第80話 大きな岩
「ペルメドス殿」
「はっ、ラティオ殿、なんなりと」
なぜ、おれの名前まで知っているのか。舞台のまえに歩みでて領主を見おろした。冗談を言っている顔ではない。壮年の犬人は、真剣そのものだ。
「このレヴェノアを守れという」
「左様でございます。ぜがひに」
今日の兵士との戦いで、おれらを見こんで傭兵として使おうと言うのか。ごめんだ。
「おれらに軍隊はねえ。守れと言われても無理だ」
「軍は、今後作ればよろしいかと」
「そんな金、おれらにはねえぞ」
「それはレヴェノアにございます」
「ははっ。領主の
おれはボンフェラートに笑いかけた。
「わたくしの
おれは動きが止まった。
「領主、なんて言った?」
「陛下の懐にございます。できますれば、このペルメドスを運用の文官として召しあげいただきたい」
おれは舞台のそでまで歩き、そして帰ってきた。完全に頭が混乱したからだ。この街を守れと。費用はレヴェノア持ちだ。そして、それはアトの懐になるらしい。おい・・・・・・
「おめえ、アトに自分の領地を差しだす気か!」
「末永く、この地をよろしくお願いいたします」
「なっ!」
言葉がつづかない。おれの人生で即答できなかった二回目だ。このまえの酒場でアトにどうすればいいか聞かれたとき。そして今日、領地を他人にやると言われたとき!
「馬鹿なことを申されるな、ペルメドス殿」
口をひらいたのボンフェラートだ。そうだ、たのむぞボンじい。このおかしな場をどうにかしてくれ。
「ご自身の領地を差しだそうと
「左様」
「ご自身はどうなさる?」
「さきほど申しあげたはず、文官として召し抱えていただきたい」
ボンフェラートが口ごもった。このじじいが会話に詰まるのも初めてみたかもしれない。
「そ、そのような話、信用できるとお思いか!」
「信用できなければ、わがはいを追放すればよいと思いますが、よそに行くあてもない身。なにとぞ、王の街へ住むご許可を」
ペルメドスが今日で何回目かわからぬ頭をさげた。
「正気ですか、領主様!」
「なにがどうなってんだ!」
聴衆が騒ぎ始めた。そりゃそうだ。住んでた街を他人にやるというのだから。
「そんな子供が、王のわけあるか!」
群衆のひとりの声にペルメドスが立ちあがった。
「いま言ったのはだれだ。名乗れ」
こんな声もだせるのか。ペルメドスは腹に響くような声をあげ、聴衆をふり返った。
「この愚身への非難は受けるが、王への不敬は許さぬ」
聴衆が黙った。
「で、ですが、領主様、なにも異種族の王様に差しださんでも・・・・・・」
聴いていた手前の老人が、か細い声を発した。
「ほう、犬人ではない王は
いやそりゃ、あんただろう。
「アッシリアに差しだすか?」
「それだけは嫌だ! そうなったら、この街はおしめえだ!」
カルバリスがさけんだ。おいおい馬鹿息子、自分が継ぐ領地ってのを忘れてないか。
「カルバリスさんよ」
「はっ! ラティオ殿、と申されましたか」
「いま、自身が継ぐ領地がなくなる
カルバリスがすこし考えた。そしてうなずいた。なぜうなずく!
「おれに領主が務まるとは、思えねえ。いい案だ」
この息子、馬鹿か! いや、馬鹿じゃねえ。じゃあなんだ?
「ご子息まで、そんな簡単に!」
聴衆のだれかが思わずといった声を漏らした。その通り。もっと大声で言ってやれ!
「そうか、それほど領地をゆずるのがおかしいか」
ペルメドスが周囲を見まわした。もう、この領主が口をひらくのが怖い。
「ならば、あそこに岩がひとつ、あるだろう」
領主が指さしたのは、集会所のうしろにある岩だった。
大きな岩がふたつあり、そのふたつに乗っかる岩がひとつ。
「みなも知っていよう。この集会所を建てる際に、思いのほか地中に埋まっている部分が大きく、運びだすのを
下のふたつは地中から出ているのか。乗っている岩も大きな岩だ。十人、二十人でも動かすのは無理だ。
「あれを動かした者に、この領地をやろう」
なにを言いだすんだ、この領主は。おれだけでなく、あつまった民衆も口をあけて
「だれもおらぬか。では・・・・・・」
ペルメドスが、アトをむいた。おい、まさか。
「王よ、御手をわずらわし、まこと恐縮なれど」
ペルメドスとアトが見つめあった。アトが立ちあがり、歩きだす。
「おい、アト」
おれのまえを通るときに話しかけた。
「悪い人ではないと思う。なにか考えがあるのかも」
アトはそう言って、舞台の階段をおりていく。群衆が割れた。そのさきに岩がある。
平べったい岩の二枚に、にぎり
アトが岩場に着き、土台の平べったい岩にのぼる。上に乗っている岩を見まわした。どこを持つか探っているようだ。岩には、ごつごつと鋭角なでっぱりもある。
岩のはしを持ち、力を入れた。持ちあがるわけがない。
次にアトは反対のはしにまわり、また持ちあげようと踏ん張る。見ているこっちまで力が入った。アトは全身の力をこめて持ちあげようとしている。
「おい、領主」
おれの声にペルメドスがふり返った。口をひらきかけたとき、群衆から、ああ! という声が漏れた。
アトが手を滑らせたのか、うしろに転んだように尻をついている。右手のひらを押さえていた。岩肌で切ったか。
「アト殿!」
グラヌスが腰を浮かしたが、おれは手を挙げて止めた。
「親父、なにがしたい!」
カルバリスがアトのもとへ駆けていった。
「見ておれんな」
声がして動きだした一団もあった。腰の
アトのまわりに男たちが群がり声をかけている。アトはなぜか首をふった。そして腰に巻いていた布を取り、右手に巻きつけている。まだやるつもりか!
あつまった十人ほどの男とともに、岩を取り囲む。十人が一斉に力を入れた。群衆から、さらに数名の男が駆けだす。
人が増え、いったん止まった。気づけば、三十人ほどの男で岩をみっちりと囲んでいる。
「いいか最初だ。最初でありったけ力を入れる!」
大工の棟梁らしき男が声をかけているのが聞こえた。
「いくぞ、せい!」
三十人の体が一斉に
しかし、すぐに力を弱めた。やはり無理なのか。でも動きそうな気配もする。
岩のまわりは男で埋まった。それなら、もっと力持ちが必要なのか。力持ち?
おれが考えたことは、群衆も考えたようだった。あつまった人々が一点を見つめる。壇上の大男、ドーリクだ。
ドーリクが立ちあがる。舞台の階段をおりると、また群衆が道をあけた。
岩のもとにいったドーリクは、持とうとはしなかった。岩の出っ張った箇所を見つけ、そこに潜りこむように肩をつけた。まるで
それを見た近くの男たちも、ドーリクの近くに肩をつける。
「いくぞ、せい!」
掛け声と同時に力を入れたのがわかった。
「あがる!」
アトがさけんだ。なんだ、みょうな気配がする。土の精霊?
おれはボンフェラートを見た。ボンフエラートが、なにかを唱えている。力の護文か!
ごりっ、と静まりかえった集会所に、たしかに聞こえた。岩はいくらも動いていない。しかし、動いた音は聞こえた。
岩にあつまった男たちが、その場にへたりこむ。
「これが結果である。岩を動かしたのはアトボロス王、ただひとり」
領主は、満足そうにうなずいて言った。
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