第162話 猿人のやさ男
「猿人のかた、もしや・・・・・・」
おれは言いかけて、ひるんだ。
猿人は、細身であり頭の毛を長くした変わった風体だ。やさ男と思ったが、にらんできた目がするどい。
「だれだ、おめえ」
「レヴェノア軍のかたと思いましたが、ちがったのなら、お許しください」
「いや、当たってるぜ。レヴェノアの兵士だ」
「そうですか。ひさしぶりに穴からでてきたら、大層な
やさ男が、また眉をひそめた。
「この国の武官と文官。いっさいの
しまった。おれとしたことが、レヴェノアの王都を離れ、そんなことも忘れていた。
「冗談だ。兄弟」
そう言って笑った。おれは言葉の意味がわからない。
「兄弟と、おっしゃったか」
「ああ、この国では猿人も犬人も関係ねえ。犬人にむかって兄弟と呼べる。楽しくねえか?」
変わった男だ。あごで座れとしめしてくる。四人がけの卓だった。やさ男のまえに座る。
「おれはモルアムと言います」
「ルハンドだ。さすがに兄弟と役人には言えねえな。知りあいってことにしようや。ありがたく一杯受けるぜ」
おれは店の者に
「穴と言ったな、モルアムとやら。
「はい。ラウリオン鉱山で働いております」
「抗夫には見えねえがなぁ」
ボンフェラート宰相も、おれを見てそう言っていた。ここは素直に話してみるか。自身のことは、しゃべってよいと言われている。
「もとは文官でした。アッシリアに内通した罪で、王都から追放されておりますので」
それを聞いてルハンドが目を見ひらいた。
「聞いたことがある。
王都レヴェノアでは、そう呼ばれているのか。内通者を一掃した件は軍参謀の鳥人、ヒューデールの主導でおこなわれた。そういう名前がつくのも納得できる。
「そのときの対象者でして」
やさ男がおどろいているところへ、二杯の
「まあとりあえず、いただくぜ」
そう言って
「追放されたのに、この国にとどまっているんだな」
ルハンドは陶器の杯を置きながら言った。
「おれは、この国が好きですので」
「王都から追放されたのにか?」
「温情がすぎます。打ち首にあっても、おかしくはない」
猿人のやさ男は、ひとつ息を吐いて腕をくんだ。
「兵士という意外に、なにか聞いたか?」
「いえ。それしか聞いておりません」
「そうか」
しまった! この男の自然すぎる問いかけに口がすべった。文官であったときなら、機転がきいていたかもしれない。
「だれかから、さぐってこいと言われたか?」
答えに困った。
「まあ、言えるわけねえか」
男が席を立とうとする。
「話をしてこいと言われた。さぐれとは言われていない」
立とうとした男は、もういちど座りなおした。
「さぐるでもないか。意味わかんねえな」
「おれもです。しかし、なぜわかりました?」
「さっき言ったぜ。この国じゃ兵士に酒はおごれねえ。なのに近よってきた」
もっともな理屈だ。あやしいと思わないほうがおかしい。
「素性も知らねえ男に近づくなんざ、あぶねえと思わねえのか?」
「それは思いましたが、命じたのは信頼できるかたでして」
「だれに命じられたか聞きてえが、そこは言えねえだろうな」
「申しわけない。自身のことなら、うそはついていない」
ルハンドは笑った。
「そうだろうな。自分から裏切り者だと名乗るのだからな」
それを言われると、ため息がでる。
「おれの人生で、もっとも大きな後悔だ。かくすつもりもない」
ルハンドは
「悪いやつには見えねえな」
「いや、糞だめのような男だ」
アトボロス王にペルメドス文官長。どちらも裏切ってよいような人ではない。
「口外しないと誓えるなら、素性を明かすが?」
「よいのか?」
「おそらく、もう、ばれているのだろう。だから、おまえがきた」
頭の切れる男だ。いや、切れすぎる。しかし文官のような雰囲気ではない。どちらかといえば武官のたたずまいだ。
「ほんとうの名は、長い名だ。ルハンドラ・クーチハバラ」
おどろきすぎて、口に持っていこうとした
「冗談だろう」
「さて、どうだかな」
「ウブラ国で、けっして名乗れない名だ」
「よく知ってるな」
「アッシリアでも有名すぎる名だ」
「ほう、全部言えるか?」
ルハンドの問いに、おれは
「ナーグプル、ダラバト、コダグラ、ジャルサイメーラ、バラトブル、カーネーラ」
六つの名をつづけざまに言った。
「そして、クーチハバラ」
「すらすらと、たいしたもんだ」
「ウブラ国七人の執政官。名乗れるのは、その一族だけ」
「自分は末端にすぎねえ」
「アッシリアでいえば、王族だぞ!」
「遠い親族の家系で、さらに自分は三男だ。気にするな」
気にするな、というほうが無理である。これなら宰相も教えてくれればよかったものを!
