第248話 静かな戦い
また西門の外が明るくなる。
サンジャオが、外に置いた火車に火矢をかけたからだ。
耳をすました。グールの襲来を知らせる笛の音は聞こえない。そして城壁の外からも、物音ひとつ聞こえなかった。
ひょっとして今日は、きていないのではないか。そんな甘い考えが浮かんだが、すぐに打ち消した。
敵だと、どう思うだろうか。西門には、これみよがしに火車がある。そのすべてに火がつけば、かなりの明るさと熱さになる。
火車の置かれた西は攻めにくい。かといって、さきほど東の門に兵をあつめるような動きを見せた。東の門で待ち伏せ。そう思うはずだ。
「テレネ隊長」
テレネと巡兵隊の百名は、いまこの広場に待機していた。
「南の城壁にあがり、なるべく姿は見せず、いっせいに掛け声だけあげてくれ」
犬人の女性隊長はうなずき駆けていく。そのうしろを巡兵隊の百名も無言でついていった。
「なかなかに、組織されてますな」
ペルメドスの言葉には、うなずくほかない。巡兵隊は農業をしながらの民兵だ。それでもこちらの兵士とくらべて遜色がないほど、
しばらく待っていると、南から「おう!」という大勢の怒号が聞こえた。もしいま、敵が南側を探っていれば、それこそ心臓が止まるほどおどろいているはずだ。
「ジバ殿」
おれの名を呼び、
「ご用意できました。あとはいつでも」
「ありがとう、ミゴッシュ」
ペルメドス文官長が、こちらを見て首をかしげている。
「ジバ隊長、そのかたは」
「おぼえがないか。役所の一階で働く役人だ」
おれとユガリが結婚の届けをだしにいったときに、一階で出会った若者だった。
あとでわかったことだが、長衣を着ているので文官かと思ったが、その下で働く役人だった。
「ジバ王都守備隊長とは、おなじ学舎に子供を通わせておりますので」
ミゴッシュはそう言い、上司であるペルメドスに頭をさげた。そうなのだ。若いがサラビーゴとおなじ歳の子供がいる。
「文官長、悪いが勝手に役人を三百ほど、借りている」
「三百!」
おれの言葉におどろく文官長に笑えた。テレネがきたあと、文官長とオンサバロ、それにサンジャオには仮眠をとらせた。そのあいだに計画したことなので、知らないのはとうぜんだ。
それはさておき、おれは若き役人に言った。
「では、たのむ」
「かしこまりました」
ミゴッシュは頭をさげたが、椅子に座ったままのおれを見つめた。その表情は暗い。
「すまんな、ミゴッシュ。いつか酒でも飲もう、そんな話をしていたのにな」
「いえ。朝に学舎のまえで、いくども話をさせていただきました。あのときを人生の宝のひとつにさせていただきます」
そう言って、もういちど頭をさげ、若き役人は去っていった。
しばらく待つ。すると、ペルメドス、オンサバロが、ともに王の城を見あげた。
始まったようだ。南にむけた椅子に座っているおれも、からだをひねり王の城を見る。
五つの巨大な段になった城。そのそれぞれの屋上には
「どこから甲胄を・・・・・・」
おどろくペルメドスに、おれは答えることにする。
「歩兵一番隊の倉庫だ。おれは鍵を持ってないが、壊して盗んだ」
ペルメドス文官長が笑った。
「ドーリク隊長に怒られますな」
歩兵隊が帰るまで、おれはもつだろうか。さきに着くのはボルアロフ、ネトベルフの騎馬隊になるはずだ。
「しかし、見事。役人のはずが、ここから見ると歴戦の兵士に見えます」
「文官長、あの若い役人は賢い。遠くの国から家族でこのレヴェノアにきたそうだ。早めにつばをつけておかないと、ボンフェラート宰相に取られるぞ」
優秀な部下を三大老は取りあっている。そんな冗談を聞いたことがあった。
「しまった!」
からだをひねりすぎ、まえに倒れた。手を突いたが、石畳で顔を打つ。
「隊長!」
すぐにオンサバロが起こしてくれた。
「フィオニ夫人、まだいたのか」
歩兵三番隊長の妻は、おれの顔についた砂をはらってくれた。
「オンサバロ、
「隊長!」
泣きだしそうなオンサバロにつづけて言った。
「軍が帰るまでは、意地でも死なんと決めた。それがこけて頭を打ち死んだのでは、なんの意味もない」
オンサバロではなく、フィオニ夫人がうなずいた。
「わたしが、持ってきましょう」
