第180話 フィオニ夫人

「ヨラム殿、ご子息のようすは?」


 城壁の上に立って街をながめていたが、思いだしてたずねた。


「それはもう変わらずです。家にはめったに帰らず、あらたに作られた牧場まきばのほうにいきっぱなしで」


 ヨラムは苦笑して答えたが、笑うところを見ると反対もしていないようだ。


 ここ最近、私はフラムのもとをたずねていない。水の精霊による癒やしをいくどかけても、ひざはよくならなかった。


「あきらめろ、とは言われないのですね」


 私の言葉にも、父である老犬人は苦笑を見せた。


「あれが子供のころに言い聞かせた言葉がありまして」

「ほう、お聞かせ願いたい」

「商人として成功するには、あきらめぬこと。あきらめねば最後には勝つと」

「なるほど、それは真理」

「えらそうに語りつづけた手前、いまさら、あれを止めることはできません」


 そう言ってヨラムは笑った。たしかに、それは止められない。思わず私も笑えた。


 私のような兵士であれば、戦いに負ければ、それは死につながる。だが商人の戦いは別だろう。あきらめなければ勝つか。そのとおりだ。


 いやそれは、私にも言えることではないのか。治らないと、あきらめてはいないか。


「ヨラム巡政長」

「はい、イーリク隊長」

「今日一日、わが隊をまかせてよろしいですか」

「可能ですが、隊長はいずこへ?」


 息子のフラムへ会いにいくのだが、へんに期待もさせたくない。


「どうしても、ためしてみたいことがあります」


 ヨラム巡政長は、それ以上は聞き返さず了承した。


 私は城壁をおり、各所で作業をしているなかを歩いた。ひとりの女性をさがす。


「マルカ」


 白い毛をした猫人を見つけた。精霊隊の小隊長をしている。


「なに、イーリク」

「フィオニ夫人は、いないか?」


 おなじ精霊隊だ。知っているのではないかと思ったが、やはりマルカはすぐに指をさした。


 ヒックイト族の猿人、フィオニはのみ金槌かなづちを持った集団のなかにいた。巨石の形をととのえているようだ。


「フィオニ夫人!」


 声をかけ、近づいた。


「どちらさまで?」


 ふりむき私を見た視線は、するどい迫力があった。さすがヒックイト族の女性である。


「イーリクと申します。すこし、お話が」

「精霊隊長様!」


 目を見ひらいた夫人だった。


「いまは、歩兵五番隊をしております」

「それは知っておりますが、この国きっての精霊戦士ケールテースでしょうに」


 夫人は私をまじまじと見つめた。


「イーリク様、意外に、やさ男ですねえ」


 それは正しくて笑えた。ヒックイト族の男たちは、屈強そうな者ばかりだ。


 しかし意外にというなら、フィオニ夫人もそうだった。山のたみらしく質素な衣服だが、街の婦人にまさる美貌をしていた。骨の太そうなしっかりとした体格をしているが、顔立ちは細く、くっきりとした目を持っている。


 私と夫人は作業の場からすこし離れ、立ち話をすることにした。


「フィオニ夫人に、癒やしをかけていただきたい者がいまして」

霊清れいせいゆうがなにを申されます。ご自身でされては?」


 私は、フラムのこれまでを話した。


「そうですか。いくさでひざを」


 ほんきで気の毒そうに顔をしかめたフィオニ夫人だ。


「それでも、ボンフェラート様も、イーリク様でも無理だったこと。わたしがいって、どうなるとも」


 そこまで言った夫人は、なにかに気づき、こちらを見た。


「わたしが、なぜ水の精霊がつかえるのか。その理由を?」


 夫人の問いにうなずいた。


「宰相から、秘密裏に聞いております」


 フィオニ夫人は自身の両手をあげ、見つめた。


「その子は助けてあげたいけど、まだ始めたばかり。メルレイネ様のような強い力も、あるとは思えず」


 大きくため息をついた夫人だったが、なにやら考えごとを始めた顔になった。


「力を強める。メルレイネ様がいつか、言っていたような・・・・・・」


 そして、はっと顔をあげた。


「この近くに、きれいな泉はありますか?」

「いえ。かわいた大地が多く、泉と呼べるようなものは・・・・・・」


 北部のような緑の多い地域ではない。王都の近くに、いくつかの小さな林はあるが、こけむした緑の池や、茶色い沼があるだけだ。泉と呼べるようなものはなかった。

 

 いや、ひとつあった。


「ヒュプヌーン山」

「聞かない地名ですね」

「そう呼ばれだしたのは、最近なので」


 死者の眠る山だ。それを説明する。


 女性であれば、怖がっていやがるのではないかと思ったが、そこはヒックイト族だった。


「墓地ですか。じめっとしてそうですね」


 じめっとはしていない。しかしなぜ泉なのかと聞けば、きれいな泉に身をひたすと、水の精霊を感じやすいそうだ。


「フィオニ夫人も、その修行を?」

「いえ、メルレイネ様がそう言われたのを、いま思いだしました」


 アトボロス王の母であったメルレイネから、長きにわたり治癒を受けつづけたフィオニ夫人だ。たがいに打ち解けあい、いろいろな話をしたという。


「わたしは、ずっと床にふせっておりましたので。話し相手になってくれたのです」


 なつかしむように、夫人は目を細めた。


「フラムって子、いっしょに連れていけますか?」


 私はうなずいた。フラムのいる牧場からも、ヒュプヌーン山は近い。馬なら半刻ほどで着くところだ。


 ヒックイト族は山のたみ。馬に乗れないだろうと思ったが、このレヴェノアに住むようになり、ひまを見つけては貸し馬屋で馬を借りて練習していたそうだ。


「夫のブラオから、こちらでは馬をつかうことがあるだろうと」


 さすが歩兵三番隊長だ。


 王都守備隊の管理する馬房から馬をだしてもらい、私とフィオニ夫人はフラムのいる牧場へと馬をすすめた。

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