
野営の天幕だった。土の上に敷いた寝具からぬけでて、立ちあがる。
「グラヌス総隊長」
「わかった。ご苦労」
外へ返事をする。知らせにきた見はりの兵士だ。
天幕の入口に垂らした布をめくり、外にでる。野営地を見まわした。
十人から二十人ほど小集団が、たき火を囲んでいる。それが何百と荒野にひろがっていた。わが軍の兵士たちだ。
それぞれのたき火から白い煙があがっているところを見ると、みな起きて
一万をこえる兵士の移動は遅い。ボレアの港からウブラ国側にわたり、そのあとは街道を北へ北へとのぼってきた。
レヴェノアの街をでて七日目。いよいよ、今日にザンパール平原へと入る。
「起きたか、総隊長」
気配もなく不意に声をかけられた。だが、もうなれてしまい、おどろくこともなくなった。
「ヒュー、周囲に敵は?」
鳥人が自分のよこに立ったので聞いてみる。今日は戦闘があるためか、ヒューは長い毛を頭のうしろでひとつに結んでいた。
「一刻ですすめる範囲には、人もグールも、これといって見つからない」
ならば安全だ。諜知隊による
「今回は、いままでになく人を投入している。もう見逃しはない」
聞いてもいないのに、ヒューが言う。なるほど諜知隊の隊長も、あのときのことは気にしているらしい。
「アッシリアのほうはどうだ?」
「それも問題ない。むこうはヤニスが統括している。異変があれば、すぐに知らせがくる
ヤニスか。副参謀という役職になっているが、めったに見かけない老犬人。そして、かつてペルメドス領主のもとで諜知隊を作った本人。
「なぜか、アトと会われぬと聞いたぞ」
アトがラボス村をでて、立ち寄ったのがヤニス殿の家だった。そのあと、われわれもペレイアの街で会っている。
旧知の仲であるはずが、あまりに姿をあらわさない。
「裏の者だからな。照れくさいのだろう」
ヒューはそう言うが、われらが王のアトは会いたがっているというのに。
「ヤニス殿の忠誠心は、王へなのか、もと領主ペルメドス殿へなのか、どちらだろうか」
どちらでもかまわぬが、気になったので聞いてみる。だが、答えは意外だった。
「あれは、じつの息子をアッシリアの貴族に殺されている。忠誠心というより、復讐心だ」
そんなことがあるだろうかと思ったが、ダリオンという馬鹿息子がいたのを思いだした。あれも
軍参謀が切れ長の目で、自分を見つめてくる。
「頭の腐った具合でいけば、ウブラ国よりアッシリア国のほうが数段は上。早めに捨てて正解だ」
ヒューが言っているのは自分のことだ。バラールの都でアトを助けるために国を捨てた。
「なんと、ではあのとき、自分はアッシリア国と、このレヴェノア国を
後日になってわかるという話だが、あのときの決断は、まちがってはなかったようだ。
「なかにいると、わからぬものだな」
しみじみそう思い、ため息がでた。コリンディアにいたころは、それほどアッシリアという国が悪いとは思っていなかったからだ。
それに、王がちがうだけで、これほどまでに国が変わる。おそろしいほどに。
「グラヌス総隊長、ヒューデール軍参謀」
声をかけられふりむくと、黒の上着をつけた兵士、伝令兵だ。街のなかでは白い上着だが、戦場では目立たぬように黒い上着となる。
「アトボロス王より、呼集の伝言がございます」
「ほう、なに用か?」
「パンを焼き直している、とのことで」
思わず、ヒューと目があった。われらはレヴェノア国の臣下だが、王じきじきに作る朝食を食べる臣下など、いてよいのだろうか。
ふたりで王の天幕があるほうへと歩く。
われらが王は、たき火のまわりに木のえだを立て、そこに小ぶりなパンを刺していた。
すでにほかにも人がいる。ボンフェラート宰相、イーリク精霊隊長、ドーリク歩兵一番隊長だ。
「もうちょっと温めたいから」
そう言ってアトは、木のえだに刺してあるパンをすこし回転させた。十以上のパンがあり、均等に火であぶるよう気をくばっているようだ。
「ちょっと、まきを足そう」
アトが、たき火にまきを足す。その姿に、昔を思いだした。
まだ少年だったアトと、バラールまでの旅だ。あのときも、アトはじょうずにたき火を作った。
まだ十五歳なのにしっかりしていると感心したが、それがいまや二十歳となり、そして一国の王だ。
アトは王になっても、自分のことは自分でする。そればかりではない。このたき火は仲間のために作ったものだ。そんな王は世界広しといえど、このアトボロス王だけだろう。
「グラヌス、どうかした?」
アトに問われた。自分は笑顔をむける。
「うまそうだな、いただくとしよう」
火のそばに座ると、イーリクが湯気のでる木杯をわたしてきた。手に取り、なかをのぞく。発酵茶が入っているようだ。
「王の焼いたパンを食べ、精霊隊長の
そう言ったのは、さきにパンを食べているドーリクだった。よく見れば、腕にまだ三つほどパンを抱えている。
「この男が、王の焼くパンの一回目を、すべてかっさらいましたので」
嫌味ったらしくイーリクが言った。自分もなにか嫌味を言おうとしたが、ちがう声が割って入った。
「王よ、お呼びでございますか」
あらわれたのは、デアラーゴ歩兵七番隊長だ。
「夜の見はり、お疲れさま」
アトが笑顔で言う。なるほど、夜の見はりを買ってでたのは、たしかに七番隊だった。
「まだまだ未熟な隊ですので、雑用をするのは当然かと」
デアラーゴが言う未熟とはそのとおりで、七番隊は新兵ばかりだ。それも入りたての者ばかり。そのため今回の戦いでは前線にでるのを禁じられている。
「パンが、もうすぐ焼けるんだ。よかったらどうぞ」
「は、はあ」
王の言葉にとまどうデアラーゴに笑え、思わずイーリクと見あった。
もとウブラ国の猿人は、とまどいながらも
「デアラーゴ殿、それは?」
木の棒ではあるが、先端には針のようなものがついてある。
「
そうか、デアラーゴは漁師だった。
そして漁師ではあるが、軍人としての経験も豊富だった。剣の腕も立つ。兵士たちからは「
「グールに対する武具ですか」
「そのとおりだ、総隊長」
自分がつかうのは剣ばかりだ。しかし、レヴェノア軍ではグールと戦うために武具を工夫する者が多い。なにか自分も考えたほうがよいだろうか。
思案に暮れていると、アトの焼いたパンが木皿に載ってきた。
そういえば、ここにいてとうぜんの猿人の姿がない。
「ラティオ軍師を起こしてきてくれるか?」
そばにいた伝令兵に声をかける。
だが、しばらく待って帰ってきた伝令兵がことづかった言葉は、信じられない内容だった。
「昨晩に飲みすぎて、まだ起きられぬとのことです」
どういうことなのか。居ならぶ隊長たちと目をあわせたが、みなもおなじく、首をかしげていた。
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