第155話 戦い終わりて
人も動物も、血を流しすぎれば死ぬ。
とにかく傷を布でしばること。それが母さんから最初に教わった手当ての方法だった。
戦場のあちこちに兵士は倒れている。西側にきてみると、いちばん多くの兵士が倒れていた。
「ひでえな・・・・・・」
近くのラティオが声を漏らした。
混戦になった場所だ。多くの人が倒れているが動く気配はない。
落とし穴からは、まだちらちらと小さな火が見えた。雨はもうやんでいる。
生きている人をさがし歩くと、ひとりの兵士が
近くによると、カルバリスの見つめるさきがわかった。キルッフだ。若く聡明だった犬人の顔は泥にまみれ、目はとじられている。
カルバリスの肩をたたいた。もと領主の息子であり、いまは立派に隊長もつとめるほどの戦士は、ぼくの顔を見て静かにうなずくだけだった。
そのとき、近くから声が聞こえた。うめき声だ。あたりを見まわす。
「ア、アトボロス王・・・・・・」
「ヒルギム!」
以前に出陣のさい声をあげた若い犬人の兵士だ。調練ではドーリクによく怒られていた。ヒルギムのそばに駆けよる。
おなかが裂けていた。助からない傷だ。せめて白い布で顔の泥をふきとる。
ヒルギムの目が、どこを見ているかわからない遠くを見つめ、動かなくなった。
これまでのウブラ国やアッシリア国との戦いで、わかったことがある。戦場では、経験が浅い者ほど死にやすい。倒れている兵士は若い人が多かった。
レヴェノア国という若い国に期待をよせてきた新兵も多いだろう。その矢先が、この戦いだ。
ヒルギムの
顔をあげ、まわりを見た。歩いている姿の兵士は、もとの半数ほどだ。亡くなった兵士の数は三千か、悪くすれば四千にのぼるだろう。
しゃがんでいた腰をあげる。いまはとにかく、生きている人をさがすのが先決だ。
戦場の中央にくると、生きている人が多くなった。足や手にけがをした兵士を見つけては、白い布で血止めをしていく。
ぼくのせいだ。なにか、ぼくがまちがえた。
「成功の果実はすべて王のものであり、また失敗の責任もすべて王にある」
そうボンフェラート宰相も、いつかの教えで言っていた。
「無能な王で、もうしわけない」
ひとりの兵士の腕に布を巻きつけながら言った。兵士は口をあけたが、声を発しない。答えに困っているようだった。
「アト!」
マルカの声だ。顔をあげてみると、近くでぼくを呼んでいる。そばに駆けよった。
「そんな、フラム!」
倒れているのはフラム小隊長だ。
「陛下、お借りした剣を・・・・・・」
その胸の上でにぎりしめていたのは、ぼくの貸した短剣だった。
「マルカ、
「わかってる!」
マルカが手をかざし、古代語をとなえる。胴に大きな傷はない。
「くそっ!」
思わず悪態をついた。傷はないが、右足があらぬ方向をむいている。精霊の癒やしは生命力をあげるが、折れた骨をもどすことはできない。
マルカが癒やしをかけ終わると、折れた足をのばした。近くに落ちていた木の枝をそえて縛る。
ぼくは頭をかかえた。折れているのは、ひざからだ。これでは傷が治ってもフラムは歩けない。若いのに馬の名人だと、だれもが褒め、そのさきを期待されていたのに。
あまりにも大勢が死んだ。ぼくも、みなも、あんなに
うめき声がまた近くで聞こえた。見まわす。ひとりの兵士だ。口から血の泡を吹いている。
駆けより、からだを横にした。窒息してしまう。口もとをぬぐってやり、あおむけにもどすと、もう兵士は死んでいた。
「くそう!」
だれにむけてか、わからない怒りがわいた。
「アトボロス王よ」
歩いてきたのはハドス守備隊長だ。最後は激戦だったのだろう。甲冑には泥と、グールの黒い血がべったりとついている。
無事でなにより、そう言葉をかけようとしたが、守備隊長はうしろをむいた。ゴオ族長だ。三番隊をひきいてくれた族長が、だれかを抱えて歩いてくる。
