第251話 最後のわかれ
「四名」
おれの発した声に、ペルメドスと、ミゴッシュがふりむいた。
「兵士のなかから、四名の希望者をさがしてくれ。城壁の外にでて、敵をさぐる」
ふたりが息を飲むのがわかった。その四名とは、死ねと言っているようなものだ。
この
「ペルメドス文官長は、ここにいる必要がありましょう。私が」
「待て、ミゴッシュ、伝令兵にたのめ。あとは隊長や副長が選ぶ」
おれはそう言って止めた。この若き犬人は役人だ。いやな命令を告げる役などする必要はない。だが、ミゴッシュも固辞した。
「この命令は、あとにしこりを残す気がするのです。部外者である私がいき、兵に告げるのが適任かと」
おれは左に立つミゴッシュを見あげた。
ミゴッシュがうなずき、駆けだしていく。
南から火があがった。危急の灯火だ。
「南の歩廊へ応援。終われば、またここへ!」
ペルメドス文官長が声をあげると、甲胄をつけた
「用意していた
文官長からの報告に、必死に頭のなかで思い起こす。
「歩兵三番隊の倉庫だ」
話すのが、ひどく疲れだした。やっと言葉にだす。
ブラオ歩兵三番隊長の倉庫。あそこには槍が多い。ほかはないか。
「旧市街にある武具屋」
口にだした。たしか、そうだったはず。散歩のとちゅうで何度か立ち寄った。槍の品ぞろえが豊富だったおぼえがある。
「かしこまりました。店の棚を総ざらい買ってきましょう」
文官長が手まねきすると、何名かの文官がきた。背後にひかえさせていたか。
呼ばれた文官は、腕に赤い布をつけていなかった。今日の戦闘に参加している文官ではない。
その文官たちが去ってから、おれはペルメドスに言った。
「あれは、それほど信用していない者たちか」
「いえ、信用してはおりますが、幼い子供がいたり、親の面倒を見ていたりと、戦いに参加させたくない者どもでございます」
文官長を見つめた。
城壁の建設、そして王の城。最後は王都守備隊と、この男と仕事をする機会が、もっとも多かった気がする。
「文官長のような男と仕事ができて光栄だ」
おれの言葉に、文官長が不安な顔を見せた。
「ジバ殿」
「だいじょうぶだ。軍がもどるまで、おれは生きる」
文官長は静かにうなずき、そして城壁にむきなおった。
各隊をまわったミゴッシュがもどってきたのは、それから一刻ほどしてだった。
「この四名が、偵察にいきます」
犬人が二名、猿人が二名。若者もいれば中年もいる。だが、そのうちのひとりに目がいった。
タリック。フーリアの森からきた、鼻っ柱の強い若き犬人だ。
「これからすることを、わかっているのか?」
「はっ。おれが適任だと思います」
そう思っているのなら、それもいいだろう。
説明をするのが、ひどく
「北にある王の城から縄ばしこでおりる。東西南北に分かれて、周辺を調べよ。敵のようすがわかれば、すぐに帰れ。またあるていど進んで敵がいなくても、それも帰ってきていい」
いっきに説明した。このていどの話でも疲れる。
ペルメドス文官長が、背後にひかえる文官から二名選ぶ。偵察の四名についていき縄ばしごをおろす役だ。
「四人がおりたあと、縄ばしごはあげて待機」
文官長が説明している。
「帰ってこないときは」
文官のひとりが聞き返したが、ペルメドスは首をふった。
「帰ってくるまで待機と、さきほど申したぞ」
四名の兵士と、二名の文官が王の城にむかって去っていく。
おれはまた、急激に気分が悪くなるのを感じた。
「ベネ夫人」
侍女長を呼ぶと、すぐにきた。おれのひたいにふれ、精霊の癒やしをかける。
だが癒やしをかけても、なんの変化も感じなかった。
「ありがとう。すこし、よくなった」
ベネ夫人に礼を言い、さがってもらう。
城壁を見つめた。
夜明けまでが長い。
敵が引いたようで、南から人夫たちが帰ってきた。いつの間に用意したのか、文官たちは水さしから木杯に水を入れ、人夫たちに手わたしていく。
わがやでも、夏に仕事から帰れば、ユガリがまず一杯の水をだしてくれた。
鍵穴の家。変な扉だった。ユガリが淹れた発酵茶を、おれは何杯飲んだのだろうか。
夜空の闇は深かった。今日は月がでていないのだろうか。そう思ったが、自分が目をつむっていることに気づいた。
