第25話 葡萄酒を買いたたかれる
「バラールへ二十樽ほど売りにいった」
「ラティオ殿が捕まるまえか?」
「そうだ。ところが、いつもの半値ほどで買いたたかれちまった」
ラティオはそのときを思いだしたのか、顔をしかめて葡萄酒をひとくち飲んだ。
「
グラヌスが心配そうな顔で聞いたが、ラティオは首をふる。
「いや、念のため何軒か店をまわったが、どこもおなじだった」
「そうか。今年は
「それはちがう」
だれが断言したのかと思ったらヒューだ。
「わたしが飲んだ葡萄酒は水でうすまっていた。それを指摘したら、逆に怒られた」
ラティオが、はっと顔をあげた。
「それで
「喧嘩ではない。かよわき乙女を大勢で襲ってきた。ただの防衛だ」
これは冗談なのだろうか。三人が目をあわせたが、だれもなにも言わなかった。
「・・・・・・おなごか!」
部屋の隅で飲んでいたお父さんが口をひらいた。ガラハラオさんの声を初めて聞く。
「しかし、そうなると、物資の相場がくずれてるのかもしれねえ」
ラティオは、あごに手をやって考えこんだ。グラヌスがひとつ頭をさげる。
「すまぬな。ややこしいときに、ややこしい話を持ちこんだ」
「いや、グラヌス、逆だ。これから冬じたくで金がいる。いつもより産物が金にならねえとなると、いい機会だとふんだ」
いい機会。ラティオには算段があったのだろう。思わず出しゃばったことが悔やまれる。
「アト、そんな顔するな。さっき言ったろ、あれでよかったんだ」
ラティオだけでなく、グラヌスもぼくを見た。
「うむ。立派であった」
ふたりに
「しかし
「ラティオ殿、それは自分も思った」
ラティオが部屋の隅で飲む父親のほうをむいた。
「親父、
ガラハラオさんが、ゆっくりとうなずく。
「強えか?」
また、うなずく。
「ほかの者から、おれたちの目的は聞いたか? ここに連れてきたのは・・・・・・」
ガラハラオさんが、だまれという意味で手をあげた。部屋に母親のタジニさんが入ってくる。
「アグン山の
大きな木の皿には何種類かの葡萄が乗っていた。
「母上殿、それはおつですな」
グラヌスが言った。みんなが話を変えている。さきほどの話は母親のまえではするな、という意味か。
「なにか足りないものはないかい?」
ぼくは手にしていた木の
ぼくの村で聞いたことがある。ウブラ国では麦より米を食うと。そして生まれて初めて汁で煮た米を食べたけど、おどろくほどおいしかった。
「
聞かれてとまどった。お願いしていいのだろうか。こちらでは卵粥というのか。たしかに溶かした卵が入っていて、それは小さな花がちるようにきれいだった。
「アト、遠慮しなくていい」
ラティオが言った。タジニさんに椀を差しだす。
「半分ほどにするかい?」
「できれば・・・・・・たくさん」
「おやまあ! 口にあったんだねえ」
「おいしかったです。米もですが、汁がとくに」
「そうかい! 兎の骨をくだいて煮込んでるからね」
それを聞いたラティオが、かかっと笑った。
「犬人族は米をあまり食わねえからな。うちの米はうまいだろう」
ぼくはうなずく。
「もらった手前、言うのもあれだが、アトの持ってたパンは固かったな」
「ラティオ殿・・・・・・」
グラヌスが小さな声で呼びかけた。
「やっぱり、おれはパンよりは米のほうが好きだな。なんせ米はだな・・・・・・」
グラヌスが立ちあがった。
「ラティオ殿」
「おお、どうした」
グラヌスは父親のガラハラオさんに頭をさげた。
「客として、あるまじき非礼。のちほど
そして今度はラティオにむかった。
「表へ出られよ」
「はぁ?」
「おぬしが食べたのは、アト殿の亡き母が焼いた最後のふた切れ。
ラティオがおどろいた顔でぼくを見た。
「ほんとか、アト」
グラヌスをどう
ガラハラオさんに殴られ、ラティオが壁までふっ飛んだ!
「いってえ。親父、いきなりなにしやがる!」
「少年よ」
ガラハラオさんがぼくをふり返る。
「犬人の言葉は本当か?」
ぼくは答えに困った。
「ええと、そういうふうに言えなくもないと思いますが」
「息子にわたしたパンは、亡き母が作ったものか?」
「・・・・・・そうです」
「それは、まだあるか?」
困った。これほど答えに困ったことは、人生で一度もない。
「あるのか、ないのか? それだけを聞いておる」
「ありません。ですが!」
ガラハラオさんは、ぼくの言葉は聞かず、息子のラティオを見た。
「ラティオよ、おまえは、決して返せぬものをもらった。ヒックイトの古い
ラティオが顔をしかめた。
「そうか忘れたか」
ガラハラオさんの言葉に、ラティオはため息をひとつついた。そして古い言いまわしの言葉をすらすらと口にする。
「旅なかば、ゆめゆめ返せぬ
ぼくは口をあけっぱなしで見ていたが、ラティオの言葉がわからなかった。
「ラティオ、それは・・・・・・」
「簡単に言うとだ、里の外で決して返せない物をもらったのなら、決して返せないものを自分も差しだせ、それができるまで里には帰るな。という意味だ」
そんな、大げさな。
ガラハラオさんは、グラヌスへとむく。
「息子の非礼を問い正し、父として感謝する。むさ苦しいところだが、息子の部屋でゆっくり休んでいってくれ」
ガラハラオさんは三人にそう言って、部屋から引きあげようとした。
「親父、みながおれの部屋で寝たら、さすがにせまいぜ。おれは?」
「おまえは納屋で寝ろ」
ラティオは盛大に顔をしかめたが、反論はしなかった。
しかし、大変なことになってしまった。返せないもの。ラティオとガラハラオさんが言っていた。そういうつもりでパンをわたしたわけではない。
だれも悪いことをしていないのに、ぼくは困った。そんな思いが初めてで、どうしていいかわからない。
帰ったら父さんに聞こう。これは、ぼくでは持てあます問題だ。
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