第187話 王の城

「これが王の城か」


 階段の下から見あげ、思わずため息が漏れた。


「はじめて見るような、そんなため息だぜ、イーリク」


 となりにいたラティオ軍師が、からかうように言う。だが、まぎれもなく、そのため息である。


「私のひきいる歩兵五番隊は、西か南の作業ばかり。それならばと、城のある北側には近づかず過ごしました」


 それを聞いた猿人の軍師は、なかばあきれたように笑った。


「満を持してたわけか。ならば、近くで見た感想は?」

「ありふれた言葉ですが、思ったより大きい、それに尽きます」


 もういちど城を見あげる。地上から城にむかい長い長い石の階段がのびていた。下になるほど階段は広がる造りになっており、まるで山すそから山を見あげている気分になる。


 階段は中央だけ白い石材をつかい、そこが道だとしめしていた。とちゅうに踊り場がいくつもあり、その白い道の両わきには石の柱が立っている。


 そのさきには城の入口、大きな扉が見えていた。壁の上に建てられた城だ。一階の入口が、実質は三階あたりの高さとなる。


「これは、毎朝に登ると、足腰が鍛えられそうですね」


 そう冗談を言ってみたが、軍師は首をふった。


「兵士や隊長は、ぐるりと回廊をまわり、そのまま王の城に入れる」


 そうか、兵舎も城壁の上だった。街におりる必要はないのか。


 ふり返り、レヴェノアの街をながめる。城から伸びるように、円になった城壁が街を包んでいた。


 かつて北の入口だった場所が見える。あらたなレヴェノアの街は、南端の位置は変わらないが、北にむかって大きく伸ばした。


 この王城への階段がある北側は、まだなにも建物がなく空き地だらけだ。これから増えていくのだろう。


「みんな、いこう」


 アトボロス王が、居ならぶ隊長たちに声をかけた。


 王を先頭にして階段をあがる。登り始めると、いよいよ城がせまってくるようだ。そびえ立つ城は、見るからに強固な情景だった。


 城そのものが防壁を兼ねている。無駄な装飾などはなかった。よこに倒した長方形の積み木を重ねたような形だ。段々になっていて最上部は正方形に近い。数を数えると五段あった。おそらく最上階が王の住まいだろう。


 階段を登りきる。鉄の板でふちを固めた大きく分厚そうな両びらきの扉があった。


 扉のまえに立っていたのは、この城の責任者とも言えるだろう。王都守備隊、その隊長ハドス殿だ。


 ハドス隊長が扉の両わきにいた兵士にうなずく。兵士は四人いた。扉の片側一枚をふたりがかりで押す。


 ゆっくりと巨大な扉がひらいた。さらにもうひとつ扉をひらき、見えたのは、なにもない大きな部屋。


「ここが、市民との面会をする場。謁見えっけんの間になるの」


 ボンフェラート宰相から説明を受けた。城の一階と二階をつらぬいた造りで、この城でもっとも大きな部屋らしい。部屋のなかには巨大な石の柱がいくつもあり、この大広間の天井をささえていた。


 壁、そして天井から吊るされているのは多くの燭台しょくだいだ。蝋燭ろうそくの火が灯り、大広間は昼のように明るい。


 巨大な空間の中央を歩いていくと、石の台座があった。段は五段で、その頂点に玉座はない。


「注文どおり、椅子いすは置いておらんぞ」


 宰相が王にむかって言う。アトボロス王はうなずいた。


「あとの一階は、おもに文官や武官もつかえる会議室や歓談の間がおもになる」

「文官のかたは、ここが職場ではないのですか?」


 ふしぎに思って聞いてみた。


「組み入れるか迷ったがの、文官の詰所は、この城をおりた近くの地表に建てる。あくまで城は王の住まいじゃな」


 宰相がやめたのは、城が大きくなりすぎるからだと思われる。だが私はちがう理由で賛成だ。ここが仕事場も兼ねてしまうと、人の出入りが多くなりすぎる。


「さて、市民が入れるのは一階までじゃ。ここからの道順、われらはおぼえる必要があるぞ」


 ボンフェラート宰相についていく。王の台座を迂回うかいしてすすむと、うしろの壁には三つの扉があった。


「われら隊長格がつかう階段は、まんなか」


 そう言って宰相は中央の扉へと足をすすめた。


「ボンじい、右、それに左は?」


 ラティオ軍師がたずねた。


「右は王のみがつかう。左は一般の兵士」

「ぼくは、おなじ階段でもいいのに」


 王がつぶやいたが、うしろから石の床を歩く音が近づいてきた。


「アトボロス王は、右、中央、左、どれでも。兵士が左だけ。ここが肝なのです」


 ハドス王都守備隊長だった。その意味はわかる気がする。


「つまり、右や中央をつかう者がいれば、兵士の格好をしていても部外者だと」

「さすが秀才、イーリク殿」


 なるほど。その決まりは、だまっていても他国の密偵などが調べあげるだろう。だが、最初のふるいにはなる。


「こんな大きな鼠捕ねずみとりの罠とは、あきれるぜ。おおかた、くせ者町長の発案だろう」


 ハドス殿が肩をすくめた。「くせ者町長」とは、かつてハドスが町長をしていたころに軍師が言った呼び方だ。


 みなも、くすりと笑ったそのとき、中央の扉があいた。


「はっ、これは隊長のみなさま。失礼いたしました」


 扉からでてきた男は甲冑をつけている。王都守備兵だ。


「セレウス、だったな。巡検か」

「はっ。上の階、異常はありません、ハドス隊長」

「ごくろうであった。さがってよい」

「はっ!」


 みなが見つめるなか、セレウスと呼ばれた守備兵は去っていく。入口の大きな扉から退出し、姿が消えたところで、みなの目がハドス守備隊長にあつまった。


「守備隊は、特別か?」

「いや、ラティオ軍師。すでに守備兵には全員に通達してある。左しか使用してはならんと。そして、その理由は教えておらん」


 言ったそばからこれか。


「いたずらをする子供ならわかります。ですが、軍の規律をやぶってまでするのは、密偵ではないでしょうか。いますぐ捕まえて・・・・・・」


 私の言葉を、ヒューデール軍参謀が止めた。


「泳がせておいていい。いますべきことでもない」


 軍参謀の言うとおりか。今日は記念すべき日だ。


 用心のため、グラヌス総隊長が先頭になり、まぬけな密偵がでてきた中央の扉をくぐり上へと登る。


 せまい階段は四角くまわるように折れていた。


 三階への扉をあけて入る。長い廊下だ。いくつもの部屋をしめす扉が間隔をあけてならんでいた。かなりの部屋があると思われる。


「三階と四階は、臣下の居室となる。食堂なども、この三階じゃ」


 ボンフェラート宰相が説明を入れた。


「わたくしも、住んでよろしいので?」


 声をあげたのは侍女長のベネ夫人だ。


「無論のこと。隊長や重臣は、ここでもよし、ほかに城壁の上に造る兵舎でもよい」


 宰相の説明に安心する。他国では、王ひとり宮殿に住み、多くの召使いをかかえているような話もある。そんな生活をアトボロス王は望んでいない。建物は大きくなっても、いままでと変わらない暮らしができそうだ。


 安堵あんどしているところ、ボンフェラート宰相が意外な言葉をつづけた。


「ケルバハン総督も、街のなかは不便じゃろうに」

「おれは別に不便は感じぬ」

「おぬしはそうでも、エシュリはひとりじゃ」


 そうか、ケルバハンの職場はボレアの港町で、むこうには総督の住まいがある。だが、娘のエシュリは学舎にかようためレヴェノアか。ひとり暮らしも同然だ。


「別に困ってねえよ」


 エシュリが不機嫌に答えた。


「そうは言うても、ひとり食べる食事は味気なかろう、どうじゃ、ここに居をうつしてみては」


 それはいい案だと、うなずく者もいれば、微妙な顔をした臣下もいた。ラティオ軍師、それに右ほほに傷のあるナルバッソス第三騎馬隊長と目があう。


 アトボロス王と、猫人のマルカは仲がよい。歳もおなじなはず。そこにさらに若い乙女、エシュリが入るのか。


「作為を感じるのは、おれだけだろうか」


 ナルバッソス殿がこっそり近づいてきて耳打ちした。笑いそうになるのをこらえる。


 そう、フラムの件で、このナルバッソス殿とは話をした。ボンフェラート宰相は、やはり食えぬ御方おかたであると。


「おれは西の門、グラヌスは東の門に居をかまえる。みな好きにしていいぜ」


 ラティオ軍師が言った。これは意外だ。グラヌス総隊長がうなずいているので、すでに話しあっていたのか。


 城壁のまわりにはほりをめぐらすと聞いた。西と東が入場門だ。あらたなレヴェノアの街に、北門と南門はない。


 ふたりが、その付近に住むというのは、兵士や市民には安心感が大きいだろう。しかし、てっきりアトボロス王のかたわらにいるものと思いこんでいた。


「イーリク、置いていくぞ」


 ラティオ軍師の声だ。気づけば、みなはさきに進んでいた。


 あの八人の仲間で長く過ごしてきた。これからその生活も変わるのかと、すこしさみしさを感じながら、さきをいく仲間を追いかける。


 そろそろ夜明けだろうということで、みなで屋上まで登った。


圧巻あっかんの見晴らしだな」


 だれかが言った。ほかの者はだまっている。


 私も言葉がでなかった。こんな高さからながめるレヴェノアの街は初めてだ。


 街だけではない。東を見ればボレアの港町までが遠くに小さくだが、はっきりとわかる。


 東の空は白み始めてはいるが、地平線に光はなかった。日の出まで、まだしばらくかかるか。


「このまま待とう」


 アトボロス王が言い、みながうなずいた。隊長たちは近場の者と小さな声で立ち話を始める。


 私は北のへりまで歩いた。ここは屋上だが、きちんと石壁の囲いはある。城であると同時に防壁でもあるあかしだ。


 石壁の上から下をのぞいてみる。かなりの高さだ。どれほど弓の名人でも、下から撃ってここまで矢は届かないだろう。


 私の言ったひとことで、この形となった。不安もあったが、ここまで高ければ、この下にある最上階、王の居室は安全なはずだ。


「またコリンディアか」


 声に思わず、ふり返った。声を発したのは、近くにいたラティオ軍師。話していた相手はヒューデール軍参謀だ。


「気にしないでくれ、イーリク」


 私がふり返ったのをラティオ軍師が気づいた。


「軍師、気にするな、というほうが無理です」


 見れば、みなも会話をやめていた。あまりに目立つ言葉だった。


 軍師は注目するみなを見わたし、ため息をついた。


「今日が開城という晴れ晴れしい朝に、わざわざする会話でもねえだろ。あとで、みなには伝えるさ」


 グラヌス総隊長が歩みでて、軍師に近よった。


「記念すべきときだからこそ、気になることは片づけておきたい」


 しまったな、とでもいうように軍師は頭をかいた。


「大した話でもねえ。コリンディアで、またいくさの準備を始めているらしい」


 みなの目が、今度は鳥人の女性にうつった。それをくわしく知る者は、諜知隊の隊長であるヒューデールにほかならない。


「今日、明日、という話ではない」


 凛とした落ち着きのある声で、鳥人の軍参謀は話し始めた。


「城壁の建設は、アッシリアもウブラも、すでに知っている。知っているが、動けなかった。グールへの対応、そして各地へ派遣している兵士の問題」


 それは以前にも聞いた話だ。私は軍参謀に歩みよった。


「では、それが片づいたと?」

「そうではない。度肝をぬかれた」

「度肝?」


 およそ女性がつかう言葉らしからぬ表現だったが、意味もわからなかった。


