第163話 巡兵士の木札
「ずいぶんと、話は盛りあがっているようじゃな」
ボンフェラート宰相は、卓の上にならぶ六つの杯をながめた。
「宰相か。ずいぶん上の者の登場だな」
やはりルハンドは育ちがちがう。この国の宰相があらわれても、まったく動じるところがなかった。
「わしか軍師のラティオしかおるまい。おぬしと話をするには。ルハンドラ・クーチハバラよ」
言われたルハンドは肩をすくめた。
「クーチバハラ? 執政官の一族か!」
となりの熊人がおどろきの声をあげた。
「宰相、おとなりは?」
「ケルバハン船長じゃ。この港と南の国をおもに行き来しておる」
船乗りか。たくましい
ノドムもいたので、熊人のケルバハンとで大男がふたりだ。となり席も借りて五人が席に着いた。
「ケルバハンが出港するまえに捕まえたくての。だが、こちらも気になって、引っぱってきたわい」
いそいでボレアの港にきた理由は、ケルバハンのほうか。しかし当の本人は意外そうな顔をした。
「宰相、船はでぬぞ。積むはずの荷が届いておらず、それまで待機だ」
「なんとな。あせる必要はなかったか」
「
「そこよな」
宰相が腕をくんで考えこんだ。ここの荷は、文官とその手下の役人が管理しているはずだ。
「この無秩序な街をととのえねばならんが、なかなか、いまいる文官ではの」
そうつぶやき、ボンフェラート宰相はケルバハンと、ルハンドの両名を見た。
「どちらの話から済ませるか。やはりケルバハンのほうかの」
宰相が熊人のほうをむく。
「おぬし、ここの
みながおどろいた。総督とは町長のような町の代表ではない。政治と軍事を合わせて指揮する者だ。
「無理だ。無茶を言うな、宰相」
「そうかの。おぬし、いまですら二十を越える船団をたばねておろう」
「たまたまだ。アトボロス王と仲がいいと勘違いされ、たよられるのだ」
そうか、以前に、この熊人をふくめ会議をひらいた。バラールの都からラウリオン鉱山の品が締めだされる話だ。あのとき王と知り合ったケルバハンは、そのあとも王と交流があるか。
「たよられるのはよいこと。では、わしもたよる」
「強引だな」
「適任がおらんのだ。漁師や船乗りには、文官の言葉では耳をかたむけまいて」
熊人は三角帽をはずし、頭をかいた。
「宰相が言うってことは、王も知ってのことだな」
「無論じゃ」
「アトボロス王はなんと?」
「迷惑にならないのであれば、ぜひ、まかせたいと」
「まいったな」
「ほれ、これじゃ」
なにがこれなのかと思ったが、ボンフェラート宰相は、おれを見た。
「わしの言葉だとすぐに断るが、アトボロス王の言葉だとちがってくる」
笑えた。それは、おれのことだろう。
「すこし、考えさせてくれ」
「よいぞ。断るときは、アトボロス王に直接言え」
「なんと人の悪いじじいだ!」
熊人が悪態をついたが、たしかに人が悪い。あの王のまっすぐな目で見られてしまうと、断るのは心苦しいにちがいない。
「では、ルハンドラ、いや、いまはルハンドか。そっちの話をしようかの」
呼ばれたルハンドは、また肩をすくめた。
「なにも話はないが」
「わが国に潜入しているのではない。それはわかる。外部と連絡しているようなそぶりはないのでな」
なるほど、諜知隊か。しばらく監視していたのだろう。
「おぬしのねらい、それがわからぬ。これは、わしの正直な気持ちじゃ」
ルハンドは笑った。
「おかしいかの?」
「いや、おかしくはない。楽しいだけだ」
「楽しい?」
やさ男の猿人は、おれを指さした。
「このモルアムもそうだが、この国の連中には裏がねえ」
「この猿人に同意だな」
熊人のケルバハンが追従した。
「それはの、頂点である王に裏がない。そして忘れてはならんのが、もと領主のペルメドス。こやつが意外にも青臭い男での。このふたりで、わが国の性格は決まったようなものぞ」
ボンフェラート宰相の説明に、胸を締めつけられる思いがした。そのふたりを裏切ったのがおれだ。
「賭けは、大当たりだな」
ぼそりとルハンドが声を漏らした。
「賭けとはなんじゃ?」
「猿人と犬人が争わない国。そのうわさを聞いてきた。大きな賭けだった」
