第153話 わが軍の大蛇は二匹
ぼくらのいる丘の後方から、馬蹄のとどろきが聞こえた。
その先頭を駆ける二頭の騎馬。いきおいそのままに、丘に駆けあがってきた。
「お待たせいたした!」
いかにも軍人らしい引き締まった
「ああ、待ったぜ」
「それは、かたじけない!」
「いや、冗談だ。そろそろだと思った。ふたりは速いからな」
「おだてるのが、お上手で。ご命令は?」
「左右から
「おまかせあれ!」
ネトベルフはそう言うと、手にした特徴のある武具をくるりと回した。大きな
「西側は、大きくまわれよ」
「心得ております」
ネトベルフがうなずく。そのとなりにいる犬人の騎兵もうなずいた。肩にかつぐ武具は、突くための槍の刃に小さな斧のような左右の刃。
ふたりに遅れ、もう一騎が丘にあがってきた。ふたりにくらべれば線も細く、ずっと若い犬人。フラムだ。今日は百騎をひきいる小隊長のひとりとして参陣している。
フラムも今日は、剣ではなく長槍を持っていた。得意としているのは「
突剣は細いために折れやすく、予備の剣を持つと言っていたが、今日は一本のようだった。
「フラム小隊長、今日は
ぼくの言葉に、小隊長は苦々しい笑みを浮かべた。
「それが、あせっているのか、一本忘れてきました」
それはまずい。若いのに馬の名人と呼ばれるフラム小隊長だが、馬をおりて戦うことは、あるかもしれない。ぼくは腰にさした短剣を
「フラム殿、これを」
「そんな陛下!」
「ぼくが、これをつかう機会はないと思います」
フラム小隊長が、ちらりとザクトを見た。兵たちに説明していないけど、やはり話は伝わっているか。
ぼくのそばには五英傑がいる。フラムはそれを見て安心したようで、馬上から手をのばし、ぼくの短剣を受けとった。
三人が隊のもとへ帰ると、騎馬隊は左右に分かれた。ぼくらのいる丘をまわるようにして戦場へ駆けていく。
右の先頭を駆けているのがネトベルフ。十五歳から王都の騎馬隊に入り、もう三十年近くずっと騎馬隊だそうだ。
熟練の騎兵にひきいられた隊は、縦に長い長い列になった。戦場から離脱するのかと思うほど、外にむかっていく。そこから大きく弧を描くように長い列が旋回した。
旋回した馬の列が、だんだんと速くなってくる。それでも前後の間隔はおなじだ。
「すごい」
騎馬隊の腕前に感心する。軍師のラティオは、早い段階から騎馬隊だけは数をそろえ、さらに
そこに総隊長のグラヌスみずからと、ふたりの熟練な騎兵を入れた。練りあげられた努力が、ここに結果となってあらわれている。
全速力となったネトベルフの長い列が、グールが固まる群れの後方へ突撃した。
五百の騎馬が列をなしてむかってくれば、さすがにグールも蹴散らされる。
左からまわってきたボルアロフの長い列も、グールの群れを切り裂いた。
左右からの騎馬隊が、グールの群れを駈けぬける。さながら二匹の大蛇が獲物を食いちらかし進むように見えた。
「ヒュー?」
鳥人のヒューが空を見あげていた。
「いやな気配がする」
空は黒い雲におおわれている。いまにも雨がふりだしそうだ。
「天候が崩れなきゃいいけど」
「アト、そうではない」
東の空、雨雲の下、飛んでいる鳥の群れがあった。
「ヒュー、鳥のほかは・・・・・・」
「あいつらか」
ヒューが空へ羽ばたいた。
鳥の群れは、こちらにむかって飛んでいるようだった。ヒューが鳥の群れに近づいていく。
群れから一羽、はずれた鳥がヒューへとむかった。すれちがうと思いきや、ふたつの影がぶつかった!