「うそだ」
思わず、
人を抱えたゴオ族長は、ぼくのまえに、その人をおろした。
「
父の友は
父さんと母さんを知っていて、ラボス村も知っている人。ぼくを守ると父さんと約束をかわし、守りつづけてくれた人。
父さんだけではない。ぼくの友でもあった人だ。死ぬはずがない。ザクトは五英傑だ。
「一族の
ふいにゴオ族長が口をひらいた。
「一族の
族長の言葉は耳には入っていた。だからなんだ。ぼくはザクトを見つめる。
「アトボロスよ、誓って言ってやる。今後も、このようなことばかりだ」
ザクトの顔に泥がついていた。拭いてあげようと思ったが、地面についたぼくの腰は動かなかった。
「選ぶがいい」
ゴオ族長から殺気を感じ、思わず見あげた。族長に表情はなく、ぼくを見おろしている。
「このまま王をつづけるか。それとも王をやめ国を逃げだすか。もしくは・・・・・・」
族長が背中の大剣をぬいた。
「おれが、ひとふりで楽にさせてやろうか」
だれかが動いた音がしたが、ゴオ族長がにらむと止まった。ひとふりか。
「痛みは感じぬぞ。ひとふりなのでな」
「やめられよ、ゴオ殿。それは、自分が許さぬ」
歩いてくるのはグラヌスだった。
「だまってろ。おまえが、もう一歩動けば、王を斬る」
ゴオ族長の剣先が下がり、目のまえにきた。
死んだザクトを見つめる。王をやめるか。それもいい気がした。
王として、できることはしたつもりだった。頑張ってもきた。それの結果がこれなのだ。だれひとり、死なせたくないのに、多くの人が死んだ。
ザクトもそうだ。ぼくに関わらなければ、死ぬことはなかった。
ぬかるんだ地面に置かれたザクトを見つめた。目はとじられ、顔は血と泥で汚れきっている。
王をやめれば、こんな思いはもうしないのだろうか。死んでばかりだ。死を見送ってばかりだ。
王をやめるかと考えると、ふいに街の人たちの顔が浮かんできた。こんなときに街の人を思いだすのか。
ぼくはこれまで、意識して多くの人に話しかけてきた。それがこんな形で心を縛るのか。レヴェノアの街を捨てる。そう思うと、街の人の顔がぼくの胸をしめつける。
その胸の痛みに目をとじた。
やめれそうにない。ぼくはレヴェノアの街も、レヴェノアに住む人も大好きだった。
目をあける。横たわるザクトから目を離し、顔をあげた。ゴオ族長を見る。
こんなことばかりか。そうかもしれない。それでもぼくは、王をやめたくないらしい。
それはいつまでだろう。きっと、ぼくより王にふさわしい人があらわれるか、または、だれもが、ぼくに王をやめろと願うか。
それまでぼくは王だ。王の責務をはたさないといけない。
戦場を見た。多くの人が死んでいる。兵士とグールの死体だらけだ。
遠くに、だれかが立っていた。こちらをじっと見つめている。ドーリクか。
ドーリクはくるり背をむけ、すこし歩いて止まった。まるでその背中は、先陣をきるときのようだ。
「選ぶがいい、アトボロスよ」
低い殺気のこもった声でゴオ族長が言った。見あげる。剣先がまた、顔のまえにきた。その剣先を、ぼくは手で横にのけた。
「ぼくは、
立とうとした。腰が動かない。
「アト、自分の肩に」
駆けよろうとしたグラヌスに、首をふって止めた。
「動こうと思えば、からだは動く」
ザクトがよく言った言葉。心もおなじだろう。耐えがたい苦痛。だが耐えるだけだ。耐えると決めれば、心は耐える。
地面に
立ちあがった。
ゴオ族長が服のなかから腕輪をだした。それは草の葉と
「五英傑ギルザ、いや、レヴェノア軍、近衛隊長のザクト。おれを守り、やつは死んだ!」
なぜか族長は、まわりに告げるように大声で言った。
「やつの最後の言葉を聞くか?」
ぼくはうなずく。族長はすこしのあいだぼくを見つめ、口をひらいた。
「あの若いのをたのむ。やつはそう言って死んだ」
