第192話 王の居室
気づけば、石造りの天井が見えた。
「無茶をして精霊の流れが、乱れに乱れておる。そうボンじいが、あきれてたぜ」
ラティオ軍師の声だ。からだを起こしてみる。
私は長椅子に寝かされていた。部屋を見まわす。どこかわかった。王の居室だ。
「王の城」その最上階である五階。この階に部屋は三つある。中央の部屋が食卓机や
ごつごつとした岩肌がむきだしの部屋だ。本来の計画では、こうではない。
「お待ちくださいませ、内装がまだできておりません!」
文官たちは、そう言って王を止めた。その言葉も聞かず、アトボロス王は城ができてすぐに住まいをうつした。
文官には気の毒だが、おそらくコリンディアが戦争の準備をしていると聞いたからだ。レヴェノアの国でもっとも高いここから、外を見はりたかったのだろう。
アトボロス王が住まいをうつすと言いはるので「王の宿屋」の全員も城にうつった。三階、四階にある部屋をつかっている。
グラヌス総隊長とラティオ軍師も、ひとまずは城暮らしだ。西の門、東の門に住まいをかまえる予定だが、まだ兵舎は人が住めるまでには完成していない。
私の住まいも、城の外のほうがいいのだろうか。考えに沈みそうなった自身を止めた。なにもいま考える必要はない。
「あれから、なにかありましたか」
窓から外を見ているラティオ軍師に聞いた。
「とくにない。今日はお疲れだったな」
軍師はふり返り、私をねぎらうように笑顔を見せた。
「だれも死ななかった。イーリクは、すごい」
アトボロス王が口をひらいた。部屋の中央にある大きな円卓に座り、何枚かの報告書を読んでいるようだった。
「まずい指揮でした。王は、
「イーリクは、自身をさし置いて、忠告するんだな」
アトボロス王が肩をすくめた。それを見たラティオ軍師が笑う。
「王よ、今日は酒場へは?」
疑問に思い聞いてみた。いつも戦いが終わると、この王は「王の酒場」に兵をねぎらいにいく。
「さっきまでいた。帰ってきたところだ」
だとすれば、かなり長く私は寝ていたらしい。
王の居室で寝るなど、ほかの国なら首を斬られるだろう。だがアトボロス王は、ここに人がつどうのを歓迎している。
「グラヌス総隊長、それにヒューデール軍参謀は?」
ふたりの姿が見えなかった。ドーリクはどうせ酒場だろう。
「グラヌスは、西の門だ。まあ、夜襲はないと思うが、戦いがあったのは今日だからな」
軍の総隊長がじきじきに門衛か。思えば、はじめてレヴェノアの街で戦った。市民の不安をやわらげるには、いいのかもしれない。
「ヒューは、昼もそうだが、諜知隊とともにいる。このレヴェノアの周辺にアッシリア軍がきてないか、入念に網をはっておきたいそうだ」
それは私も警戒した。今日の敵は、たかが五千。最後に八百の伏兵がいたが、城を攻めるなら、いささか貧相だ。
「まあ、おれは、こんなもんだろうと思っているが」
軍師の意見には、賛同しかねた。
「私がいたころは、三万を越えるアッシリアいちの歩兵駐屯地でしたのに」
「そのときはよくてもな。もう新兵は入らねえだろうし」
「新兵が? 兵士をめざす者は、かならずいると思いますが」
この街にいる鍛冶屋や、石工。そんな手に職を持つ者ならいいが、そうでなければ日雇いの人夫だ。兵士になるほうが実入りのいい仕事になる。
「アッシリアの王都ならいいが、コリンディアはだめだろう」
軍師は即答する。私はわからず首をひねった。
「考えてみろよ、うちの隊長に、もとコリンディアは何人いる?」
あらためて数えると、グラヌス総隊長、ドーリク、マニレウス、ナルバッソス、それに私の五人。
「割合としては、すこし多いですね」
「多いどころじゃねえ。ほとんどに見える。それも数々の武勇伝も広まってるだろう。そんな英雄たちに捨てられたコリンディアの歩兵隊。入りたいと思うか?」
言われてみればそうか。もし私がいま、フーリアの森からでて兵士をめざすとする。コリンディアにいくだろうか。
「しかし、捨てたつもりもありません。逃げただけで」
ラティオ軍師が笑った。
「そうなんだけどな。市民から見りゃ、捨てられたとおなじさ。そして駐留する歩兵隊で
軍師の言葉を聞き、心は複雑になった。長椅子から立ちあがり、窓ぎわにいく。北を見つめた。コリンディアの方角だ。
「すべての人を救うことは、できねえぜ」
おなじ窓ぎわにいた軍師が、ぼそりと漏らす。わかっています、という意味をこめ、私はうなずいた。
兵士たちの明日は休みにしますか、そう軍師に聞こうとしたとき、意外な人物が帰ってきた。
「ヒュー! 見まわり、おつかれさま」
アトボロス王が笑顔で声をかけた。
「アト、もう遅い。王様は休め。明日に備えるのも、王のつとめだ」
ヒューデール軍参謀がそう言ったとき、おなじ窓ぎわにいたラティオ軍師は眉間にしわを寄せた。なにか感じたのだろうか。
「気がはって寝れないよ」
「夜の防備は臣下の役目だ」
「そうだ、ペレイアの街では、イーリクたちが夜警をしてくれた」
いまのハドス守備隊長がいたペレイアの街か。ずいぶん昔に思える。たしかに、私は夜警をしたおぼえがある。
「あのとき、自分だけ寝ていたのが恥ずかしくなったよ」
そんなことを王は思っていたのか。こちらはこちらで、あの夜は幼なじみのドーリクと大いに反省したものだ。
「まあ、ヒューの言い分が正しい。アトは寝たほうがいいぞ」
「これは、めずらしいですね。軍師が軍参謀の言葉を認めた」
私は冗談を言ったつもりなのに、軍師と軍参謀、ふたりからするどい視線を受けた。
「そのとおりだ。ヒュー、なにかあったの?」
アトボロス王が真剣な顔でヒューデール軍参謀にたずねる。
そのとき入口の扉があいた。入ってきたのは廊下で護衛に立つ近衛兵だ。
「王都守備隊より報告。北に動きありとのことです」
ふり返って窓の外を見た。たしかに、かなり遠くにだが、灯りが動いている。
「屋上から見よう!」
アトボロス王が駆けだした。
「お待ちください、おひとりでは危険です!」
近衛兵が追いかける。
ヒューデール軍参謀もアトボロス王を追って駆けだす。そのとき、ちらりと私を見た。怒った目だった。
「イーリク」
ラティオ軍師が私を呼んだ。
「ヒューのあの感じは初めてだ。そうとう、アトに知られたくないことだぜ」
軍師はそこに異変を感じたのか。取り返しのつかないことにならねば。そう願い、私も屋上へと駆けだした。
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