城壁にある兵士の食堂にいったフィオニ夫人は、縄だけでなく、濡らした布も持って帰った。それで顔をふいてもらうと、すこし生き返った気分になる。
「文官長」
縄で椅子の背もたれに縛りつけてもらいながら、ペルメドス文官長を呼んだ。
「相手がしびれを切らし攻撃に転ずるまえに、次々と変えたい。一刻ではなく、半刻ずつ、こちらの状況が変わるように」
ペルメドスはうなずき、考えこむ顔をしながら城壁を見つめた。
「では、ここまでと真逆にいたしますか。いまの状況は明かりがなく、しかし兵の気配はあるというもの。次は、明かりはあれど人の気配はなしと」
それは妙案だった。
念のため、西と東の門には五十ずつ。巡兵隊を分けて階段などに隠れてもらう。
ペルメドス文官長は、何名かの文官に指示をだした。城壁には身を伏せて見はる百名の文官がいるはず。それをつかって
城の屋上にあった篝も消え、レヴェノアの街は城壁ごと、真っ暗闇となった。
「しばしお待ちを。いっせいに点火しますので」
ペルメデスが言った。いっせいにとは、どうやるのだろう。
そう思ったとたんのことだ。
点いているのは歩廊の
鐘の音はペルメドス文官長の
おれの椅子は南へむけていたので、視界いっぱいに火の手があがったように見えた。
「これは、敵もおどろくだろう」
感心して感想を述べたが、さらに感心したのは、東西を結ぶ大通りだ。そこにある石の灯籠にも火が灯ってある。
その明かりに照らされた石畳の大通り、荷車を引いている男がひとりいた。
「この夜、外出は禁止と通達しておるのですが」
ペルメドス文官長が言う。兵士ではない。犬人の男だ。
「あれは、まさか、王の酒場の主人」
よこに立つオンサバロが言った。おれは顔までは見えなかった。すこし視界もぼやけてきている。
ヘンリムは荷車を引き、われわれのもとにくると、大きく頭をさげた。
「差しでがましいですが、滋養のつく汁でもと思いまして。具もなにも入ってねえ汁です。牛の骨と野菜を煮こんで作りました」
食欲などなくなっていたが、汁なら飲めそうな気がする。
「すまんな。ではすこしもらおう」
荷車に鍋を載せてきたようだ。木の器にそそぎ、木のさじをそえて差しだしてくる。
おれは受けとり、手もとに持ってきた瞬間、匂いで気分が悪くなった。
「せっかくだが、飲めそうにない。オンサバロに」
となりの副長にわたそうと思ったが、ヘンリムは首をふった。
「うすい味で、おいしいもんじゃございません。オンサバロ様が飲むんなら、作りなおしてきますんで」
おれ用だったというわけか。
「すまんな。手間をかけさせたのに」
「いえ。未熟で、申しわけねえです」
おれが手にしていた木の器をヘンリムは受けとり、深々と頭をさげた。
「これは、どういうことです!」
怒った口調で駆けてきた若者がいた。近くまできてわかった。弓兵のタリックか。今日、いや日付は変わったので、昨日の昼に会った。フーリアの森からきた若い犬人だ。
「敵がくるのは、明日の夜ではなかったのですか!」
このタリックだけでなく、兵士にはそう伝えてある。敵は大きく距離をあけ、もういちどくるのは明日だと。
「兵をだましたのですか!」
そのとおりで、ぐっすり寝かせるための
そこへもうひとり、歩いてくる人影があった。テレネ巡兵隊長だ。次の展開を聞きにきたか。
テレネ隊長は早足で歩く速さのまま、タリックに近づき胸ぐらをつかむと吊りあげた。
たいしたもので、テレネが上に伸ばした腕の高さにより、タリックのかかとは浮いている。
「いますぐ、でていきなさい」
「なにを、おまえ!」
「重傷を負いながらも指揮をするジバ隊長へ、かける言葉がそれですか」
タリックはおれを見た。椅子の背もたれに縛った胴に目を止め見ひらく。
「自分のことしか考えていないから、まわりが見えない。足手まといです」
テレネ隊長は、さらにぎりぎりと胸ぐらを持ちあげたが、その手をそっと押さえたのは、こちらも次の展開を聞きにきたサンジャオ弓兵副長だった。
「まだ若いんだ。こらえてやってくれ」
「若い? アトボロス王の臣下たる者が、若さを理由にしますか!」
それは
「これでも、弓の腕は見るべきところがあるんだ」
「わたしなら、隊を辞めさせる。いつかこの男は、みなに迷惑をかける」
ひじかけをつかみ、からだを背もたれに押しつける。
「隊長!」
オンサバロの声に答えようと思うが、声がでなかった。
「ジバ隊長の足もと!」
テレネの声だ。下を見る。足もとだけではない。おれの服、それに椅子も濡れている。
オンサバロが足もとの濡れた石畳をさわった。よせ、汚いぞ。その言葉もだせなかった。
「血です。フィオニ夫人!」
血の小便だったか。強い打撃を受けると、血の小便がでることはある。心配するな。そう言おうとしたが、視界が暗くなった。
暗いと思ったが、明るくなった。明るい流れがある。水の流れだ。おれはひんやりとした水の流れに
「目を、おあけなさい」
女の声だ。目をあける。老婆ではない。だが、そこそこ歳のいった犬人の女性がいた。
「ご気分は、いかがですか。ジバ王都守備隊長」
そう聞かれて、目のまえの婦人がわかった。王の城、
すこぶる悪い。そう言おうとしたが、言葉はでなかった。
「オ、オンサバロ」
なんとか声をだした。半刻ずつ次の展開に変えないといけない。
「副長はいま、城壁へでむいています。ご安心なさい。敵はきておりません」
それを聞いて安心した。そして自分の荒い息にも気づいた。声をだすために、呼吸に集中する。
「どうにか、できるか?」
やっと声がだせた。ベネ侍女長が、深いため息をつくのが聞こえる。
「水の精霊は命の力を与えますが、強すぎる命の力は、からだを燃やしつくしてしまうのです」
この侍女長は、できないとは言わなかった。それはわかった。
「やってくれ」
ひとこと返すのに、やたらと力がいる。
侍女長は、よこをむいた。おれもなんとか首を動かし見る。よこにいたのはフィオニ夫人だ。
おれの右肩に手を置き、フィオニ夫人はなにかをつぶやき始める。水の精霊があつまってきた。
「
その言葉で、あつまった水の精霊が入ってきた。冷たさを感じる。
左の肩にも手を置かれた。こちらはベネ侍女長だ。なにかをとなえているが、さきほどのフィオニ夫人とはちがう言葉だった。
水の精霊はあつまってくるのではなく、おれのからだを貫通していく。そしていくつかが、すでに体内で流れていた水の流れに合流する。
「
最後の言葉で、まわりにいた水の精霊がもだえ狂うようにからみあい、おれのなかへと入ってきた。
足のさき、そして手の爪のさきまで、水の走る冷たさをを感じる。
「どのぐらい、これでもつか」
ベネ侍女長にむかって聞いた。この侍女長は、いつもほがらかな笑みをたたえていた印象がある。いまその口もとに笑みはなかった。
「これは、お師様であるメルレイネ様から教わった古代の精霊術。教わりはしましたが、つかったことはございません。ものの数刻なのか、一日なのか」
やってみないとわからない。そういうことか。
「それでも、声はでるようになった。礼を言う」
呼吸も楽になっていた。
足音が聞こえ、西の門を見た。こちらに歩いてくるのは、オンサバロ副長、サンジャオ弓兵副長、テレネ巡兵隊長だ。
「オンサバロ、次の展開だ」
「いえ、おそらく敵は去りました」
東の空を見る。白み始めていた。
「なんとか、ひと晩しのいだか」
「はい、隊長」
これで
「隊長、人が」
オンサバロに言われ、大通りを見た。ところどころの路地から、男たちが大通りにでてくる。
まだ夜明けまえ。それに、外出禁止のはずだ。
そしてこちらに歩いてくるのは、むさ苦しい男ばかりだ。次々と大通りを歩いてくる。
大通りを歩いてくると、おれのまえで立ち止まった。また次にひとり。だんだんと、おれのまえに人があつまってくる。
その顔のひとつひとつに、おぼえがあった。兵士ではない。
そのまま半刻ほどたち、日の出の光が差すころには、おれのまえには大勢のむさ苦しい男が群れをなしていた。
この夜明けとともにあつまる仕事を、おれはよく知っている。
そしてひとり、こちらをむいてあつまる集団のまえに、歩みでた初老の犬人がいた。
初老の犬人は顔をあげ、悲しそうに、おれを見つめる。
「無理を、しすぎたな、
声をかけてきたのは、よく知る大工の棟梁、ダリム親方だった。
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