第十三章 グラヌス 急迫の土
第252話 街を背に
花だ。
粉雪かと思えば、白い花びらだった。
冬の曇り空に、小さな白い花びらが飛んでいる。
これは、どこからくるのか。
馬首をまわすと、わかった。城壁の上か。投げているのは街の婦人たちだ。手にした
多くの市民が、この出陣式を見送りにきていた。
老いも若きもがあつまるなか、ひときわ目立つ男を見つけた。赤い布を頭に巻き、さらに赤い羽織りをつけた猫人。
こちらに気づいたので、手を大きくふってみる。
「ジバ殿、留守をたのみますぞ!」
自分の声が聞こえたようだ。ジバ王都守備隊長は手をあげている。
「心配ねえだろ。あいつにまかせておけば」
馬を寄せてくる気配があった。よこにならんだのは智に愛された猿人の男、軍師のラティオだ。
「このグラヌス、心配など、してはおらぬぞ」
ジバ殿と出会ったさいは、傭兵ということで信頼はしていなかった。だがそれは最初だけだ。いかに自分が、あの猫人を買っているか、とくと
「もと傭兵のジバだが、思いのほか冷静で繊細な指揮をする。それに戦場の経験でいえば、このレヴェノア国で
熱弁をふるったが、ラティオはさして興味はないようだ。のんびりと行軍のようすをながめている。
「おい、犬っころ、そろそろいくか」
あいかわらず口の悪い軍師だ。だが、長い付き合いでもある。
「ゆこう、わが友よ」
「けっ、暑苦しいやつだぜ」
ラティオは肩をすくめ馬のはらを蹴った。自分も手綱をたたく。
一万の群れがすすんでいた。荷役をする人夫まで数えれば、一万二千人ほどの
「ついに、アッシリア、そしてウブラ。その本軍と、あいまみえるか」
思わずつぶやいた。東へむけ列をなすレヴェノア軍のしんがりで、遠くの先頭を見つめた。先頭には、わが国の紋章がえがかれた深紅の旗がある。
「剣のむけるさきを、まちがえるなよ」
軍師ラティオの言葉は、注意ではなく冗談だ。
そう今回の敵はどちらでもない。むかう敵はザンパール平原に巣くうグールである。
「軍師よ、ふとした疑問だ。ザンパールという名は、ウブラ国では意味があるのか」
「そうだな。ウブラ国に伝わる
なるほど、たしかにその言葉どおり緑の多い土地だ。
グールは、そのザンパール平原のあちらこちらにある森、それに草原などへ広く住みついているとの報告を受けている。その数、ウブラ国の調べでは、およそ五万。
いっぽう、人類のほうはウブラが十三万、アッシリアが十万、バラールが二万五千、そしてわれらレヴェノアが一万だ。
グール五万匹にたいし、人類は二十六万と五千。
わがレヴェノア軍では、兵士たちに教えるグールとの戦い方があった。基本はグール一匹にたいし、人は三人で対処せよと。
今回でいえば、グールの三倍どころではなく五倍の数で戦おうとしている。数の上では有利だが、相手はグールである。楽な戦いではない。
それでも、人類が手をたずさえてグールに立ちむかうのだ。そのことを、わが友の猿人はどう感じているのか。
「なんだ、犬の剣士」
自分の視線に気づいた軍師が口をひらいた。さきほど犬っころと呼ばれたが、剣士に格上げされたようだ。
「ラティオは、どう思っている。あれから四年だ。ついに夢がかなう」
問われた猿人は、あごに手をやった。それからしばらく考えているのかうつむき、はっと顔をあげた。
「建国の食卓か。忘れてたぜ」
「忘れるのか。アトを王にして国を造ったのは、人類がまとまってグールと戦うためであろう」
ラティオは目を細め、街道のさき、東のウブラ国を見つめているようだった。
「まとまるかねえ。このグールとの戦いに勝ったとして、それは次の戦争への始まり。おれはそんな気がしてならねえな」
軍師の言うこともわかる。グールの
「どの国の王も、暮らす
自分のつぶやきに、ラティオは鼻で笑うかと思ったが、聞こえてきたのは女の声だった。
「わたしは多くの国を見てきたが、ここのような国はない」
猿人のうしろに乗る鳥人、ヒューデール軍参謀だ。
「ヒューよ、わが国は特別。それは、このグラヌスも理解している。さきほどの市民たちも、安全な暮らしに感謝しているからこその応援だ」
「だが、アトの安全は一生こねえぜ。王にしちまったからな」
ラティオが言いたいのは、木杯の誓いだろう。かつて、バラールの都から八人で逃げたときのことだ。夜ふけに、この三人で酒を飲み誓った。アトが安全になるまで、仲間として守ると。
「やはり、わたしが連れて逃げるか」
「愛の逃避行をじゃまして悪いが、おれもついていくぜ」
「ならば、このグラヌスも」
三人で静かに笑った。一万の遠征軍。その最後尾で笑った。
「このわたしが、気づけば国の重臣。諜知隊など手伝わねば、よかったのかもな」
意外な物言いに、思わずヒューを見つめた。鳥人の女は、切れ長の目を遠くにむけている。
諜知隊については知らないことばかりだ。だが、何百、いやおそらく何千という者を統括していると予想される。
鳥人というのは本来、放浪者が多いと聞く。だがもはや、この鳥人は部下を放りだして旅立つことなどできないだろう。
「始まりは四人だった」
ラティオが言う。だがその昔にはもどれない。それも三人ともが、わかっている話だ。
遠くの先頭を見つめた。はためく深紅の旗、アトはいま先頭にいる。
かつて、あの小さな少年を守るために、自分は強くなろうと思った。
「まだまだ、だな」
思わずつぶやいた言葉に、ラティオは首をひねったが、自分は気合いをひとつ入れなおし、ボレアの港にむけて馬をすすめることにした。
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