「ヒュー!」
思わずさけんだ。
からまるように落ちる影は、またふたつに分かれた。戦っている。
鳥の群れが近づいてくる。姿がはっきりわかった。大きな怪鳥だ。羽は錆びた銅のような鈍い緑色をしており、首が長い。大きさは人と変わらないほどに見えた。
「
ボンフェラート宰相がさけんだ。怪鳥の群れが急降下してくる。その下にいたのは、戦場を駈けぬけたネトベルフの騎馬隊だった。
ぐるり旋回しようとしていた騎馬の長い列は、上からの思わぬ攻撃に列を乱した。何人かが馬から落ちたのも見える。
怪鳥の群れは三十羽はいる。追い立てられ騎兵はちりぢりになって逃げている。
怪鳥の群れが空へと舞いあがった。
「
ぼくが言うと従者が長弓をすばやく持ってきた。受けとり、みなのところから歩みでる。大股にひらき腰を落とした。安定させるためだ。
矢をつがえ、弓を押しだす。そこから
そして
「ここから届くのか・・・・・・」
おぼえのある声にふり返る。馬に乗った小柄な猿人、サンジャオが丘の上にきていた。
独自で練習していた射法だった。サンジャオは知らない。
「サンジャオ、外からまわり、あの鳥をたのむ!」
ラティオの声で弓兵隊の副長はわれに返った。
「よし、まかしとけ!」
「地上からグールの群れがきたら、すぐ逃げろ」
「おお、そりゃ、おっかねえ!」
サンジャオが馬を返し、弓兵隊のもとへ駆けていく。長弓隊の約五百人は、戦場から遠くに待機させていた。移動のため馬に乗せていたのが、幸運にもこの場で役に立つようだった。
「雨じゃ・・・・・・」
ボンフェラートがぼそりと言った。ぽつりぽつりと雨がふってくる。
戦場の大きな三つの隊、歩兵の三隊はどれも方陣を崩していなかった。それでも地上には横たわる人影が、あちらこちらに見える。
「くそっ、一割は減った」
ラティオが言った。四角い方陣はひとまわり小さくなったように見える。
「ラティオよ、精霊隊を投入するか?」
ボンフェラートが言ったが、軍師は首をふった。
戦場の左、怪鳥と戦うネトベルフの騎馬隊のもとへ、サンジャオの弓兵隊五百人が到着したようだ。雨が空へ昇るかのごとく、数多くの矢が垂直に放たれる。
何匹かの怪鳥が落ちた。それでも二十匹以上は、矢を避けるように空高く舞いあがる。
雨が激しくなってきた。上空に逃げた怪鳥が見えにくい。
「サンジャオの隊に伝令!」
「はっ!」
「奥の手を使うぞと伝えよ」
「承知しました!」
軍師ラティオの言葉に、付け足すことが思い浮かんだ。
「サンジャオ副長に、しんがりでくるよう伝えてください」
「御意!」
伝令の馬が駆けていく。
「あの
そう、それに馬もたくみだ。しかし雨がふりだしたので、それほど乗馬がうまくない弓兵は遅れると思う。
ラティオが、となりの丘に合図を送った。
どん、しゃん! と
四角い方陣で戦う右、キルッフの歩兵隊がゆっくりと進んだ。反対に左にいるゴオ族長の隊はゆっくりと
そこへ、ボルアロフの騎馬隊がやってきた。グールの群れをかすめるように攻撃して去っていく。
グールの攻勢がゆるんだそのとき、ゴオ族長の隊は駆けだした。中央にいるグラヌス隊のうしろをぬけ、戦場を西へと走る。
ぼくらの丘のうしろを、サンジャオの弓兵隊が通った。弓兵隊も西へと駆ける。
怪鳥のせいで隊列を崩していたネトベルフの騎馬隊も突撃を始めた。こちらもグールの群れをはしから攻撃しては去っていく。
ふたつの騎馬隊を追いかけるグールもあり、戦場には混乱が生まれてきた。
前進したキルッフの隊がひろがる。グラヌスの隊は後退し、こちらも西へと駆けた。
ネトベルフ、ボルアロフ、騎馬隊のふたつがもどってくる。今度はふたつとも長い列だ。縦横無尽に戦場を切り裂き、グールの群れが分断された。
騎馬隊に新兵を入れない理由が、よくわかった。まるでひとつの生き物のように、まとまった動きをする。