「つまり、もどる気はないと?」
「いまの暮らしが気に入ってる。こうして、ふらり港町にきて魚を食べたりな」
ルハンドは真剣な顔でボンフェラート宰相を見つめた。
「名も無きひとりの男でいい。かまわねえでくれ」
宰相がうなった。なにも望まない者に、なにか言うのはむずかしい。
「名も無き船乗りも、同意する」
いや、ひとりだけ、ケルバハンがうなずいていた。
「おぬしは無理じゃ」
すばやく言われ、熊人は大きな顔をしかめた。さらに宰相は言葉をつづける。
「冗談ではなく、あまり、猶予がない」
「ゆうよ?」
ケルバハンが聞き返したが、おれも理解できなかった。宰相が言葉をつづける。
「いま、このテサロ地方は、ほうぼうにグールがあらわれるようになった。アッシリア国もウブラ国も、それの対応で手いっぱいじゃ」
なるほど。あの一万を越えるグールの軍勢。生き残りはレヴェノアの地から逃げだした。それが全土に散らばったか。
「この
そういうことか。ここは物流の拠点、ラウリオンは生産、そして農民は食料だ。この国の基礎を固める。宰相がねらうのはそこだろう。
「三つはそれぞれ、独自の民兵を組織させる。盗賊などへの自衛手段でもあるが、民兵ができれば、結束も生まれるでの」
宰相が見ているものがわかった。増えた人、あらたに入ってきた人々。それをどう根付かせるかと。ものの見方を伝えると最初に言われたが、それは大きく全体を見つめることか。
熊人のケルバハンを「総督」にさせようとするのも、そこにつながる。よそ者だとすぐわかる熊人だ。それが要職にいると、あらたに入ってきた者も安心する。
この老人の思考は、まるで大きな川だ。大きな流れから小さな流れに分かれていく。
「農民の民兵ってな、無理なんじゃねえか?」
よこからルハンドが割って入った。
「あいつら、朝から晩まで農作業だ」
「巡兵士、という村々をまわる集団を考えておる。その巡兵士どうしで農作業を協力すれば、できるのではないか」
ルハンドが感心したように目をまるくした。
「ここの宰相は優秀らしい。こりゃウブラ国も危ないぜ」
猿人の言葉に場がすこし緊張した。やはりルハンドは本国にもどるつもりかと思ったが、発した言葉は真逆だった。
「その巡兵士っての、おもしれえな。よかったらやるぜ」
「ほんきか? 農作業だぞ」
おれが思わず聞いたが、ルハンドは楽しそうにうなずく。
「街にいると、いまみたいに素性がばれることも多くなるしな」
「国のいしずえか。おれもいっしょにゆこう」
急に、うしろから声をかけられた。立っていたのは、これまた大きな犬人だ。ただよう気配からして兵士、それも歩兵だ。
「こいつはサルタリス。今日はこいつとボレアの港を観にきた」
ルハンドがおれたちに紹介した。
「おいサルタリス、いっしょにって、おまえドーリク隊長の部隊だろうに」
ルハンドがそう言って大男を見あげた。ドーリク隊長はレヴェノア国の重臣中の重臣。その隊に選ばれるのなら、そうとう強いはずだ。
「近衛兵を落ちて、なにか目標を見失っていた。よい機会かもしれん」
ふたりを見ていたボンフェラート宰相が、腰袋から木札を取りだした。
「巡兵士の札じゃ。あとで王に名を入れてもらおう」
農村をまわっていたとき、宰相が木札をだしたことはない。このふたりは重要になると判断したか。
「王都のほど近く、
そう言って宰相は木札を差しだした。
「それは兵士のあいだでうわさの女、
ルハンドが木札を受けとり宰相にたずねる。
「そのとおり」
ルハンドは、おなじく木札を受けとる犬人の巨漢にふり返った。
「おい、サルタリス、こりゃ楽しみだぜ。剣の腕が立つ美女だと聞く」
「そうなのか!」
「善はいそげだな、こりゃ」
ルハンドは軽い礼を述べ、サルタリスをつれて去っていった。
「グラヌスの
それは自分で、いままいた種だろうと言いたかったが、去っていくルハンドの背中を見つめた。名も無きひとりの男として生きる、そんな生き方を望む者もいるのか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます