第83 最終話 王の酒場
昨晩に飲み食いした酒場、ヒキガエル亭へと走る。
「すまぬ、すっかり寝ておった」
よこを走るグラヌスが言った。
「この、馬鹿犬め」
昨日の酒場が見えてきた。入口の近くまで走ると、なぜかグラヌスが足を止める。
「ラティオ殿、自分の目が、おかしいのだろうか」
グラヌスは上を見あげていた。店主の男が、店の看板を換えている。その看板には信じられない文字が書かれてあった。
「王の酒場」
掛け替えていた店主がふり返る。
「これは、臣下のかたがた! 遅いですよ、入って入って」
うながされ店に入ると、そこには大勢の犬人があつまっていた。それに酒場の食卓机には山のように料理がならんでいる。
うしろから店主も入ってきた。
「おい店主、これはいったい」
「助けていただいたラウリオンの家族です。王様に礼をしたいっていうんで」
あつまった顔を見ると、たしかにラウリオン鉱山の村で見た者もいる。
「あの看板は・・・・・・」
「へい。さすがに王様がくる酒場がヒキガエル亭ってのは、よくないと思いまして」
一番奥に二重、三重の人の輪があり、その中央にアトがいる。腕に赤子を抱いていた。そのよこにいるのはカルバリスだ。
「おお、百人斬りの隊長が!」
グラヌスを見た男が強引に腕を引っぱっていく。百人斬り。ゴオ族長も真っ青の
おれはそっと、アトやグラヌスが囲まれている人だかりとは反対に逃げた。もはや置かれた状況にあきれてくる。思えば腹が減った。積まれた取り皿から一枚を持ち、どの料理にしようかと迷う。
「各家の自慢料理を持ってこられて、商売あがったりだよ」
「なぜ、この店へ?」
「王様に抱いてもらってる子が旦那の親族の子でね。うちの人、おれの店の客だなんで言っちまったもんだから」
なるほど、それでとりあえず、ここにあつまり、領主の館へ呼びにいったというわけか。呼ぶほうも呼ぶほうだが、来るほうも来るほうだ。
アトと目があい、抱いてる子をおれに見せた。あれは鉱山でおれが抱いていた赤子だ。
おれは愛想笑いをアトに返したが、親は異種族のアトによく自分の子を抱かすもんだ。
入口の扉があき、入ってきたのはイーリク、ドーリク、ボンフェラートとマルカ。
「おお、臣下のかたが来場されたぞ!」
イーリクとドーリクが引っぱれていく。グラヌスもそうだが、あの三人、兵士との戦いですっかり有名人だ。
「軍師、ラティオ殿、こちらへ!」
おれは耳をうたがった。声を発した男のよこで、グラヌスが満面の笑みを浮かべている。あの野郎。
それからは勧められるがままに食べ、手にした杯は底が見える暇もなく、次々とあらたにそそがれる。
一刻ほどそれを繰り返し、ようやく
「とんでもないことに、なったのう」
そう言ってとなりの椅子に座ったのはボンフェラートだった。
「まったくだ。昨夜の話が、もう無駄になるかもしれねえ」
朝方まで、このボンフェラートと今後について話を重ねた。あらゆる状況を想定したつもりだった。それが、一日とたたずに予想外の方向になる。
「しかしラティオよ、これを捨て逃げるのは、
ボンフェラートの言いたいことはわかる。グラヌスではないが、国を
話を受けるしかないのか。
「わずか半年。半年だ」
ボンフェラートに言ったが、老賢人は首をひねった。
「アトが訓練兵になってから半年。それであの少年は国を取ったことになる」
「そ、それは恐るべき栄達の速さじゃ」
ボンフェラートはため息をひとつ吐き、手にした麦酒の杯を机に置いた。
「わしは、ラティオ、おぬしこそ王の器じゃと思ったがの」
「おれがそんな
「ヒックイト族の次の族長は、おぬししかおらんとも思うておった」
アトを見てみる。まわりの犬人族と楽しそうに話していた。酔いのまわった男がアトと乾杯しようとしてこける。アトがあわてて男の肩をかついで立たせた。
「ヒックイトの里など、おれはどうでもいいぜ。それよりアトだ。あいつの周りには種族も関係なく人があつまる。おもしれえと思わねえか」
ボンフェラートは、あきれた顔をした。
「おぬし、あの人間の少年が好きじゃのう」
「はっ、グラヌスには負けるぜ」
「これも運命、というものかの」
ボンフェラートのつぶやきが聞こえた。運命か。そうだろうか。おれたちは四方八方を駆けまわり、ここまできた。だが、それは自分たちの意思でだ。
そして運命というには、故郷をなくしたアトが過酷すぎる。
「ラティオ、いるぅ?」
すっかり顔を赤らめたマルカが、あらたな
このマルカもそうだ。親を亡くし、見知らぬ土地で生きていくのだ。これを運命とは呼びたくない。いや、それを言えば、グラヌス、イーリク、ドーリクも、みずからの意思でアッシリアという国を捨てたのだ。
これは、おれの番なのか。さきほど、男は軍師と呼んだ。グラヌスがそう説明したのだろう。
アトボロス王がひきいるレヴェノア国の軍師。決めた。これは運命ではない。おれが決める。
マルカの差しだす杯を取った。頭上高く掲げる。息を大きく吸った。大声をだすためだ。
「みな、乾杯しよう!」
場内の人々が、おれをむいた。
「われらが王に!」
おれは大声で言った。みながあわてて杯を持つ。
「
近くに杯がなかった男が厨房に駆けこんで行った。杯を掲げ、じっと待つ。厨房から店主と女主人もでてきた。
みなが杯を持ち、アトへとむく。アトめ、困ったような顔をしている。
「われらが王に!」
高らかに、おれはさけんだ。みなが杯を頭上に突きだす。
「われらが王に!」
あつまった人々の合唱が鳴り響いた。それは大きな合唱となった。となりの酒場から何事かと人がのぞきに来る。
「離せ!」
外からの怒声が聞こえた。入口の扉があき、入ってきたのは昼間に見た兵士の副長だ。そのうしろは大工らしき男。副長は腕をうしろで押えられているのか。
「離せ!」
「おい、この兵士がのぞいてたぞ」
大工が言った。副長は、この街の兵士が着ている赤い上着を着ていなかった。腰に剣もさげてない。おれは大工に言った。
「なにかしようって格好でもない。離してあげてください」
「おお、そうか」
大工が腕を離すと、若い副長はおれをにらんだ。
「このアッシリアから独立するなど、無謀だ!」
おれが答えようとすると、大工のほうが口をひらいた。
「いいと思うぜ」
大工はアトをむき、胸に手をあてた。
「この街で大工の棟梁をしておる、ダリムと申しやす」
アトも大工へしっかりむき、胸に手を当てあいさつを返した。
「へへっ、王様にあいさつするなんて機会があるとはな」
ダリムと名乗った大工は、もう一度、副長にむき直り、腕を組んだ。
「あのな、まえから、兵士なんてもんは要らねえと思ってる連中は多いんだ」
「なにを! この街を守っているであろうに」
「守るか・・・・・・」
ダリムは服のそでをまくった。
「いぜんに兵士の家を直した代金で揉めたことがある。その結果がこれだ」
腕にはざっくりと刃物傷があった。
「斬られたのか! それは兵士といえど罪だ。その兵士の名を教えてくれ」
ダリムはそでをもとにもどした。
「おめえは真面目かもしれねえが、
副長は言い返せず立ち尽くした。ダリムはそれを無視して、まわりに問いかける。
「それで、これはなんの
酒場にいた人々は、なんと言えばいいのだろうと、おれやアトを見た。
「建国の宴、とでも名づけるか」
おれは勝手にそう言った。
「おお、そりゃ一大事、仲間の大工がとなりにいます。呼んできまさあ!」
ダリムは飛ぶように店をでていく。
「アト、このさいだ。表にでよう」
店の外に人はあつまっている。アトの周りを守りながら外にでた。
「建国の宴である。乾杯したい者は杯を持て!」
外にでて大声で言った。王の酒場をのぞいていた人が、われさきにと飲んでいた酒場に駆けもどる。
いや、いつの日か、このテサロア地方すべてに、とどろかせてやる。
あちこちの店から杯を持った人が次々にでてきた。意外に多いことにおどろく。
「われらが王に!」
夜空に杯を掲げた。通りを埋め尽くす人が、おなじように夜空に杯を掲げる。
「われらが王に!」
人々が大声で言った。歓声もあがる。
「アト」
となりのアトに話しかけたが、人々の騒ぎで気づかない。
「アト!」
大声をだすと、やっと気づいた。
「なにラティオ!」
「おれが必ず、おまえを一番の王にする!」
「ぼくより、みなが幸せに暮らせるのが一番だよ!」
おお! と周囲の人々が歓声をあげた。
「聞いたか、みなの者! 王の望みはただひとつ、みなの幸せだ!」
大声をあげたのは、さきほどいた大工の親方ダリムだ。喝采が起こる。
「さすが、建国王アトボロス様!」
グラヌスが麦酒を飲みながら声をあげた。おい、飲みすぎだ。
「アト、やめたくなったら、いつでもやめていい」
いつのまにかヒューがいる。女郎、無責任に言うな。
アトが夜空を見あげている。おれも見あげた。
その空は、おれがよくながめた納屋の隙間から見る小さな星ではなかった。満点の広い星空だ。
「われらが王に!」
「われらが王に!」
人々の乾杯のさけびは、星に届けとばかりに
第四章 ラティオ 建国の水 完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます