第186話 開城の朝
目がさめた。
王の宿屋と呼ばれる
寝台からおりて窓辺にいった。外を見ると真っ暗だ。いつもなら見える家々の灯りはなく、街はまだ真夜中のようなたたずまいだ。起きるのが早すぎたかもしれない。
今日、初めて「王の城」に入る。
早朝に起きたのは、アトボロス王より「城から朝日を見よう」と誘われたからだ。
机の上に用意していた外着を着こむ。赤の羽織りもつけた。この国の隊長は、赤の羽織りをつけるのが正装となる。
廊下にでると静かだ。どの部屋からも音は聞こえない。やはり私は早すぎるようだ。それでも部屋へ帰る気にはなれず、大きな音をさせないように階段をおりた。
王の宿屋からでる。入口には近衛兵のふたりが立っていた。
「ごくろうさま」
近衛兵が小さくうなずく。
暑い夏は終わった。秋の早朝は、ひんやりとした風があった。今日は濃い霧もでている。
王の宿屋のまえに、昨晩から用意していた
あまりに早く起きてしまった。私が一番乗りだろう。そう思っていたが、ちがった。
椅子に腰かけるうしろ姿。羽織りは緑だった。これをつけることができるのは、わずか三名。
「お早いですね、文官長。いや、国父ペルメドス殿」
もと領主の文官長は、照れくさそうにふりむいた。
「お恥ずかしいことに、
文官長が椅子から立ちあがり、街の北をながめた。私もならんでながめる。
「この短期間で、よく、ここまで築いたものですね」
私は
文官たちが頭をひねり、正式名称は「フォティノース城」と名づけた。古い神話にでてくる光の神らしい。
その名は広まらなかった。街にあるのが「王の酒場」と「王の宿屋」である。人々は自然に「王の城」とだけ呼んでいる。
「文官長、正直に申しますと、私には、まだ信じられません」
大きな建造物を見たことはある。アッシリアの城も見た。バラールの都もだ。だが、建造から見たのは人生で初めてだ。人は小さな生き物なれど、なにもなかった土地に、あれほど大きな建物が造れるのか。
「市民だけでなく、農民までも手を貸していただけたのが、大きいですな」
文官長がしみじみ言った。そのとおりだ。兵士たちが手伝い、その次に市民。そうこうしていると、近くの村から農民たちも駆けつけるようになった。そのようすは領地の全体に伝わり、さらに遠くからでも人々はきた。
「今日一日が、よい記念になります。どこかで夜を明かし、明日に帰ろうかと」
どこの村長だったか、いっしょに滑車の縄を引いていた農夫が話した。私はペルメドス文官長に申しいれ、街の宿屋をつかえぬ者のために軍の天幕を用意したものだった。
気づけば、完成まで二年と計画されていた王の城は、大まかではあるが、わずか半年で築くことができた。街をぐるりとかこむ城壁の完成は、もうしばらくかかる。
ペルメドス文官長が目をこすった。一睡もできなかったというが、それだけではないだろう。このかたは街造りに全身全霊をかけてきた。込みあげるものはあって当然だ。
「開城式の用意で、お疲れではありませんか?」
「なんの、まだまだ」
今日の昼に「開城式」を
「一番最初の朝日を見よう、その王の思いつきに文官長まで乗られるとは」
「イーリク隊長、そこは乗らないほうが、おかしいですぞ」
「それは、この老いぼれも、同意いたします」
声がして、霧のなか近づいてくる足音があった。あらわれたのはヨラム殿。
「なんじゃ、恐れ多いと言っておったのに、けっきょくきたのか」
「王の宿屋」の入口から声が聞こえた。ボンフェラート宰相だ。
「文官としては新参。私などが列席してよいものかと」
「そのわりには、しっかりと緑を羽織っておるではないか」
ボンフェラート宰相に言われ、ヨラム巡政長は苦い顔で笑った。
ヨラム殿は、この街の出身で多くの人から慕われる大商人だった。そのかたが文官として力を貸してくれるのは頼もしいかぎりだ。
レヴェノアの
「ヨラム巡政長、ご子息はこられますか?」
聞いてみたが、父である老犬人は首をふった。フラムは現隊長ではないが、参列する資格はあるはず。だが練習は重ねているが、まだひとりでは歩けなかった。
「いまは、そっとしておきましょう」
苦笑した巡政長に、私もうなずいた。フラムは
「速さが騎馬隊のほこり」