目をあけよう。そう思ったが、まぶたが重かった。それに、寒い。からだの芯まで冷えている。
いや、左手だけは温かかった。目をあける。
「ユガリ」
また気を失っていたようだ。おれの左側に椅子があり、そこに座っておれの手をにぎっているのは、妻のユガリだった。
「子供らはどうした」
「フィオニ夫人が見てくれてる」
ユガリは大きな目で、おれを見つめた。この大きな目が好きだった。
ぎゅっとユガリが手に力を入れたので、まぶたをつむりそうになった自分に気づいた。
「ごめんなさい。びっくりさせて」
「いいんだ」
「もう休む?」
「いや、まだだ」
そのとき、文官のひとりが駆けこんできた。
「ペルメドス様!」
「なにごとか」
「偵察のひとりがもどりました」
鼻の曲がるような臭いがした。その臭いは、歩いてくる犬人が発している。
「ひっ!」
となりのユガリが悲鳴をあげそうになり口を押さえた。それもそのはず、近づいてきた男は血まみれだった。それも、どす黒い血を全身に浴びている。
「たしか、タリックと申されたか」
「はっ!」
タリックは文官長の問いに答えたが、だれなのかわからないほど、黒い血にまみれている。文官長がつづけて聞いた。
「その血はどうされました」
「グールの死骸がありましたので、全身に血を塗りたくりました。これで人の匂いが消せるかと」
無茶をする。グールの血には毒があるのに。だが、それをするほど、近くにせまったということか。
タリックは、考えこんでいるのか、頭をうなだれた。
「なんと説明すればよいやら」
そして、おれの顔を見た。
「そう、ジバ隊長の武具です」
「六角杖ですか?」
ペルメドス文官長が聞き返した。
「はい。あれを恐ろしく大きくしたようなもの。それが木組みの小屋に吊るされるようになっていて」
それは
思わず身を乗りだしたのをユガリが肩を押さえた。
タリックが見たのは兵器で、縄に吊るした巨大な鉄の棒で扉や壁に打ちつける。
どこかの国で、味方がつかっていたのを見たことがある。街を囲む防壁を、それで崩し突入した。
ペルメドス文官長が険しい顔つきになる。
「どの方向でしょうか」
「南西です」
「近くですか?」
「いえ。まだかなり遠くです。車輪がついていますが動きはのろく、何十人もの兵士が引いています」
まちがいなく、それが到着すれば、いっせいに攻撃がくる。
今日の敵のねらいはこれだ。軽い攻撃を繰りかえすのは、こちらの疲労をさそう策ではない。これを遠くから持ってくるまでの間をかせいでいたのだ。
「どれほどで、くると思いますか?」
文官長と若者の会話はつづいていた。
「とにかく動きは遅かったです。半刻で着くとは思えません」
なら、ゆうよは一刻ほどか。そこまでタリックから聞いた文官長は、おれへとふり返った。
「ちょうど、あと一刻ほどで、日付の鐘が鳴ります」
それだ。おれは文官長にむけてうなずく。敵は、いっせい攻撃の合図がいるはず。そして、この街の特徴も調べているはずだ。鐘の音はぜっこうの合図。
「ジバ隊長、おそらく、鐘の音とともに攻撃。ふた手に分かれ、さきに片方へ集中させ、そのすきに攻城兵器を近づける。わたくしの考えであっておりますか?」
聞いてきた文官長にむけてうなずく。もと領主もうなずき、もういちど若者へ顔をむけた。
「タリック殿、すぐに血を洗い流すのがよいでしょう。そのあと治療を。ベネ夫人」
「愚かな若者を救いましょう。近くに井戸があったはず」
ベネ夫人はタリックをつれていった。
そのときぐらりと、おれがゆれた。ユガリが肩を押さえてくれたので、倒れることはなかった。
「ミゴッシュ、ひもがゆるんでいる」
おれの小さな声で、ミゴッシュは椅子のうしろにまわり、ひもを締めなおす。
「ねらうのは、西の門でしょうが、それとも東」
ペルメドス文官長が聞いてくる。さきほどタリックは南西と言った。それを考えれば西の門だ。東だと大きくまわりこむ必要がある。
いや、もうひとつ可能性があった。
「文官長」
なんとか声にだした。
「はい、ジバ隊長」
「南西の城壁にあった、ひび割れ」
文官長が動きを止めた。