「名乗ったのはな、おまえ、はめられてるってことは、ねえよな?」
ルハンドの言葉が理解できなかった。
「はめられてる?」
「いちど内通の罪を犯したのだろう。この状況を役人に見せ、また罪に問う罠じゃねえのか」
そこまで深読みするか。たしかに、本人、つまりおれは相手の素性も知らず、ただ話してこいと言われているのだから、予測としては理にかなっている。
「ほんとに執政官の一族なのだな。
「まあな。それで、だいじょうぶか、おまえ」
思わず笑えた。
「おれを気遣ってくれるのか」
「悪いやつには見えねえ」
「それは感謝する。だが、罠ではない。剣に誓ってもいい」
「おいおい、こっちの国で、それは冗談でも言うなと教わったぜ」
さらに笑えた。ウブラ国にまで「剣の誓い」というのは知れわたっているのか。犬人の国で「剣の誓い」はきわめて重い。法で決まっているわけではないが、やぶれば殺されても当然だという因習がある。
「ルハンド、この国にきた理由を聞いてもいいか?」
「ああ、さっきの権謀術数ってやつだ。そういう世界に嫌気がさしてな」
それはアッシリア国でもおなじだ。貴族の世界は、目をおおいたくなるほど、まがまがしい情念がうずまくと言われる。
「しかし、国を捨てなくとも」
「腐った魚だらけみてえなもんだ。長居すれば腐臭が自分にもついちまう。まあ、ここの魚は、おどろくほど匂わないが」
卓の上には皿があり、食べたあとの骨が残っていた。ぱりっとした皮もすこし残っている。魚の素揚げか。たしかに、ここは港であるが漁村でもある。新鮮な魚は匂いがないだろう。
「レヴェノア国の王も、匂わないぞ」
おれの言葉にルハンドは笑った。
「そうだろうな。隊長と呼ばれる者たちも、どれもこれも、匂いはよさそうだぜ」
隊長がよい匂い、そう聞いてドーリク隊長の巨漢が浮かんだ。
「まあ、おれのような腐ったやつも、なかにはいる」
「それはちがうぜ兄弟」
強く否定され、おれは視線をルハンドにむけた。
「自分で腐ってるというやつは、腐っちゃいねえ」
「そういうものか?」
「そういうもんだ。腐ってるやつは自分では気づかねえ」
おれと歳は変わらないほどだが、ルハンドは達観したように言い、
「おい兄弟、もう一杯飲むか?」
「ルハンドがよいのなら」
「鉱山ってのは、いったことがねえ。話を聞きてえな」
「おれのことなら、なんでも話すぞ。たいした話はないが」
ルハンドが声をあげ、
おれは、この男がすっかり気に入っていた。鉱山での話をし、次には、あのグールとの
すっかり当初の目的を忘れたころ、おれに命じた本人があらわれた。大きな男をつれている。犬人でも猿人でもなかった。
「おどろいた、
ルハンドがそう声を漏らした。
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