フラムの身を案じたのに、ちがう騎兵の声がした。霧のなかから、三つの赤い羽織りがあらわれる。騎馬隊の三隊長、ボルアロフ、ネトベルフ、ナルバッソスの三名だ。
「一番乗りをめざしたが、さきを越されたか」
「ネトベルフ殿、それは馬に乗ってないのが原因では」
「ナルバッソス殿、よいご指摘!」
「・・・・・・浮かれすぎだ」
冗談を言いあうネトベルフとナルバッソスに、寡黙なボルアロフがまじめな言葉をかけた。
「おまえが寝坊するならわかるが、まさか起こされるとはな」
「おれは朝に
「おりは起きてたぞ。一番乗りしたいからな」
おぼえのある声がした。自身を「おり」というなまりがあるのは、ヒッククイト族で「
霧のなかから姿をあらわした。ブラオ歩兵三番隊長、カルバリス歩兵四番隊長、サンジャオ弓兵副長だ。
「なんだ、一番乗りではなかったか」
ブラオ三番隊長が居ならぶ面々を見まわした。
弟のイブラオは大男だが、この兄のブラオはそうでもない。だが、ヒックイト族らしい骨太な肉体と、伸ばしほうだいのひげが雄々しく見える。
「どうされた、イーリク殿?」
アトボロス王の幼少期を知る者。そう思ってながめてしまった。
「一番乗りは、ペルメドス文官長です。ブラオ隊長」
とっさにごまかし答えた。
「考えようによっては、私が一番ではありませんぞ」
ペルメドス文官長はそう言い、王の宿屋をふり返った。
なんのことだろう。そう思ったが、すぐにわかった。ひさしのある窓の下だ。壁にもたれて寝ている男が三人。
どれもずんぐりと太めの体格。よこたわるその姿は、まるで大きな酒樽が二つ。小さな酒樽がひとつだ。
「おう、隊長さんたちがきたか」
起きあがって声を発したのは、南からきた人夫、いまは精霊隊に所属する猿人だ。
「コルガ殿、そこのふたりを起こしていただきたい」
猿人は、その太い腕でドーリクとマニレウスを手荒にたたいた。たたかれたほうは、寝ぼけた顔で上半身を起こした。そしてふたりとも、顔が赤い。
「よし、おれは帰るか」
コルガだけしゃきっとした顔でさっそうと立った。
「夜通し、ここで待っておられたのか?」
「いや、さっきまで飲んでいた」
けろりとした顔でコルガは言う。
「酒場の三英傑、その頭目はコルガ殿か」
うしろから、だれかが言った言葉に笑えた。このところ、この三人がよく飲み歩いているのは知っている。酒場の三英傑とは、うまいことを言う。
「おれがレヴェノアにいれば、四英傑だな」
みずからを評してあらわれたのは、三角帽をかぶった熊人だった。
「ケルバハン殿、夜駆けしてこられたか」
この熊人はボレアの港町で総督をしている。夜の街道を駆けてきたのかと思えば、大きな頭をよこにふった。
「王から誘いを受け、昨日から、こっちの住居にきていた。娘にも見せてやりたいしな」
娘と聞いて、だれと思えば大きなケルバハンに隠れるようにいたのは猿人の娘、エシュリか。この熊人がバラールの都でひろった孤児だと聞いている。
エシュリは少年のような風貌だと、だれかが言っていたが、見るからに乙女だった。歳は十五か十六あたりだ。
「めんどくせえ。朝日を見るためだけに早起きするなんて」
「おい、エシュリ!」
なるほど声色は乙女だが、言葉遣いは少年のようだ。
「みんな早い!」
「これ、声が大きすぎます。早朝ですよ」
もうひとつ乙女の声、そしてそれをしかる女性の声が聞こえた。王の宿屋からでてきたのは、マルカとベネ夫人のふたりだ。
「あれ、誘った張本人がいない」
マルカは周囲を見まわした。
「臣下の者が浮かれすぎて、早すぎましたかの」
一番乗りしたペルメドス文官長が笑った。
「いや、当の本人が、もっとも浮かれてるぜ」
上から声がした。見あげると「王の宿屋」の屋上に、人の姿が四つある。
アトボロス王、ラティオ軍師、グラヌス総隊長、ヒューデール軍参謀。
「朝っぱらに起こされて、だれが一番にくるか見ようとさ。うちらの王は元気すぎるぜ」
そう言ったのはラティオ軍師だ。
「コルガさんも」
ふいに王が屋上から声をかけた。立ち去ろうとしていた猿人がふり返る。
「せっかくなんだ。みんなでいこう」
みんなでいこう、いくどとなくアトボロス王に言われた言葉だった。ほかの者が言うよりもなぜか、この若き王が言うと、さまになるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます