第250話 三度目の夜襲
大勢の人の気配がして、目をあけた。
気をぬくと、いつの間にか目をつむってしまう。
広場には人があつまり始めていた。ほとんどの者が甲胄を着こんでいる。
「言いそびれたが、結婚、おめでとう」
そう声をかけてきたのは、甲胄をつけた犬人だ。腕には赤い布を巻いている。ならば人夫か。顔をよく見ると、だれかわかった。
「フリオスか。子供は元気か?」
「下の子も生まれた。なんと双子だ」
「それは、めでたいな。
「ああ、まかせてくれ」
城壁の建設で、よくいっしょだった犬人だ。
「ジバ、一杯借りたままだな」
声をかけてきた猿人がふたり。
「レゴザ、それにデルミオ」
早くからウブラ国より移住してきたふたりだ。土木が得意で、この街の用水路がきれいなのは、ふたりのおかげかもしれない。
「借りた代金は、むこうで返すぜ」
デルミオが言った。むこうとは、神話などで言われる冥府のことだろう。
「ああ、待っててやる。利子をつけてな」
おれの軽口にレゴザとデルミオは笑って手をあげ、ならぶ列に入っていった。
今日は、よく人に声をかけられる日だ。昼のときも、ここに座っていると通りがかる人夫たちに声をかけられつづけた。
「これより、配置につく!」
若々しいが、力強い声に顔をあげた。
食卓机をはさみ、おれに背中を見せて立っているのは副長のオンサバロだ。
「日が落ち、半刻ほどは待機。それからの動きは、それぞれ現場の指揮官にしたがうように!」
準備も、打ち合わせも、できるかぎりはした。あとは敵がどうでるか。
おれの座る左右に人が立った。右にペルメドス文官長と、左にミゴッシュ。サンジャオ弓兵副長と、テレネ巡兵隊長は、それぞれひきいる兵士のまえに立っている。
「隊長、よろしいですか?」
オンサバロがふり返り聞いたので、おれはうなずく。それにうなずき返したオンサバロは、今日一番の大声で命令を口にした。
「では、配置につけ!」
あつまった兵士、人夫、文官、役人たちが駆けだしていく。
最初の日と、かまえとしてはおなじ。ただしひきいる者が変わっている。西の門がサンジャオ、東の門がテレネ、南は初日とおなじオンサバロだ。
弓兵と守備兵は、おなじひとつの隊とした。もはや分ける余裕もない。だいたいの数でいうと兵士が千、そのほかの人夫や文官、役人などが千。あわせて二千だ。
この戦力がすべて。テレネのような巡兵隊が東にもいるが、一日で駆けつけられる距離でもない。ボレアの港やラウリオン鉱山にも民兵がいるが、みずからの守りを固めるようにと初日に書簡を送っている。
ここまで敵が夜にしかこないのは、やはり総数が限られているからだろう。おれが敵の指揮官でもそうする。この高い城壁を攻略するのは、昼だとなかなかにむずかしい。
夜襲がくるのは夜ふけ。そう思うが三日目だ。敵が裏をかいて早めにくることもありえる。
「ここから、ですね」
そうつぶやいたのは左に立つミゴッシュだ。緊張した顔をしている。いま、日が完全に沈んだ。あたりが闇に包まれていく。
街の家々に、ぽつりぽつりと明かりが点きだした。
戦時のいま、なるべく明かりは控えるように通達されている。各家に見える明かりは一部屋ほどで、いつものレヴェノアらしい夜のにぎわいからは、ほど遠かった。
歩廊にも
それから一刻ほど待ったとき、西門の上、大きな鉄の皿から火柱があがった。危急の灯火だ。悪い予感が当たったか!