そして、ほとんどの兵が歩兵になるのもわかった。ここまで馬を自在に乗りこなせないと、戦場では意味がないのだろう。へたに馬をつかえば落ちて大けがをして終わりだ。
ふたつの騎馬隊が最後の一撃をくわえグールの群れから離れると、キルッフの隊も西へと移動していた。
歩兵は西側で中央のグールにむかい横列にならんでいる。こちらから見ると縦にならぶ格好だ。その背後から無数の矢が空へ飛ぶ。天高く登った矢は頂上をこえるように折り返し、グールの群れに矢の雨を降らせた。
ふたつの騎馬隊も、歩兵のうしろへ回りこむように駆けていく。その動きに釣られ、グールの群れが西の歩兵へと走りだした。
グールと歩兵の距離が縮まりかけたそのとき、グールの先頭が急に止まった。
落とし穴だ。戦場の西側に、たくさんの落とし穴を作っておいた。
大きな落とし穴だと最初に落ちれば警戒される。小さな落とし穴を無数に作っていた。最初の落とし穴をかわしたグールが進むが、また次の落とし穴に落ちる。
グールの鳴き声が聞こえる。気味が悪くなるような低い声だ。穴の底には
運よく穴から
大きく三つにならぶ歩兵のうしろが、一瞬明るくなった。いっせいに火矢が飛ぶ。
火矢は落とし穴にいるグールへと降りそそぐ。落ちた瞬間に火柱があがった。穴の底には油を入れてある。落ちたグールが暴れることで、そこやかしこに飛び散った油にも火がついた。
火の海から逃れようと進み、また落とし穴に落ちる。そこへまた火矢が飛ぶ。
ラティオの用意周到さに舌を巻く思いがした。いまの弓兵隊がいる場所には、まえもって火矢の道具をのせた荷車をいくつか用意してある。こうして歩兵がならび、その背後に弓兵が入ると、置いた荷車がちょうどよい位置になっていた。
燃える地面の一帯からまわりこもうとしたグールを、今度は通常の矢が襲う。
火矢は風の影響を強く受けるので、精度がよくない。サンジャオは五百の弓兵を三つに分けていた。火矢を撃つ者、まわりこんでくるグールを撃つ者。
まわりこむグールに次々と矢が当たった。まわりこむということは、炎の壁の左右から順にでていくことになる。ねらうのは簡単だ。
火に恐れをなしたか、グールの一団が歩兵ではなく、丘のこちら目がけて駆けてきた。
「別働隊、前方に展開!」
ラティオの声に、丘のまわりに待機していた兵士が動く。丘のうしろには武具や防具を載せた何台かの荷車を用意していた。そこから盾を持ち、丘のまえに整列していく。
「そのうしろに精霊隊じゃ!」
ボンフェラートが駆けだした。
こちらにむかってくるグールは百体ほど。
ぼくは手にしていた長弓から、鉄の弓に持ち替えた。うしろにいるザクトも剣をぬく。
羽ばたく音が聞こえ、ヒューがもどってきた。
「ラティオ、歩兵が崩れる」
「なにっ!」
ラティオがむくと同時に、ぼくも見る。グールは火の壁をこえて歩兵の陣へおどりこんでいた。
「
頭からひたいに流れる雨雫をぬぐいながら、ラティオが悪態をついた。気持ちはわかる。落とし穴には、かなりの油を仕込んでいたはずだ。燃えさかるはずが、火は弱くなっていた。
「むこうに荷車だけでなく、刃盾も用意しとくんだったか。考えがぬるかったな」
ラティオが顔をしかめる。刃盾は、丘の前方にあたる戦場に投げすてていた。青銅の重い盾だ。すばやく動くには邪魔になる。
むこうに用意しなかったのは、ラティオはここから攻勢に転じようと策を練っていたのだろう。攻撃にも、あの重い盾は邪魔だ。
攻めこまれているグラヌスの隊は、後退するのかと思えば、その場で踏みとどまっている。
「ラティオ、一番隊が後退してない!」
「うしろには弓兵がいる」
ああそうか! それに荷車もある。後退しながら陣を固めるのは無理なのか。
ラティオが大太鼓に合図を送る。
どんどん! とふたつの太鼓をたたく低い音が鳴りひびいた。これは散開だ。
各隊が横列にならぶのをやめ、各個でグールにむかう。
「伝令、サンジャオに弓兵隊は離脱と伝えよ」
