第185話 力の祈り
「ここが、うわさに聞く王の酒場か」
席につくと、小柄でたくましい猿人は店内を見まわした。
王の酒場は、私もひさしぶりだった。年季の入った木の天井や柱は、黒くすすけて汚れていたはず。それをみがいたのか、きれいになっていた。
木のつやが光る深い茶色の木目は、店に落ち着くたたずまいを与え、なにか風格さえ感じさせた。
「コルガ殿、初めてですか」
「新参者だからな。店名だけで腰が引ける」
そうかもしれない。よそからきた傭兵なども、この店ではあまり見かけなかった。
店内は多くの客で混みあっていた。それでも、いつもならすぐに注文を取りにくる。それが今日は、だれもこない。
店の者がすくないのか。かなり待たされ、やっと女主人が席にきた。
「待たせたね。兵士の一杯は、なんにする?」
いや、今日はいい。そう言おうとしたら、さきに声があがった。
「おれは
「
なぜかついてきたドーリクとマニレウスだ。
「そっちの人は?」
「いや、おれは兵士ではない」
猿人と女主人の会話に、私が割って入る。
「ここの飲み食いは、私が払います。どうぞ注文を」
コルガは私を見つめ、どうするか迷ったようだが
「私には、冷たい発酵茶を」
飲みたい気分ではなかった。女主人が去ると、コルガがすぐに口をひらいた。
「治療してもらい、酒までおごってもらう。なにか悪い誘いなら、さきに断っておくぞ」
笑えた。たしかに、ここまで見ず知らずから気前よくされれば、そう思うだろう。
「気にしないでいただきたい。と言っても疑問は残るでしょう。聞きたいのはコルガ殿、貴殿は精霊使いですか?」
ドーリクもマニレウスも、おどろいた顔をした。このふたりは気づかなかったか。
「おれはちがう。ただの
「
「護文?」
ちがうのか。しかし首をひねった顔は演技でもない。
「土の精霊をつかったと見えたのですが」
「ああ、力の祈りか」
聞いたことのない言葉がコルガの口からでた。くわしく聞くと、コルガの国で力仕事をする者がよくつかう精霊の助けらしい。
「精霊の助け。国がちがえば、ずいぶん言いようも変わるもんだな」
感心しているのはドーリクだ。私もそう思う。
「貴殿の国では、だれでも、つかえるのですか?」
「いや、十人いればひとり、というぐらいか。おれを見てわかるだろうが、背が小さい。うまく力の祈りをつかわねえと、仕事にならねえ」
「なんだ、そっちをすればよいだろうに」
マニレウスがたずねた。
「その場合は神殿に入り、神官にならなきゃいけねえ。身分のある家の子供か、金持ちじゃねえと無理だな」
そういうことか。この男が育った国で、庶民は精霊を学べない。
「ではその力の祈りのほか、なにかつかえますか?」
「いや、それだけだ」
「どうやって学びました?」
「そんな大層じゃねえ。若いころ、現場の古顔から教わっただけだ」
この男は
「コルガ殿、さきほど悪い誘いとおっしゃったが」
「イーリクと言われたか。いくら流れ者のおれでも、罪になるようなことは」
「精霊隊に入り、精霊を学びませんか?」
コルガは意外だったのか、口をあけ、おれを見つめた。この男の素性はわからない。だが、それはあとで文官が調べればいいだけだ。数があつまりにくい精霊隊に誘っておきたい。
「精霊隊? 歩兵に入れ。一番隊に」
「そうやってすぐに上物をうばう。コルガ殿、二番隊がよいぞ」
ドーリクとマニレウス。このふたりは酒でもあてがわねば、邪魔だ。
店内は客で混みあっているが、やはり店の者はすくないようだ。給仕の女性は動きまわっているが、席で料理を待つ客が多い気がした。
「飲み物を取ってくる」
席を立ち、入口のそばにある酒棚に近づいた。長机のまえに立つ。店のだれかが通るのを待った。
うしろからドーリクの大きな笑い声が聞こえてくる。ドーリクとマニレウスは、よい酒の友になっていたか。
しかし、思えば感心することだ。マニレウス殿は、ずいぶんとこの国と軍になじんでいる。歳は十ほど上で、大先輩と言えた。それがこうも気安く接してくれるとは、ありがたい。
「イーリク様を待たせるなど、あってはならぬこと。たるんでおりますな、ここの者は」
知らない男だった。痩せ細った年配の猿人で、兵士ではないだろう。
「これには口をつけておりません。どうぞ」
男は手にしていた
「お気持ちだけで」
ちょうど、まるっこい犬人の少年が酒棚へときた。
「ギム、
少年は私を見て、のけぞるようにおどろいた。
「す、すぐに!」
「いや、いまの用事が終わってからでいい」
なにか用事があったから、酒棚にきたのだろう。
ギムはうなずき、木杯に
「はい、お待たせしました!」
飛ぶように帰ってきて言う。これは発酵茶まで言わないほうがよさそうだ。手っ取り早く、私も
「
「はい!」
ギムはあわてすぎだ。二杯目の
酒をみたした四つの杯を、私は両手で持った。
「今日は、その、ありがとうございました」
「助けたのは私ではない。気にしなくていい」
そう言って席へ帰った。
あきれたことに、食卓の上には酒と発酵茶がきていた。入れちがいになったか。
「呼ぼうとも思ったが、どうせ追加するのでな」
ドーリクが言った。二杯の
二杯の
席につき、私の発酵茶をひとくち飲んだ。夏になると、ここの店主は
それでも、ほんのり冷たく香りの高い発酵茶は美味だ。もうひとくち飲み、落ち着いた気分で猿人をながめた。
「それでコルガ殿、どう思われる?」
まだ考えているようで、
「精霊隊がつとまるとは思えねえ」
「いや、すでに精霊をつかいこなしております。やり方さえ学べば、あっという間に呪文や護文もつかいこなす。私はそう見ております」
二杯目の
「日雇いの賃金より、格段によくなるだろう。よいと思うぞ」
「それはわかるが・・・・・・」
コルガは返答に困っているようだ。一杯目の
「兵士になるのが怖いか。それであれば、やめておけ」
それはない。この男は人を助けるために飛びこんだ。そして大怪我をしても、さわぐこともなかった。肝は太い。私はそう見ている。
「ぐちぐち悩む者は、一番隊にいらん」
「二番隊は欲しいぞ、歓迎する」
このふたりは酒をあてがっても、おなじだ。うるさい。
コルガは日焼けした顔でうつむき、眼をぎょろぎょろさせた。
「話がうますぎる。そんな人生、うまくいくわけねえ」
陰気なつぶやきだった。流れ者、そんな言葉を思いだす。
私自身が仲間と旅をして、ここレヴェノアの街にたどり着いた。流れ者のような気になっていたが、世間はちがう。流れ者は、暗い過去や苦労もあったはずだ。
どう言葉をかければいいか、わからない。
「なんだ、そんな心配か」
つぶやいたのはドーリクだ。なにをする気か、ドーリクは立ちあがった。
「この国は、信じられないことが起こるもんだ。見せてやる」
幼なじみの巨漢は、
「われらが王に!」
店内の客の多くが、すばやく杯をかかげた。
「われらが王に!」
大合唱が返ってくる。
「建国王が国をとるのにかかった日数はいくつだ!」
「たったの一日!」
ドーリクの問いに、これまた大合唱で答えが返り、どっと笑い声がおきた。
笑いながら、私の幼なじみが座る。
「近ごろ
「しまった、いきなりで乗りそこねたぞ」
マニレウスもそう言って笑う。私はこのごろ王の酒場にきていないので、知らなかった。
「冗談だが、うそでもない。小さな戦士は、一夜にして王となった」
ドーリクはそう言うが、コルガは目を丸くして、ドーリクと客のやり取りを見ていた。
マニレウスが卓の上に身を乗りだす。
「このドーリク殿とイーリク殿、それにグラヌス総隊長の三人が、百の兵士をみなごろしだ。最後にアトボロス王が片手で巨岩を持ちあげ、この街を征服したそうだ」
マニレウスが言った。笑えてきた。無茶苦茶だ。
「コルガ殿、かなり大げさな嘘が入っております」
私はそう付け足したが、コルガは信じられないといった顔だ。
「たった一日で国を?」
「そこは真実です」
気を落ち着かせるように、コルガはひとくち
「おい、どいてくれ!」
酒場の店主、ヘンリムの声がした。見れば、大きな板を四人がかりでかついでいる。
「これを受けとってくれ!」
どんっ! と食卓に置かれたのは、大きな大きな肉のかたまりだった。肉は太い鉄の棒が刺され、こんがりと焼かれている。
「羊の丸焼きか!」
マニレウスが声をあげた。そして注文したおぼえもない!
「うちのギムを助けてくれた礼だ」
店主がむいているのは、コルガだった。
「あちこちに聞いて、あんたの住まいはわかった。届けようとしていたところだ。まさか、うちの店にきてくれるとはな」
私はもちろん、コルガ本人もおどろき、あいた口がふさがらない。
「ご店主、これほど大がかりな料理、いつのまに」
「よくぞ聞いてくれた、イーリク様。店の裏で、夕刻まえから、かかりっきりよ」
今日は店の者がすくないと思っていたが、こんなものを作っていたのか!
マニレウスが手を伸ばそうとしたとき、店主ヘンリムは言った。
「隊長さんたちに差しあげたんじゃねえ。そこの猿人のかただ」
言われた猿人は店主を見あげた。
「こんなもの、もらうわけには・・・・・・」
「うまそうだ。コルガ殿、われらにもひとつ」
マニレウスはそう言ったが、ドーリクがうなった。
「くそっ、われら兵士ではもらえんぞ!」
そうだ、これをもらえば私たちは
「なら、コルガ殿、いまから兵士となれ。兵士同士なら問題あるまい!」
マニレウスが無茶な理屈を言ったが、コルガは笑いだした。そして手元の
「よし、みなで食うか!」
「コルガ殿?」
私は問いかけた。南からきた猿人は私の顔を見て、大きくうなずく。
「決めたぞ。このコルガ、今日よりレヴェノア軍の兵士となる!」
あげた大声が聞こえたのか、店内から拍手がわいた。そしてあつまってくる。
「ようこそ、われらレヴェノア、アトボロス王の兵士!」
客のなかにいた兵士たちが、口々に歓迎の言葉を口にした。マニレウスが、はっと気づいたように顔をあげ立ちあがる。
「おぬしら、肉はやらんぞ!」
あまりの本気の物言いに、どっとみなから笑いが起きた。
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