「して、おりません。直しておりません。石工たちは地下の貯蔵庫にかかりっきりでしたので、それが終わってからと」
そういうことか。この文官長がめずらしく忘れていたのかと思いきや、納得の原因だった。
アッシリアから運んでくるなら、方角は北西になる。それが南西ということは、わざわざ重いのにまわりこんでいるということ。そして、この
それに城壁は完全に壊す必要はない。垂直が崩れさえすれば、そこからグールは登っていける。
なにができるだろうか。必死で考えた。考えたが、なにも浮かばない。
興奮したからか、息があがってきた。
すぐ近く。男が杯を持って立っている。ヘンリムだった。
湧き水を
「たったいま、汲んできたのですが」
王の酒場の店主が心配そうに聞いてきた。
おれは椅子のうしろにいるミゴッシュに声をかける。
「人夫からレゴザとデルミオ、フリオスを呼んでくれ」
ミゴッシュはうなずき、人夫のあつまりにむかって大声をあげた。
「レゴザ殿、デルミオ殿、フリオス殿!」
猿人のふたりと犬人ひとりが駆けてくる。
「ジバ、どうした」
デルミオが心配そうな顔で聞いてきた。おれの息が荒い。三人はおれのまえにしゃがんだ。
「ジバ、よこになったほうがいい」
フリオスの言葉を無視して、おれは話す。
「噴水があるだろう」
「ああ、あるな」
「あれの地下水路は、作ったか」
デルミオがレゴザを見た。
「作ったか、レゴザ」
「デルミオは、すぐ忘れる。ああ、作ったぞ」
やはりか。この猿人ふたりは土木の現場を好んで選ぶ。
つづけて説明しようとしたが、自分の息が荒く、話すのに手間取った。
うしろからミゴッシュがかがみ、口をひらいた。
「南西の壁に、ひびがあるようです。敵がそこをねらい、攻城兵器を打ちつけてきます」
三人が顔を見あわせた。そしてフリオスは、おれをおどろきの顔で見つめる。
「
このフリオスは頭が切れる。気づいてくれたか。おれはうなずく。
「高低差があって不可能ではないのか」
フリオスの言葉にデルミオが反論した。
「お堀からの地下水路を掘りだし、あらたに地表より高く伸ばせばいい。
おれはうなずく。再度、うしろのミゴッシュが口をひらいた。
「一刻で、できますか?」
「無茶言うな!」
三人が声をそろえた。
おれは声をだそうとしたが、気を失いそうになり、椅子の背もたれに体重を乗せる。
「お、おいジバ」
不安そうな声をフリオスがあげた。おれは息を吸い、なんとか声をだす。
「兵器は、お堀に板をわたして設置するはず。そこが火の海となれば作業はできん。たのむ」
人夫の三人は、たがいを見あった。
「水に浮かせた油に火を点けるための、もみがらなどは必要になるでしょうか」
ミゴッシュが言った。
「油だけでは無理なのか」
フリオスが聞き返した。
「ランタンとおなじ。火種はかならず必要です。あの危急の灯火も、うすい木の皮が入っております」
それは、おれも知らなかった。
「資材や用具などは、われら役人の出番でしょう。ジバ殿、いってまいります」
ミゴッシュ、レゴザ、デルミオ、フリオスの四名は人夫をつれ、駆け去っていった。
一刻。それまでにできるだろうか。
おれには待つしかできなかった。となりに座るユガリを見る。ユガリは笑顔を見せ、またおれの手をにぎった。
ひたすらに待つ。まぶたが落ちないように、それと呼吸。このふたつだけ気をつけた。
街は静まり返っている。西の遠くから、まれに聞こえる声は人夫たちだろう。
待ちつづけていると、かすかに、ごろごろと雷鳴のような音が聞こえた。鉄のきしむような音も聞こえる。
これは攻城兵器だ。雷鳴のような音が、だんだんと近づいてくるのもわかる。
「間にあうかどうか、見てまいりましょう」
ペルメドス文官長が歩きだす。待てと、声がでなかった。思わず、ユガリとつないでいる手に力が入った。
「ペルメドスさん!」
ユガリが声をあげた。文官長がおれを見て、駆けよりひざをついた。
「ジバ隊長、なにかございますか」
声をだしたい。それがこれほど、まどろっこしいとは思わなかった。
「
その言葉だけでわかったのか、ひざをついていたペルメドスは立ちあがった。
「伝令兵!」
「はっ!」
「わたくしの
わかってくれたか。一刻は無理だ。敵は鐘が鳴らぬと思い、自分たちで合図を決める。だが、半刻なら。
「伝令兵!」
つづいて文官長は、ちがう伝令兵を呼んだ。
「西、東、南、それぞれの隊は、よその攻撃があっても待機と伝えよ!」
文官長の命令は正しい。敵はふた手に分かれてくるはず。
そして文官長は、再度、おれのまえにひざをつき、おなじ目の高さでおれを見つめた。
「この目で、歩廊の上から確認してきますぞ」
文官長のまなざしは強い。その表情は、もはや文官ではない。総指揮官の顔だ。おれはうなずく。
「ユガリ夫人、ジバ王都守備隊長をたのみます。なにかあれば、これを鳴らしてください。駆けつけますので」
文官長がユガリにわたしたのは、小さな竹笛だった。
歳に似合わず、初老の犬人が南西へと駆けていく。そのうしろを数名の文官が追った。
このレヴェノアという街の大通り。中央の広場には、おれとユガリのふたりになった。
「ユガリは」
ひとこと発しても疲労がくる。だが言っておかねばならないことだった。
「ユガリは若い。このあとも、だれかと家庭を作れ」
妻は答えなかった。苦しそうな顔でうつむいた。
うつむいた妻だったが、おれがにぎった手に力を入れると、顔をあげた。
ふたつ椅子をならべ、手をつないで南西の城壁を見る。あとはもう、待つだけだ。
待っていると、鐘の音が鳴った。半刻ほど遅れた鐘。それと同時に東だ。東門の上空が明るくなった。火車の明かりだ。東に敵がきたか。
グールがうなり、
南西を見る。間にあったのか。お堀に油は流せたのか。となりのユガリも思ったのか、おれの手をにぎる手に力が入ったのがわかった。
火が点いた。それはここからでもわかる。城壁を越える大きな火柱。西から南にかけて、城壁を越えるほどの火柱があがっている。
火のいきおいが強すぎる。これは味方まで巻きこまれないか。耳をすました。悲鳴か。いや、悲鳴ではない歓声だ。
伝令兵が走ってくる。おれのまえにひざをついた。
「ペルメドス文官長より、ご報告。敵は攻城兵器を捨て、撤退しております!」
おれはうなずき、なんとか口をひらいた。
「夜明けまで、警戒せよ」
「はっ!」
伝令兵が駆け去る。
「アトボロス王は、まだか」
伝令兵に聞いたつもりが、駆け去っていたのを思いだした。
あとは夜明けを待つだけだ。待つにはちょうどいい。おれは街の中央にある広場に座っている。いいながめだ。城壁。石畳。そして旧市街の屋根。
自分で造った街。そう言ってもいいだろう。なんとか守れた。
まぼろしのような国だった。人種を越えた情があり、種族を越えた愛がある街だ。
よみがえるのは、ユガリとの暮らしばかり。そしてこの街をよく散歩した。やはり思いだすのは、この街の思いでばかりだ。
「まだだ。軍がもどるまでだ」
口にだした。おれが死ねば、街が死ぬ。街を見つめ、呼吸する。それだけを考えた。
「あなた」
ユガリがつぶやいた。おれの妻を見る。
「もう、休んでも」
ユガリが泣いていた。おれは笑う。笑えているといいが。
「最後まで、おまえを守る」
また街を見つめ、呼吸をした。
いくつもの灯りがある。無数の小さな灯りは、家々の灯りだった。
こんな大きな街の中央に、椅子をならべ、おれとユガリ、ふたりだけだ。
どれぐらい見つめただろうか。長く街を見つめていた。
ふいにちがう歓声が聞こえる。城壁ではない。街のなかからだ。
異常なほどの歓声だった。悲鳴ではない。それはわかる。
「王だ! アトボロス王が帰ってきたぞ!」
歓声が聞こえた。はっきり聞こえた。
聞こえた方角は旧市街。それも居住区が密集したあたりだ。
そうか、地下の貯蔵庫がある。王は地下水道を通り、街へ帰ってきたか。
ユガリを見た。おれの大好きな猿人の娘だった。おれの妻だった。
妻は立ちあがり、おれの頭を抱きしめた。やわらかい腹が、顔に当たる。このやわらかい腹も好きだった。
ユガリを見あげる。大きな目で涙を流しながら、笑っていた。
「おつかれさま、あなた」
おれは目をつむる。
おれの仕事は終わった。
第十二章 ジバ 安息の風 終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます