第247話 二度目の夜襲
「隊長、ジバ隊長」
オンサバロの声に目がさめた。
敵の夜襲に対する用意を済ませ、いつの間にか、おれは寝ていたようだ。
「おまえ、もう起きたのか」
この猿人の副長には、仮眠をとるよう命令したはずだ。そのために今日の準備は、テレネ巡兵隊長にひきうけてもらった。
「あと二刻で日付が変わります」
なんと、いつの間にか寝ていただけでなく、もう夜ふけか。
「起こしてくれるか」
「はい」
からだを起こしかけて、すぐに目のまえが白くなった。
「待ってくれ。気を失う。いちどさげてくれ」
天井を見つめた。おれのからだが、ここで限界なのか。
「伝令兵をつかい、フィオニ夫人を呼んでくれ」
おれがそう言うと、次にオンサバロが伝令兵を呼んでいる声が聞こえた。
「あと、だれかいるか」
「ペルメドスがここに」
「おりも、起きたぞ」
「おれ」を「おり」となまるのはサンジャオ弓兵副長だけだ。それにペルメドス文官長もいるか。
このふたりにも、夜にそなえ仮眠を命じていた。おれは寝るつもりもなかったのに、いつの間にか寝ていたようだ。
「ペルメドス文官長」
「はい」
「文官の見はりは?」
「打ち合わせどおり、百名によって全方位を見はらせております」
「二刻ほどで交代するのを忘れないでくれ」
「かしこまりました」
見はりが日常的な軍人だと、心を無にしていくらでも見はりをする。だが一般では、二刻も立っていれば精一杯だ。注意力も集中力もなくなるはず。
「ほんとに賭けだな、こりゃ」
サンジャオがつぶやいた。
「どのみち今夜に戦えば、生き残る者はいないだろう」
ただでさえ数がすくなく激戦だったのに、寝ずに二度目の夜襲など戦えるわけがない。それならば開き直る。もはや見はりは文官にまかせ、兵士のすべてをひと晩ぐっすり寝かせると決めた。
それでも、相手には兵士がいると思わせないといけない。
「そろそろ、
だれかが部屋に入ってきた。この声はテレネ巡兵隊長。
巡兵隊の百名が、この晩に偽装の役を演じる。
「テレネ隊長」
「はい」
「すこし、待っててくれ」
テレネ隊長は答えなかった。
昼におれと会ったときも、ひとことも発しなかった。おどろいた顔をして、それだけだ。
「ジバ隊長、フィオニ夫人です」
あおむけで天井を見ているおれの視界に、のぞきこむフィオニ夫人の顔が入った。
「すまない。もういちど」
「わかったわ」
フィオニ夫人がひたいに触れた。水の精霊による癒やし。それが終わり、やっとおれは上半身を起こすことができた。
「お待たせした、テレネ隊長」
「まるで死人を見るような顔だな。まあ、それも正解だが」
軽口をたたいてみたが、テレネは真面目にうなずくだけだった。
「
「承知しました、ジバ隊長」
テレネ隊長は
「入口の扉をあけてくれ」
オンサバロが入口の扉をあけた。
「この部屋の明かりも、いったん消したい。外の雰囲気をなんとかつかみたいのだ」
おれの言いたいことは伝わったようで、だれも文句は言わない。部屋にあったランタンの明かりが消された。あけた扉と窓から、うっすら光は入ってくる。
その入ってくる光が弱くなった。巡兵隊百名の働きにより、城壁の
敵は、この街を見はっているはず。城壁の明かりが消え、どうしたのかと思うだろう。
しかし、やはり部屋のなかからでは見えにくかった。見えにくいというより、つかみずらい。
「オンサバロ、おれを背負えるか?」
「もちろんです。いくらでも」
長身の副長に背負われ回廊にでた。
上の歩廊にある
ちょうどそこに、テレネ巡兵隊長が帰ってきた。
「ジバ隊長、上はすべて消しました」
「回廊にそなえつけのランタンも、いちどすべて消してくれ」
「歩廊だけではなく、回廊まで真っ暗になります。平気ですか?」
「異様、まさに異様だと、敵に思わせたい。一刻だけだ」
「わかりました。すぐに」
駆け去るうしろ姿を見て、ふいに思った。
「オンサバロ、われら守備隊は、
たった百名の救援。されど疲れていない真っさらの戦力だ。すべての兵士が休めるのは、テレネひきいる巡兵隊のおかげだった。
オンサバロも感心するように口をひらいた。
「近所の者から話を聞きつけ、すぐに人と馬をあつめたと聞きましたが」
そう、彼女の住まいは、この街から馬で一刻ほどの小さな村だった。グラヌス総隊長が
「歩廊にあがってくれるか」
「はい」
背負われたまま歩廊にあがる。
「そうか、街自体も明るいか」
歩廊の上から見るとわかる。夜の闇のなか、この円形にまとまった街の明かりは、
光の柱かと思うほどに目立つ。
「街におりてくれ。いや待て」
城壁から見る街の明かり。きれいなものだった。だがこの夜の景色も、もう見ることはないかもしれない。
「よし、地上におりてくれ」
ひとことも文句を言わず、オンサバロはおれを背負って階段をおりた。
西門まえの広場に着く。
「明るいのは、石の
西と東を結ぶ大通り。そこに間隔をあけてならぶ石の灯籠だ。家々の明かりより、その灯籠の明かりが強い。
「ジバ王都守備隊長」
ペルメドス文官長の声だ。追いかけてきたか。
「文官長、一刻のあいだ、石の灯籠を消したい」
「承知しました。すぐ手配いたします」
副長の背中でゆられつづけたからだろうか。視界がうっすらとなってきた。
「オンサバロ、どこかにおろしてくれ」
右に左に、オンサバロが周囲を見た。
「噴水の階段に」
広場のはしにある噴水か。すり鉢状の階段になっていて、演劇場の客席にもなる。
オンサバロは早足で歩き、噴水の階段におれをおろした。
「座ってみると、便利だな。背もたれになる」
階段と客席を兼ねているので、通常より段の高さがある。背をもたれさせ、夜空を見あげた。
「部屋に、もどりますか?」
「いや、やはり外のほうがいい」
部屋のなかより外のほうが、なにかしら感じるものがあった。風とも音とも言えるが、気配のようなものとも言える。
「なら、
「すまんな、サンジャオ」
聞こえた声に答えておく。
しばらく待っていると、サンジャオが椅子を持ってきた。ひじかけの付いた立派な木の椅子だった。
「広場の中央、南にむけて置いてくれ」
敵は北からくることはない。王は不在で城を攻める意味はないからだ。敵がねらうのは西か東の門しかない。
「これほど守りやすい街も、人生で初だな」
思わずつぶやいたが、聞いていたオンサバロも大きくうなずいていた。
もういちど背負われ、広場の中央に置いた椅子にかける。東の城壁から南の城壁も見えた。
ふと思いついたことがあったが、あまりいい案ではない。
「王の居室に明かりを点ければ、敵はおどろくと思ったが、駄目だな。この街の市民まで混乱してしまう」
椅子のよこに立つオンサバロが、ふり返り北を見つめた。
「そうですね。わが国の心のよりどころですから」
「よりどころか。あまりそれを思ったことはなかったが、皮肉なことに、いまもっとも会いたいのは、グラヌス総隊長でもなく、ラティオ軍師でもなく、あの少年だな」
ひとつの国にとどまった月日を数えてみれば、おれはこのレヴェノアがもっとも長い。それはつまり、あの少年に
ふいに暗くなった。大通りを見る。石の灯籠が消されたようだ。
東から西までの城壁を見る。明かりの消えた城壁は、黒い壁のようだった。
足音がふたつ聞こえた。ペルメドス文官長、そしてテレネ巡兵隊長だ。
そのあとにサンジャオ弓兵副長もきた。手に鉄の弓を持っている。この椅子を持ってきたあとに、取りにいっていたか。
「サンジャオ、火車にひとつ、火矢を放ってくれ」
「わかった」
弓兵副長が去っていく。
「すまん、もうすこし、門から離れたい」
残る三人にむかって言う。ペルメドス、オンサバロ、テレネの三人により、広場の中央ではなく、そのうしろまで椅子ごと移動してもらった。
西の門を見つめる。その上の空が、急に明るくなった。
「こんなに、明るいのね」
作った本人、テレネ巡兵隊長がつぶやく。
このテレネが、昼にあらわれたあとだった。武官も文官も総出となり、火車を作った。
火車とは呼び名のとおり火をつけるものだ。荷車の上に麦わらを山のように載せて縛り、そこへ油をたっぷりと吸わせる。火矢によって火をつければ、それは
その火車を、西の門からでた外へいくつも置いてある。そのひとつへ、さきほどサンジャオは火矢を放った。
そしてもうひとつ。昼のあいだに大量に作ったものがあった。
「テレネ隊長、両手に松明を持ち、西から東へと歩廊を走ってくれ」
「わたしが連れてきた巡兵隊は百。明かりは両手。つまり、二百の兵が東へ駆けたと、思わせたいのね」
「そして悪いが、なかの大通りをもどり、もういちど」
「つまり、四百の兵が動いたと見せる。わかったわ」
テレネが駆けだしていく。
さてこれを敵はどう見るか。
この
この街にいる密偵や内通者は、外にでられなかったはずだ。城壁に見はりは常にいる。縄ばしこをおろして逃げるのも無理だ。
まえにあったような抜け穴も、いまでは不可能だろう。城壁の一階にある倉庫や馬房は、守備隊がきっちりと定期的に点検している。
アッシリアの兵士、そしてグールを操る者。敵のふたつは、こちらの内情を知る
平地での戦いであれば、どれほど敵を倒したか
正確な数もわからない相手が、思わせぶりな行動を取る。おれが敵の指揮官だったならば、とてもじゃないが突撃できない。
そしてまだ二日目だ。この国の本隊は遠くウブラの地にあり、アッシリアとしてはあせる必要がない。
それでも敵は攻めるのか。または、ようすを見るのか。
オンサバロも、ペルメドスも、だまっていた。耳をすましているのだろう。
見はりに立つ文官には、各ひとりに笛を持たせてある。グールがくれば鳴らす
笛は、竹のえだを切って作った小さなものだ。城壁の建設でつかっていた。あまりに多くの人手だったので、各現場の役人がつかうようになったのだ。それがこんなところで役に立つとは。
城壁の上、西から東へ明かりの集団が動いた。松明を持ったテレネの巡兵隊だ。
なにも音は聞こえなかった。レヴェノアの街は静まりかえっている。
「もう、真夜中ですか」
ささやくような小さな声でオンサバロが言った。
「ここから夜明けまでが勝負だ」
おれの言葉に、オンサバロもペルメドスもうなずいた。
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