第161話 混沌のボレア
テレネがいた林檎の村をでて、あちらこちらの村に寄った。
村に寄るたびに、ボンフェラート宰相は巡兵士を希望する者がいないかと聞いてまわる。若い農夫などは興味を持った。
「テレネという娘が巡兵隊の隊長じゃ。くわしくは、その者をたずねてみてくれ」
宰相はそう言ってまわった。ふしぎに思い、移動のさいに聞いてみる。
「宰相、あの女に隊長とは言わなかったと思いますが」
「腕も立つし、機転もきく。隊長にはもってこいじゃ」
「いえ、そうではなく、本人に」
「おおう、それはな、いきなり隊長をしろと言えば、断られるかもしれんからの」
なんと身勝手なじいさんだ。
そして巡兵士の話のほかに、もうひとつ。猿人を受け入れてくれないかという話だ。こちらは、ほとんどの村が難色をしめした。
それでも多くの村をまわると、ひとつ、ふたつほどは好意的に話を聞いてくれる村もある。
「なかなか急には、むずかしいものですね」
「なんの。いままでが、いそぎすぎじゃわい」
旅の途上で宰相が話してくれたのが、アトボロス王を中心とした国を建てるのに十年はかかると見こんでいたらしい。
「十年はかかると思ったことが、何年でかなったと思う?」
「二年、ですか?」
アトボロス王が戴冠して二年目になる。
「それは建国してからの年月じゃ。アトボロス王が国を取るまでにかかった月日は、あほらしいことに、一日。たったの一日じゃ」
そうか「王の酒場」にある「建国の食卓」だ。あの次の日には、もとの領主であったペルメドスに領地をゆずられている。
あかの他人に領地をくれるなど、あのときは気でもふれたかと思った。だが、いまとなってはわかる。ペルメドス文官長も、ボンフェラート宰相とおなじように、さきを見とおす力があったのだ。
おのれの視野のせまさは、旅をしていても痛いほどわかった。レヴェノアの街にいたころは思わなかったが、小さな村がなんと多いことか。
ひと月ほど馬に乗る旅になった。おかげで、ずいぶんと乗馬にも慣れた気がする。
「宰相」
ボンフェラート宰相に声をかけ、馬をならべる。
「なんじゃ、モルアム」
「ひと月も王都を留守にしております。よろしいので?」
「よい。いまは、これが最重要じゃ」
巡兵士の結成か。それは重要だと思うが、宰相みずからが動かなくてもよさそうである。
「必要な連絡は、しておるしの」
それは諜知隊のことだろう。旅をしていると、ふいに人が近づいてくるので、最初はおどろいたものだ。
王都レヴェノアで文官をしていたときから、話には聞いていた諜知隊だった。
諜知隊の年齢や見た目は、まちまちだった。旅人のような若者もいれば、農夫の姿をした老人もいる。
まあ、なにか重大なことがあっても、諜知隊が知らせにくるのだろう。そう思った矢先のことだった。
二十軒ほどの小さな村に着くと、かつてよく見た重臣の姿があった。それもふたり。ラティオ軍師とヒューデール軍参謀だ。
ボンフェラート宰相は、自分たちの旅程を諜知隊によって王都に伝えていたか。偶然に会うわけはない。重臣のふたりは、さきまわりして待っていたのだ。
三人は込み入った話のようだった。内容は聞こえなかったが、三人の顔が真剣だった。
「ノドム、モルアムよ」
呼ばれて近づく。
「ちと予定変更じゃ。ボレアの港を目ざすぞ」
異論はないが、あと数日で今年も終わる。宰相という地位にある者が、年の瀬まで働くのは感心いたしますと伝えたら、宰相から逆に怒られた。
「地位があがるほど、休みなどないと思え」
なるほど。昔に他国で王に煙たがられたという話があったが、うなずける。
それからはボレアの港へむかうことになった。
赤茶けた荒野を越え、緑地帯にあった小川の近くで一晩の野宿をとる。その次の日には、ボレアの近くまでくることができた。
「昼までには、ボレアに着きたい。いそぐぞ」
ボンフェラート宰相はそう言い、馬の足を速めた。
一刻ほど荒野を走らせただろうか。このテサロア地方を分断する巨大な川、カルラ運河が見えてくる。
「あ、あれが、いまのボレアですか!」
遠くからでもわかる、岸辺にできた巨大な集落。この港ができたばかりのころの面影はない。
ひとつひとつは粗末な小屋だ。それが際限なく広がっていた。
「もはや、村とも呼べんの。ここも急速に人が増え、混乱のきわみじゃ」
王都レヴェノアから文官と役人は派遣しているとのことだが、王都にくらべ人の出入りがあまりに激しいらしい。
「おぬしのおった鉱山もそうじゃが、ボレアも腕っぷしに物を言わすような
それはまったく、ラウリオン鉱山とおなじだ。あの鉱山も文官がいるが、坑道長たちの言いなりだった。
「モルアムよ、おぼえておけ。国は部屋とおなじ。汚れがたまるのは、中央ではない。部屋のすみじゃ」
その汚れたすみっこで働いていたおれには、よくわかる例えだ。
ボレアに入ると、人の多さだけでなく
乱立する小屋は、形も色もまちまちだ。ひろった流木などをつかい建てたような小屋も多く、曲がった柱に、かたむいた木板の屋根。いまにも倒れそうで物騒だ。
ただでさえ迷路のような道なのに、そこに人も多く歩いている。旅の者、商人、漁師など。服装から見るに、あらゆる職業の者がいた。荷車を押す
とりあえず王都の役人が運営する馬房をさがし、馬をあずけた。
「モルアム、ついてこい」
わんさとした人の
その諜知隊の案内で入ったのは、一軒の食堂だった。四つほどの小屋を無理やりつなげたような造りだった。なかに十ほど席がある。そのうちの三つに客がいた。
「あそこに、猿人がひとりで飲んでおろう」
食堂の奥だった。若い猿人の男がいた。身ぎれいな格好で、男のくせに毛を長く伸ばしている。漁師や力仕事をする人夫でないのは、あきらかだ。
「あの男と話をせよ」
「なにものです?」
「わが軍の兵士じゃ」
「それでは話をせよという理由になりません」
宰相を見たが、なにも言わず見つめ返してくる。
「へたに先入観を持たず、ぶつかれ、という意味ですか?」
老猿人はうなずいた。
「おれは、自分のことはしゃべってよいのですか?」
「自身のことであれば、なんでも」
ならば、この国のことは話すなということか。
「わしは、もうひとつ用事がある。帰ってくるまで、足止めしておいてくれ」
そう言って、宰相はノドムをつれて去っていった。
思うのだが、宰相はノドムにはやさしいのに、おれには手厳しい気がする。
ひとつ息を吐き、おれは男の席へとむかった。
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