ザクトが、ぼくと最初に会ったときの呼び方だ。
「つけてもよいか?」
ゴオ族長は銀の腕輪を片手に持ち、自身の顔の高さにあげた。
「
ラティオの声だ。ヒックイト族の古い時代に言われた
気づけばヒューもいた。みながあつまっている。
「つけてもよいか?」
もう一度、ゴオ族長が、ぼくに聞いた。ぼくはうなずく。
「ぞ、族長、ヒックイト族は?」
言ったのはブラオだった。となりでは弟のイブラオも目を見ひらいている。
「ラティオでも、すればよかろう」
「おい、おれはレヴェノアの軍師だぜ」
ゴオ族長がラティオへむいた。
「なら、父親にでも代理をさせろ。その程度の
今度はラティオがふり返った。そこにいたのはラティオの父、ガラハラオさんだ。この戦いに参加していたのか。
「では、
そっと歩みでたのは、王都守備隊長でありながら、近衛隊の副長でもあるハドスさんだ。
「近衛隊、立て」
ゴオ族長が声をあげた。
「はっ!」
いくつもの大きな声の返事が聞こえたが、近衛兵は座って休んでいた。
かつて五英傑と呼ばれ、ヒックイト族の長だった人。その人が近衛兵にむかって歩き、命令を口にした。
「半数は王の護衛。残り半数はレヴェノアまでの帰路を確認する」
「はっ!」
近衛隊が、あらたな隊長とともに去っていく。
「水の精霊をかけますか?」
ふいに声をかけられた。イーリクだ。
「どこも、けがはしてないんだ」
「心を高揚させてくれます」
「いや、心の痛みは忘れたくない」
精霊戦士はやさしい顔でうなずいた。ぼくを気遣ってくれている。この人はいつもそうだ。
「イーリク、わが軍で生き残ったのは?」
いつだったかラティオは、この若き秀才は軍師むきだと言っていた。現状も
「およそ三千八百、というところでしょうか」
半数を下まわったか。文官に名をまとめさせ、あとで全員の名に目を通そう。それにも耐える。王の責務だ。
「十八の矢では?」
「さて、そこはまだ私も確認できて・・・・・・」
「十九の矢、そう言っていただきたい」
割って入ったのはマニレウスだった。
「とは言え、キルッフ隊長のあとをつぎ、あやうく隊を壊滅させるところでした。まだまだですな、おれも」
キルッフか。丘の上になびく旗を見る。キルッフが作った紋章だ。
「壁陣の雄、おしい者を亡くしましたね」
イーリクの言葉にうなずく。
「王よ、おれを一度、ドーリクの副長にしてもらえませぬか?」
意外な言葉に、
「武も、隊を指揮する能力も、おれより上です。一度、やつの下で学びたいかと」
マニレウスは軍人なのだなと、あらためて思った。このとき、この戦いのすぐあとで、もう次のことを考えている。
「おれも向上せねば、十九の矢にいつまでたっても入れませぬ」
「馬鹿か、おまえは。さっき見たであろう。どう考えても十九の矢は五英傑のゴオになるであろうよ」
声をかけてきたのは、もとコリンディアの八番隊副長であり、騎馬兵も歩兵もこなすナルバッソスさんだった。
「王よ、このたびのザクト近衛隊長、残念でございました。そして、見事でした」
見事とはなんだろう。ナルバッソスの目を見ると、問われるのがわかっていたのか、小さくうなずいた。
「おのれの信条を曲げることなく、最後までつらぬきました。ひとりの男として、尊敬をいだかずにはおれません」
そうか、母を傷つけた貴族を倒し、父とともにラボス村で戦い、そして息子であるぼくを守った。
「狂戦士などとは、笑えますな。その真逆、信念の戦士です」
たしかに狂戦士ではない。信念の固まり。そんな戦士だったのだ。
ザクトの亡骸は、兵士たちが荷車に載せて運んでいた。それを四人で見送る。
「仲間は減ってはいきますが、増えもいたします」
ナルバッソスの言葉は、きっと、さきほどのゴオ族長の言葉に対してだろう。ゴオ族長は「このようなことばかり」と言った。けれど失っていくものがあれば、増えるものもあるのか。
「人生とは旅のようなもの」と以前にナルバッソスは言った。そうなのだろう。別れと出会いを繰りかえし、目的地をめざす。
しかしザクトやキルッフは、目的地に着くまえに、旅が終わってしまったのだろうか。ザクトに会いたい。その心を内に押しこめた。
ナルバッソスが
「おい、待てって!」
声が聞こえた。ネトベルフさんの声だと思う。
思ったとおり、騎馬隊長が歩いてくる。そのまえを早足で歩いてくるのは、寡黙なもうひとりの騎馬隊長、ボルアロフさんだった。
ボルアロフは、ぼくのまえでひざをつき、胸に拳をあてた。そして去っていく。
「も、申しわけありませぬ。あやつ、なにを考えておるのか」
おそらく、ボルアロフさんらしい
「ひとつ、疑問があります」
「はっ! 王よ、いかなる疑問にも、お答えします」
なにか責められるのかと思ったのか、熟練の騎兵は足をそろえ背筋をのばした。
「あれほどの腕を持ち、なぜに、隊長でも副長でもなかったのです?」
ネトベルフとボルアロフのふたりは強く、兵の指揮も上手だった。それが王都の騎馬隊では、いち騎馬兵だったのが疑問に思う。
「いやまあ、あんなやつですので、貴族から嫌われまくりました」
なるほど。歯に着せぬ言葉というのはあるけれど、ボルアロフは態度でそれをしめしている。ネトベルフはそれの巻きぞえ。それでも、巻きこまれつづけるというのは、おかしなふたりだ。
「おい、
さわがしい声が聞こえた。「おり」という、なまった言い方はサンジャオさんだ。
ところが、サンジャオのまえを歩いているのは、ジバ傭兵隊長だった。
「落ちていたぞ」
ジバ傭兵隊長が差しだしてきたのは、麦穂が描かれた鉄の弓だった。
落ちたところがよかったのか、上空で投げすてた鉄の弓は、壊れることもなく、曲がることもなく形をとどめている。
鉄の弓を受けとった。矢筒はたしか、丘の上に置いたはずだ。
「王よ」
背後から、そっと矢筒を差しだす姿におどろいた。近衛兵のひとり、そしてジャラクワの漁村で出会った老猿人、チャゴさんだ。
「ご無事でしたか」
ぼくの言葉に、チャゴさんは
かつての大戦をくぐりぬけた人は、このグールとの大戦もぐぐりぬけたのか。ぼくは深いしわの奥にある目を、思わずまっすぐに見つめた。
「王都に帰られ、お休みになりますか?」
チャゴ近衛兵に聞かれた。ぼくは首をふった。兵士たちの救護がしたいのもあるが、ぼくはいま、心の内に大きな穴があるように感じている。いま休めば、その心の穴を見つめるだけのようで怖い。
矢をひとつ放ちたくなり、矢筒からひとつぬいた。
麦穂が描かれた鉄の弓につがえ、天にむかって矢を放った。
上空にのびた矢は、風にあおられ流れていく。秋の風は、冷たい風だ。
「グールは去ったけど、これから各地の村は収穫だ。みなで守っていかないと」
周囲にあつまる、みながうなずいた。その輪の外、ぼくを見つめるグラヌス、ラティオ、ヒューがいる。
ナルバッソスの言うとおり、仲間は増えた。ラボス村ではひとりだった。
「街にも人が、もどるだろうか」
思わずつぶやいた。多くの人が街から逃げ、住民は減っている。
うなずいたのは、多くの国を見てきたであろう流浪の猫人、ジバ傭兵隊長だった。
「もどる。いや、以前より増えるか」
「増えますか」
「一万のグールに勝った。これほどの名声は、あっという間に広まるだろう」
そうであって欲しい。活気のあるレヴェノアの街が好きだ。
歩こう。やるべきことは多い。雨雲の隙間、うっすらと光が差してきた。
ぼくはそれをすこし見つめ、冷たい秋風のなかに足を一歩、踏みだした。
第八章 アトボロス 薄明の風 終
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