第193話 人質

 城でもっとも高い場所、五階の屋上にあがる。


 屋上は暗かった。上空に星は見えず、月もでていない。


 背後に広がるレヴェノアの街に明かりはあるが、城壁の外となると真っ暗だ。


 その闇夜のなか、動くいくつかの灯りがある。こちらに近づいているのは確実だ。


僭称せんしょうの王、アトボロス!」


 大きな声が、夜の静けさのなかにひびいた。


「僭称か。別に身分をいつわってるつもりもねえが」


 あきれたようにラティオ軍師が言った。


 王の顔を見る。アトボロス王は、城に近づく火をじっと見つめていた。


「いますぐ、おりてこい、私と勝負だ!」


 革のよろいをつけているので敵兵にはちがいない。しかし、なにを言っているのだろうか。それで勝負する王はいない。王でなくとも勝負しない。いや逆だ。王である者こそ、ぜったいに勝負などしない。


「亡き父のかたき、この手で取ってみせようぞ!」


 その言葉で、思わずラティオ軍師と見あった。


「おいイーリク、あれがうわさの・・・・・・」


 私はうなずいた。


「第一歩兵師団、八番隊長、ダリオンです」


 今日に討ち取られたのは父親、フォルミヨン第一師団長だった。


「イーリク、あいつは今日の戦場にいたか?」

「いえ。姿は見ませんでした」

「ならば、やつの父は、負けを覚悟していたのかもな」


 そうなのだろうか。私は功をあせって出陣したのではないか、そう思っていた。だが軍師の予想は正しいかもしれない。


 さきほどラティオ軍師も言っていた。わが軍の隊長は、もとコリンディアばかりに見えると。それならば、王都から重圧をかけられたのではないか。責任を取ってこいと。


 フォルミオンは王族の末端だった。国からでなくとも、貴族のなかからでた声、そんなこともありそうだった。


 その息子、ダリオンの姿が見えた。馬に乗り、片手にはランタンを持っている。


 そのほか、いくつか灯りがあった。おなじくランタンを手に馬に乗っているのは部下だろう。数は五人。そのほかに馬車も連れている。


「アトボロス、どこだ!」


 灯りを持つむこうは見えるが、むこうから屋上の暗がりは見えないだろう。


 この屋上にいるのは、アトボロス王、ラティオ軍師、ヒューデール軍参謀、私の四人。そしてうしろに護衛がふたりいた。王の居室まえで護衛していた近衛兵だ。


 音をさせないように屋上のよこへ歩く。石壁の上から、となりの屋上をのぞいた。一段下の四階屋上には、王都守備兵の姿がある。さすがに駆けつけていたか。守備兵の数は二十ほど。


 それに弓兵の姿もある。小柄な猿人の姿を見つけた。サンジャオ弓兵副長だ。


「返事がないなら、領民をなくすぞ!」


 ダリオンのさけんだ意味がわからなかった。領民とはなんだ。見ると連れていた馬車が動いていた。


 馬車は荷車のようなものを引いていた。そこに三人の男が立っている。


 いや、立っているのではない。柱が三つあり、そこに三人の男が縛られていた。柱の上にランタンがあり、それぞれの姿が見える。若い男がひとり、老人がふたりだ。


「なにをする気だろう」


 小さな声で、アトボロス王が言った。


「アト、あれは領民ではない」


 これも小さな声で、ヒューデール軍参謀が答えた。


「近くの村だが、このレヴェノアに属する村ではない」


 そうか、ダリオンたちの灯りは北から近づいてきた。適当な村を見つけ、連れてきただけか。レヴェノアに属する村は、すべて城より南にある。


 わが国の諜知隊は、ダリオンの動きを早くからつかんでいたのだろう。だからヒューデール軍参謀は、王を早く寝かせようとした。臣下だけで対応するために。


「アトボロス王、でてこい。領民が死ぬぞ!」


 馬鹿息子は、やはり馬鹿息子らしい。諜知隊によって、すでに嘘はあばかれている。えても無駄だ。


「答えぬなら、実行あるのみ!」


 ダリオンの声がこだました。


「おいおい・・・・・・」


 ラティオ軍師がつぶやく声が聞こえた。それとかめを倒すような音が聞こえた気もする。


 ダリオンが馬をおりる。そして手に持っていたランタンを三つの柱がある荷車へと投げつけた!