「はっ!」
馬に乗った伝令が駆けだそうとしたが、それをヒューが止めた。
「混戦だ。見つけられないだろう。わたしが飛ぶ」
ヒューが翼をひろげた。
「それなら、ついでもたのむ。歩兵の三隊長に、もどって刃盾をつかえと伝えてくれ!」
ラティオは、もう一度合図を送り、今度は大太鼓が三回たたかれた。それぞれの隊長へあつまれという号令だ。
西側に気を取られていると、前方から大きな音がした。丘のまえにいる近衛兵とグールがぶつかっている。
ぼくも矢をかまえた。精霊が激しく動いた気配がする。ハドス別働隊のうしろ、
呪文によって倒れたり、動きを止めるグールが見えた。そこへ別働隊の兵士がとどめを刺す。ぼくも丘の上から矢を射った。別働隊の頭を越え、うしろのほうにいたグールに刺さる。
つづけて矢を放つ。四本目を放つころには、ほとんどのグールは別働隊によって倒されていた。
「ハドス、前進だ! こちらに注意をむけたい」
「承知した!」
「グールの群れがくれば、すぐ後退!」
「あい、わかった!」
ハドス守備隊長がどこにいるかわからないが、声は聞こえた。前進させるのか。思わずラティオの顔を見る。
「むこうが隊をととのえられない。一度、こちらに注目させる」
ぼくにむかってラティオが言った。
むこうとは西側のことだ。見ると、たしかに歩兵隊はまとまれず、混戦のまま戦っている。
サンジャオの弓兵隊は馬に乗り、離脱できたようだった。固まってこちらに駆けてくる。それを追いかけるグールもいたが、最後尾にいるサンジャオが馬の上から長弓を放つと、追いかけるグールに次々と当たった。
西側は混戦だ。それでもひとつの隊は固まりつつあった。
「あの動き、キルッフだな」
ぼそりとラティオが声を漏らした。
固まった兵士は丸い形になり、円陣を組んだ。丘のあるこちらに移動してくると思いきや、さらに奥、敵のほうへと進んでいく。
「ほかの隊のために、間をかせぐつもりか!」
ラティオが言った。グールは、より人が多いほうを襲う習性がある。固まったキルッフの歩兵隊に、これまでになく次々とグールが群がった。
「ラティオ、あれはもたない!」
「ああ、わかってる!」
これが大太鼓と銅鑼のあわせた連打なら、全軍突撃となる。大太鼓だけは騎馬隊の突撃だ。
キルッフ歩兵隊の大きな円陣が崩れた。
ネトベルフの騎馬隊が、キルッフの隊に群がるグールに突撃する。ボルアロフの騎馬隊は大きく外をまわっていた。むきを急旋回し、キルッフ隊のほうへと駆ける。
ふたつの騎馬隊に追いかけられ、キルッフの隊に群がっていたグールが四方へ散っていった。
その隙間をついて、ゴオ族長、グラヌス、ふたつの隊が固まる。落とし穴の地帯をまわりこむようにして、丘のまえへ移動を始めた。
突撃した騎馬隊も、丘のまえ、中央へと流れてくる。もとの位置にもどしたいラティオの意図がわかったようだ。
ゴオ族長とグラヌスの隊が方陣を固める。グールの群れがぶつかっていくが、今度は崩れず、ふたつの方陣は耐えた。刃盾をひろえたようだ。
それに遅れて、キルッフの隊も中央にもどる。グラヌスとゴオ族長の隊が前進した。そのあいだにキルッフの隊が方陣を組んでいく。
「いま指揮しているのは、マニレウス副長だ」
羽ばたきが聞こえ、もどってきたヒューが言った。
「キルッフ隊長は?」
ぼくは聞いたが、ヒューは首をふった。
「姿は見えない」
ヒューの言葉に、ラティオと見あう。軍師も言葉を失っていた。
多くの兵士が倒れている。隊長格の人も、もちろん安全ではない。それはわかっていても、衝撃は強かった。
ふり返り、ぼくの近くに立つ旗を見あげる。天をむく矢を守るふたつの剣、そして背後の翼。キルッフが考えた紋章の旗。
その旗は打ちつける雨に濡れ、はためいてはいなかった。
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