第179話 着工
「となりの者と速さを合わせよ!」
歩兵五番隊をふた手に分け、模擬戦をしようと円陣を組ませている。だが、まったく足なみがそろってなかった。
「イーリクよ」
ふいに声をかけられた。ふり返るとグラヌス総隊長だ。
「どの隊も調練に身が入っておらぬな」
総隊長が顔をしかめて言った。その理由はわかる。
サナトス荒原にある小高い丘を見た。いつもなら調練を見守っているはずの王の姿が、そこにはない。
「今日は南の現場におられました。兵たちは、でかけに見たはずです」
レヴェノアの街をつつむ城壁。その建設が始まっていた。
予想どおりと言うべきか、アトボロス王は現場にでて、みずから石の積み上げを手伝っている。
「ペルメドス文官長は、あきらめず止めているようですが」
私の言葉に総隊長は笑った。
「聞かぬだろうな。自分の家なのに自分がしないでどうする、そうアトは考えるだろう」
市民のひとりが家を建てるなら理屈はわかるが、造っているのは城壁であり王城なのだ。
「それを言いだせば、兵士も立つ瀬がありませんね」
兵士たちに、城壁の上には王城だけでなく兵舎も建てると説明してある。
「兵たちの家を王が建てるか」
「総隊長、お忘れなく。われらの家もです」
グラヌス総隊長は盛大に顔をしかめた。
「調練を一日の半分にし、残りの半分で建設を手伝うか」
「そのほうがよいと思います。これから暑くなってくれば、より集中も散漫になってきますし」
春が終わり、初夏の季節になりつつあった。日に日に、このサナトス荒原も暑さの気配が増している。
いつもなら昼に二刻ほど休憩をはさむ。そのときレヴェノアの街にいったん帰る者と、そのまま調練場で休む者に分かれる。今日はすべての兵士を街にもどすことにした。
昼の休憩が終わると、各隊それぞれを街の外に。西のはずれにいる私のもとに、歩兵五番隊の兵士をあつめた。
「さきほど説明したように、本日は、これから城壁の作業を手伝う。われら歩兵五番隊は、西側の城壁だ」
私のよこに高齢の犬人が歩みよった。
「作業については、このヨラム殿の指示にしたがうよう」
「はっ!」
新兵がさらに増え、六百名を越える兵士たちからの声が返ってきた。
ヨラム殿は、十人をひとかたまりにし、それぞれ作業を割りふっていく。各所では作業を指示する役人がいて、多くの
城壁と王城、この着工が決まるやいなや、ふたりは職人をあつめた。ひと月ほどで測量と図面を完成させ、国をあげての大事業が始まっている。
いや、ふたりではないか。私は、指示をだしているヨラム殿を見た。
文官として、どの役職でもないこの商人には「巡政長」という地位があたえられ、宰相と文官長のふたりを補佐している。
そしてやはり優秀なのだろう。さきほど昼の休憩のあいだに、この巡政長に申しいれた。軍の兵士も手伝うと。急な申しいれだが、てきぱきと仕事を割りふっている。
城壁につかう巨石は、大きな荷車によってボレアの港から次々と運ばれてくる。運ぶ者、それをおろす者。おろした石を運ぶ者。運ばれた石を積みあげる者。すべて作業は分担されていた。
見まわしていると、すでに一部分、高くそびえる城壁ができていた。二階建ての建物が、すっぽり隠れそうな大きさだ。
城壁に近づいてみる。積みあげられた石は大きい。ひとつが両手をひろげるほどの幅だ。大きな四角い石が、たがいちがいに組み合わされている。
城壁の石をたたいてみた。あたりまえだが、びくともしない。それでも、これだけ大きな石を積みあげるからか、隙間なくとはいかないようだ。
レヴェノアの街にある石畳は、爪も入らぬほどに隙間がない。この城壁はそこまではなく、ところによっては指が一本ほど入る隙間があった。
「かつて数多くいた優秀な石工が、いまはおりませんので」
隙間に指をいれているところで声をかけられた。ふり返ると、ヨラム巡政長だ。
「ラウリオン鉱山の村ですか」
「あそこには、数多くの石工が住んでおりました」
「わかります。現場におりましたので」
「そうでした。これは失礼いたしました」
ヨラム巡政長が頭をさげるので、こちらのほうが恐縮した。
あのときは、アトボロス王をはじめとする八人の仲間だった。始まりは赤子をさらうグールだ。それをアトボロス王とラティオ軍師が追跡した。たどりついたのがラウリオン鉱山だった。
鉱山に駆けつけたが間にあわず、ふもとにある村々はすべて全滅していた。生き残ったのは坑道にかくれていた数十名だけだった。
「イーリク隊長、登ってみられますか」
ヨラム巡政長に連れられ、城壁の裏にまわると木の
「思ったより高い」
櫓を登り、城壁の上に立つと思わず声が漏れた。
王都レヴェノアの街なみがよく見とおせた。この街は二階建ての家ばかりなので、それよりすこし高いと思われる。
「この高さが、土台の基準となります」
よこに立つヨラム巡政長が教えてくれた。なるほど基準か。それで一部分だけ、さきに造っておいたのか。
城壁としても充分な高さだ。コリンディアの街にあった防壁よりも高い。バラールの都をかこう壁はもうすこし高い気がするが、こちらは、この上に建物が造られる。
「これは、
「まさに、イーリク殿。難攻不落の城塞都市レヴェノア。ボンフェラート宰相も、ペルメドス文官長も、そして私も、めざすはそこでございます」
老犬人による気迫のこもった目で言われ、なにやらこちらの心もふるえた。
いま私がいる西側、そして北と東。作業場を見わたすと、レヴェノアの街がすっぽり入り、あまりあるほど大きい。
「城壁が広すぎやしませんか?」
「いまの王都とおなじ広さでは駄目なのです。城壁のなかの敷地は、およそ三倍」
この街はそれほど大きくなるのか。
「イーリク隊長、本棚とおなじですぞ。百冊の本を入れるのに、ぴったりの本棚は作りますまい」
それは言える。百冊の本があるなら倍の二百は入る本棚がほしい。
「街なみもそれに合わせ、よりよく変わっていくことになりましょう」
「
「きっかけはイーリク殿ですぞ」
そうだった。言いだしたのは私だった。
「しかし私は思いつきで発しただけ。それを形にするまでが至難のわざ」
「よい思いつきでしたな。類を見ない街になりましょう。この老いぼれにとって、人生で最大の事業となります。完成させるまでは、死んでも死にきれません」
そう言ってヨラム殿は、数多くの人が働く現場を見つめた。私も見つめる。
コリンディアで歩兵をしていたころには、感じたことのない気分だった。明日への高揚感だろうか。
そしてそれは、住む場所や国のちがいではないと思う。王のちがいだ。わが国の王は、人々に夢をあたえる。
守らねばならない。その思いをいっそう強くし、私は造りかけの城壁から王都の街なみをながめた。
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