「ジバ殿、東も!」
ミゴッシュの声に東を見る。東門も、おなじ危急の灯火が点いている。
「ふたつ同時か!」
しかし近しいほうの西門から、戦う音が聞こえてこない。
しばらく待っていると、伝令兵がきた。
「西の門、敵は姿をあらわしましたが、すぐに消えました」
それを聞き、おれは手早く灯火が消せそうなものを考えた。
「北西の倉庫だ。舟でつかうような大きな
「はっ!」
伝令兵が帰っていく。
「今回、力押しをやめましたか」
つぶやいたのはペルメドス文官長だった。
東の門からきた伝令も、ほぼおなじだった。グールが見えたがいなくなったという。西とおなじように灯火を消すよう伝える。
敵は人数が増えたのか。いや、それも考えにくい。余力があるなら初日にぶつけてくるはずだ。
「ジバ殿、これはどう見られますか」
ミゴッシュが聞いてきた。おれとしては、それほど意外でもない。
「よくやる手だ。あらわれたり消えたりで、敵の混乱と疲労をねらう」
「では灯火をつかうよりも、昨日とおなじ笛で知らせますか」
ミゴッシュにうなずく。若き役人は伝令兵を呼んだ。
「西から東までの広範囲で、まきを投げておきますかな。敵が近づけば、明かりでわかりやすいでしょうし」
ペルメドス文官長の案も正しい。おれはうなずき、文官長も伝令兵を呼んだ。
軍師ラティオはいないが、今日は賢者の補佐がふたりもいる。そんな気分になったが、付け加えることもある。
「それと、火矢がつかえる者を二十名でいい。王の城で待機」
「なるほど。落とし穴に敵がはまった準備ですな」
文官長が、さらに伝令を呼ぶ。
敵はやはり、こちらを疲れさせたいのか、西、南、東と巡に笛の音が聞こえたが、その音色はすぐにやんだ。
そして北から笛の音が聞こえた。そのあとに伝令兵がくる。
「北にグール。何匹か罠にかかりましたが、ほかは逃げだしたもよう!」
まずこちらのようすを見たか。そして、こちらが用意周到だと知っただろう。必ずこういうときは、いったん大きく引く。敵は作戦の練りなおしや、各小隊に知り得た状況を伝える必要があるからだ。
「半刻ずつ、休憩をとらせる」
ペルメドス、ミゴッシュ、ともにおどろいた顔をしたが、手分けをして伝令をだした。
「文官長」
「はい」
「おれが死んだら、引きついで指揮を」
ペルメドスは答えなかった。
「ミゴッシュは補佐を」
「はい」
若き役人は、すぐに答えた。おれは右に立つ文官長を見あげる。
「国父ペルメドスよ」
「わかっております。ですが、軍を持ったことがなく、兵に命令したこともございません」
そうか、そういえば、国となるまえのレヴェノアは、都からの派遣兵でまかなっていたと聞く。
「文官長、頭は、おれより切れるのだ。あとは思いきりやればいい」
「人の命がかかっている。そう考えてしまいます」
「死なばもろとも、そう思えばいい」
この男の芯は太い。それは、これまで長くをともにしてわかっている。兵士への命令は、たんに経験がないだけだ。
「レヴェノア建国よりここまで、武官のかたに、どれほど甘えてきたのか。それを痛感しております」
甘えてはいないだろう。このもと領主は涼しい顔をしているが、激務をこなしている。それは人夫をしていたときから、ひしひしと感じたことだ。
そこから一刻ほどは、なんの動きもなかった。
そしてふたたび、西から笛の音があがる。今度は攻撃もあった。矢が城壁に当たる音が聞こえるので、すぐにわかる。
だが、それも短かった。西の門をはさんだむこうの空に、火車と思われる明るい光が見えた。すると、敵の攻撃する音はぴたりとやんだ。
ペルメドス文官長が、おれのほうをむき意を得たりといった顔でうなずいた。
「すこし攻撃して逃げる。今度はそれのようですな」
おれもそう思った。
「応援にまわるほうも手間ですな」
文官長の言うとおり。西の門が攻撃されると、東の門から走って応援に駆けつけるのだ。それだけで疲れる。