 荷車の台座から、急に大きな炎が燃えあがる。絶叫だ。柱に縛られた若い男の絶叫が聞こえた。


「そっちの自国民だろうが!」


 ラティオ軍師が怒りを押し殺した声でつぶやく。


 縛られた老人ふたりのさけび声も聞こえ始めた。


 そのとき風を切る音がした。気づけば、老人の胸には矢が突き立っている。


 つづけてさらに音が鳴った。二回音が鳴り、柱に縛られた若い男と、もうひとりの老人にも矢が刺さった。


 私はへりに駆けより、四階の屋上を見た。矢を放った体勢でいたのは、やはりサンジャオ弓兵副長だ。


 さけび声は止まった。


「ダリオン!」


 アトボロス王がさけんだ。


「そこを動くなよ!」


 王は大声をあげ、ダリオンのいる北に背をむけた。


「王よ!」


 私はアトボロス王のまえに立った。


「王よ、これは、あきらかにわなです」


 アトボロス王が、私を見た。王の表情に、一歩さがりそうになる。これほど怒りの表情を見たのは初めてだった。


 私をよけて、王は進む。


「ふたりは、止めないのか!」


 私はさけんだ。ラティオ軍師、ヒューデール軍参謀、ふたりとも無言だ。


 らちが明かない。私は追いかけるために走った。


 最上階である五階の廊下におりる。部屋の扉はあけはなたれ、王の気配はない。ここから下におりる階段はひとつ。だが四階から階段は三つある。王だけは、そのすべてをつかえた。どの階段をつかうのか。


 アトボロス王を追いかけるのはあきらめ、二階へと駆けた。近衛兵の詰所がある。そこにはゴオ近衛隊長がいるはずだ。


「ゴオ殿!」


 大声で呼びながら扉をあけた。ゴオはいた。小さな鎖を編んだようなよろいを着こんでいる。


「イーリクか。間にあわぬぞ。棚にある盾と剣は好きにつかえ」


 ゴオ近衛隊長は剣を背中にかけた。


「ゴオ殿!」


 この五英傑に王を止めてもらおう、そう思い駆けてきた。だがゴオ隊長は部屋を去っていく。あわてて棚にある盾と剣を持った。


 城の一階に駆けおりる。入口の巨大な扉は、あけはなたれていた。アトボロス王が通ったにちがいない。


 城からでると、地上にアトボロス王の背中が見える。そのうしろには、ゴオ近衛隊長もいた。


 必死で追いかける。わが人生で、これほど必死に走ったことはないというほど、必死で階段を駆けおりた。


 王は西の門へとむかっていた。やっとの思いで追いつく。


「王よ!」


 さけんだつもりが、全力で走ったあとで、弱々しい声がでただけだった。


 うしろから数人の兵士も追いついてくる。その兵士たちも全力で走り、息が切れていた。甲冑をきておらず、革の胴当てをつけた軽装備だ。


 どこの隊かと思ったが、腕輪に気づいた。いま王とともに走っている兵士は、すべて腕輪をしている。


 まえを走るゴオ近衛隊長の腕も見た。腕輪がある。


 ゴオ近衛隊長がつける腕輪は、兵士のなかでは有名すぎる腕輪だ。戦死したザクト近衛隊長がつけていた腕輪。それをヒックイト族のゴオが受け継いだ。


 もとをたどれば、腕輪はアトボロス王の父、セオドロスの形見だ。植物のつると葉のような浮き彫りがしてある銀の腕輪。兵士たちがつける腕輪には、模様がなかった。


 右手につける銀の腕輪。いまそれは近衛隊のあかしとしているのか。


 西門の近くまで駆けると、王は方向を変えた。城壁の一階部分にある扉へとむかう。


 その扉は、ほかより大きな扉で、扉のよこには、換気と光をいれるための細長い穴がいくつもある。


 ここがなにか知っていた。軍のための馬房だ。


 入ると、すでに灯りがある。馬が通るための広い通路と、馬が入った柵がならんでいた。


 さきにきた兵士がひとりいる。馬に乗るための鞍をつけていた。甲冑をつけた背中がふり返る。


「アト、早いな。城から走ってきたのか」

「総隊長!」


 そこにいたのは、グラヌス総隊長だった。西の門で夜警をしているはずなのに。


「総隊長、あのダリオンが!」


 私が説明するまえに、総隊長はうなずいた。


「ヒューから、さきほど聞いた」


 ヒューデール軍参謀が飛んで知らせたか。そしてここに姿が見えない。おそらく諜知隊のもとにいったか。


「アト、馬具はつけておいたぞ」


 グラヌス総隊長は止めないのか!


「いまいる近衛兵が馬具をつけるまで、すこし待て」


 ゴオはそう言うと、馬房のなかにある棚から鞍をとった。ほかの近衛兵たちも次々と馬房に入ってくる。


 もはや、これは止めることができない。私もあわてて馬具をつけに走った。


 半刻もしないうちに、西の門には馬に乗った集団がならんだ。数は三十ていど。


 それぞれの手にはランタンを持っている。私も盾は背中にかけ、剣を腰にさしなおした。左手で手綱を持ち、右手でランタンを持つ。これは戦闘になれば捨てるしかない。


 だれも止めないのか。どう見ても罠だ。


「開門!」


 グラヌス総隊長が声をあげた。


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