「城壁の完成には、どの国も二年ほどはかかると見ていた。それが半年ほどで完成の一歩手前」


 そういうことか。余裕にかまえていたら、いつの間にかできていた。そんな気分のアッシリア国か。だがそれ以外もあるだろう。考えを口にしてみる。


「昨年に、ヒューデール殿が密偵をまとめて追いだしました。こちらの状況を逐一に報告するような流れも、途切れているのでは、ありませんか」


 初めてコリンディアの歩兵隊と戦ったあとだった。街に帰ると、まとめて捕まっていたのだから、あれにはおどろいた。


「まあ、こいつのおどしも効いているだろうしな」


 ラティオ軍師が付け加えた。こいつとはヒューデール軍参謀のことだ。それもありえる。


 あのとき軍参謀は「わたしが見ているぞ」と聴衆にむかって言った。それは市民のあいだでも有名な話となり、いまでは「鳥の目で見ているぞ」という言葉は、レヴェノアの商人が相手をおどすさいによくつかう。


「ヒューよ、むこうが出陣するとしたら、おぬしの見立てはいつじゃ?」


 ボンフェラート宰相が口をひらいた。


「一ヶ月ほどはかかる。コリンディアでは、もはや戦費をまかなえない。王都から物資なり戦費なり、それが到着してから準備になる」


 いくさはあるかもしれないし、ないかもしれない。まだそういう段階だと、ヒューデール軍参謀は付け加えた。


 私の歩兵五番隊は、それまでに準備ができるだろうか。新兵ばかりで、そこだけが心配だ。


「ひとつ、みんなに言っておきたい」


 透きとおる若き男の声が、早朝の澄んだ風に乗ってきた。アトボロス王だ。


 みなが王に対し、直立不動の姿勢をとった。


「ラボス村をでて、もう何年もった」


 なんの話だろうか。王の近くにいたドーリクも眉間をしかめた。おなじく王の意図がわからない顔だ。王が言葉をつづける。


「だんだんと、世の中というのが見えてきた。そうすると思うようになった。このレヴェノアという国は、ずいぶんと、いいのではないか。それは思いあがりだろうか」


 思いあがりではない。ボンフェラート宰相もうなずく動きをした。そうだろう。いくたの国を見た宰相でも、この国は特別だと思うはずだ。


 ひとり男が動いた。だれかと思えば、この場にいるなかで、ゆいいつの一般兵であるコルガだ。ドーリクとマニレウスの三人で朝まで飲んでいたコルガも、ついでにと王に誘われここにいる。


 小柄だが、盛りあがるような筋肉をした猿人は、王の御前ごぜんに片ひざをついた。


「ただの兵士の発言、おゆるしいただきたい。されど、この国にひろわれた身。この国は、すばらしい国です。この国で、暮らしていきとうございます」


 コルガは流れ者だった。押しだすように放った言葉は、本音であるにちがいない。


「そう、そこだ。そこなんだ」


 王はそう言うと、コルガを見つめていた目をあげ、みなを見た。


「以前には、グールから助かるなら、この国をアッシリアに明け渡してもいいと思った。でも、いまはちがう。アッシリアも、ウブラも、どちらもいやだ」


 私は思わず空を見あげた。アトボロス王らしい意見だ。ふつうの王ならば、自身の国を取られたくないと思う。そうではなく、隣接する両国に市民をまかせたくないのだ。


「そんなことか」


 ふいに声を発したのはドーリクだ。王のまえにまわり、ひざをつく。すこしコルガを押しのけるようにだ。


「このドーリクに、おまかせあれ。いかなる難敵にも、打ち勝ってみせましょうぞ」

「いや、このマニレウスこそが!」


 すかさず、マニレウス歩兵二番隊長もならび、ひざをついた。みな予想がついていたのか、押し殺した笑い声が聞こえた。


「夜が、明けるようです」


 ナルバッソスが、東の地平線に指をさした。地平線が光っている。


 王がふり返った。ひざをついていたドーリク、マニレウス、コルガも立ちあがる。


 私も地平線を見つめ目を細めた。グールとの大戦から、ちょうど一年か。この街にアトボロス王が君臨してからは、二年となる。よくここまで、これたものだ。


「新生レヴェノア王国、その夜明けですな」


 ペルメドス文官長が言った。


「おお!」


 小さな歓声をだれかが漏らした。地平線から黄金色の太陽が顔をだす。


 その輝きは、まちがいなく、このレヴェノア国にふさわしい輝きであった。

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