「人夫の六百は、中央に置きますか。ほんきの攻撃がくれば、中央から駆けつける」
文官長の案が、いいかもしれない。その案に、おれは付け足して言う。
「敵がくればまず笛の音、次に応援の要請をするときは灯火、その二段階でいこう」
もと領主はうなずき、まず西の門にいる人夫を呼んでくると、みずから歩いていった。
おれは椅子に座ったまま、文官長の姿が城壁に消えていくのをながめた。それから左に立つ若き役人に話しかける。
「ミゴッシュ」
「はい」
「おまえのほうが頭はいいと思うが、軍人として言っておく」
「はい、お願いします」
「戦闘が激しくなったときは、指揮官に意見をするな」
「しまった。でしゃばりましたか」
「いまではない。このあとの話だ。それもペルメドスが指揮をする場合だ」
「だまって聞くと」
「それもちがう。質問はしろ。見落としもでる。だがそれは質問という形だ」
ここまでの説明で、ミゴッシュはわかったようだ。大きくうなずいている。
ペルメドスが帰ってきた。そのうしろには大勢の人夫をつれている。
人夫の数人に椅子ごと持ちあげてもらった。おれも大通りの中央に移動する。だが、ゆられたのが悪かったのか、また具合が悪くなってきた。
中央に着き椅子をおろしてもらうと、おれの表情で察したか、ミゴッシュがすぐに声をかけてきた。
「ジバ殿」
「フィオニ夫人を呼んでくれ」
「代わりに、わたくしが」
聞こえた声はベネ侍女長だった。すこし離れた場所に待機してくれていたか。
「夜分に申しわけない」
「フィオニは、奥さまといっしょです」
ユガリのそばにいてくれるのか。それはありがたい。
ベネ侍女長が癒やしの祈りをとなえ、まえほどの効果ではないが、すこし気分がよくなった。
「店主のヘンリムに」
「まかせとけ」
おれが名を言うと、これもすぐに声がした。駆けだしていく犬人の背中が見える。ずっと座った体勢で気づかなかったが、ヘンリムも近くにいてくれたのか。
ヘンリムが帰ってくるのを待っていたが、耐えがたい疲労感がくる。思わず、おれは目をとじた。
「文官長」
「はい」
「しばらく指揮をたのむ」
聞こえただろうか。
「かしこまりました」
すこしの間があき、文官長の返事があった。
目をとじていると、笛の音だけが、ときおり聞こえてくる。
手に冷たい杯を持たされ、おれは気がついた。目をあける。
おれに杯を持たせたのは、酒場の店主ヘンリムだ。湧き水を汲んできてくれたか。
冷たい水をひとくち飲む。ヘンリムに礼を言い、杯を返した。
すこし気を失っていたのかもしれない。この大通りの中央にある広場には、すでに甲胄をつけた人夫が全員あつまっていた。
「戦闘はあったか?」
ペルメドス文官長に聞いてみる。
「はい、さきほど南で。いまはもどり、待機しております」
やはり、すこし気を失っていたようだ。
しばらく待っていると、また西から笛の音が聞こえた。
ふりむこうとしたが、また疲労感が襲ってきて首が動かせなかった。みながグールと戦っている。それなのに、おれは自分の命と戦っているだけだった。
だが、それでも戦うべきだ。せめて自分の命とは戦う。軍が帰るまで、おれは死なんと決めた。
呼吸が荒い。まずは呼吸をととのえようとこころみた。深く息を吸い、そして吐く。
また目をとじている自分に気づいた。目をあける。
「水を」
やはりヘンリムは近くにいて、おれに杯をさしだした。ひとくち飲む。
「ベネ侍女長、癒やしを」
昨日から何度かけたか。水の癒やしをかけてもらい、ほんのすこし気分がよくなる。
これは余力があるうちに、考えないといけない。
にぎる指が白くなるほど、ひじかけを強くにぎった。だが、その感触も、どこか遠いものに感じた。
おれの命、その残りがすくない。あせるような気持ちで、おれはこの戦いについて思案を巡らせた。
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