第18話 剣の誓い
どれぐらいたっただろうか。
無心で闇を見つめつづけていると、ふいに東の空が明るくなった。
立ちあがり、背伸びをする。全身がこわばっていた。
あらためて周囲を見てみると、たき火からそれほど離れていない。闇のなかで動いたときは、ずいぶんと離したつもりなのに。
闇の恐怖、それは人の距離感まで狂わせるのだろうか。でも、その恐怖とは山猫だったりする。ぼくの臆病さに笑えてきた。
昨晩に作ったかまどに火をつける。鉄鍋に川の水を入れ、火にかけた。
荷物からだしていた干し肉とパンは、地面に落ちて土にまみれていた。干し肉は洗えばすむけど、パンは無理だ。
ぼくは荷物から、母さんが作った堅焼きパンをだす。残り三つ、だいじにしないと。
鉄鍋の上で堅焼きパンを割る。なるべく小さくした。グラヌスは毒草でおなかを壊しているはずだ。これで麦粥のかわりになるだろうか。わからないけど干し肉よりはいいと思う。
木のえだを棒がわりにしてまぜる。湯気とともにパンの香ばしい匂いがして、匂いだけはおいしそうだ。鉄鍋を火からおろし、平らな岩の上に置いた。
「アト・・・・・・」
小さな声が聞こえ、ふりむいた。グラヌスが起きたようだ。よかった!
グラヌスのそばにひざをつき、木の杯で水を飲ませる。
「アト、盗賊は・・・・・・」
「だいじょうぶ。どこかへいった」
グラヌスはなにかを考えようとしたようだが、また、うつらうつらしてきた。
「寝るまえに、胃に入れたほうがいい」
ぼくは鉄鍋で溶かしたパンを木の杯にうつした。
荷物へもたれたままのグラヌスだったが、もう動けるようだ。グラヌスは木の杯を受けとり、ゆっくりと冷ましながら飲んだ。
「すまぬ、アト」
グラヌスは飲み終えてそう言うと、また眠りに落ちた。
ぼくは干し肉を河で洗って食べる。それから荷物を片づけた。
鉄鍋や木の杯も洗い、荷物といっしょに置いておく。
それから昨日に放った矢をさがした。二本はすぐ見つかったが、もう一本が見つからない。
しゃがんだ態勢で草むらをかきわけていく。かなり広範囲をさがしたけど見つからない。
すこし休憩し、またさがす。太陽はのぼりきり昼ごろになっていた。
「世話になった」
背後から声がしてふり返る。グラヌスだ。もう立てるみたいだ。
「昨晩の盗賊に、馬は盗まれたようだな」
グラヌスが周囲を見まわす。しまった、馬がいたのを忘れていた。でも、おぼえていても、どうすることもできなかっただろう。いや、それよりも・・・・・・
「グラヌス、昨日の晩、おぼえてる?」
「ああ。
話しながら、ふたりで荷物の場所へもどる。馬がいないので、分担して荷物を背負うことにした。
「しかし、
グラヌスは食あたりと思っている。どう説明しようか迷うけど、そのままを言おう。
「グラヌス」
「なんだ、アト」
「あの麦酒には毒が入っていた」
「毒? なぜ毒が・・・・・・」
「それに、襲ってきた賊は、気になる言葉をさけんだ」
「なんと申した?」
「弓があるとは聞いてない、と言った」
荷物をかついでいたグラヌスの手が止まる。
「ねらわれたのは、自分か」
「そうだと思う」
犬人の歩兵隊長が
「肉屋の親父がねらったか」
「グラヌスそれは」
「いや、冗談だ。そう思えれば楽なのだが、いよいよ馬鹿息子が、本当の馬鹿になったか」
第一師団長の息子であり第八隊長のダリオン。そうとしか考えられない。
「こんなに激しく、人は憎まれることもあるのか・・・・・・」
思わずつぶやいた。ぼくはラボス村で好かれているとは言いがたいが、殺される心配はない。
「いや、激しいのは、やつの重圧だろう。おもてだっては冷静をよそおっているが、家のなかでは相当言われていても、おかしくない」
ダリオンの父、第一師団長の細長くあごの毛をととのえた顔を思いだした。言われてみると、神経質そうな顔にも思える。
「帰ったら、やはり九番隊あたりに移動させてもらおう」
うんざりした顔をして、グラヌスが歩きだす。ぼくもならんで歩を進めた。
なんだか笑えてきた。殺されかけたのだ。ここは怒り心頭してもいいと思う。
「うん、なにかおかしいか、アト」
「この
「なるほどな」
グラヌスは、みょうに感心したようだった。
「言われてみればそうだが、やつの家は王族の末端でな。かつては王都に住んでいたが、祖父の代でコリンディアに飛ばされたらしい」
それは世にいう没落貴族だろうか。王の不満を買い、地方に飛ばれた貴族。よく人がうわさのまとにする話だ。
「貴族連中というのは、どこか狂っているのでな。まともに取りあわないほうがいい。おそらく、ここらでダリオンが騎士団にでも呼ばれたら、王都に帰れる。そう妄信しているのではなかろうか」
王都か。いちどは見てみたい。
「では、恨みといえば麦酒のほう?」
ぼくの冗談にグラヌスが笑った。
「ちがいない。うまい麦酒を無駄にして・・・・・・」
ふと、グラヌスが思いだしたように顔をあげた。
「そういえば、夢うつつのときに麦粥を食べた気がする」
「ああ、あれは、堅焼きパンを湯に溶かしたものなんだ」
「堅焼きパン? なにやら、うまそうなひびきだ」
ぼくは荷物から堅焼きパンをひとつだした。
「ほう、うまそうだ。もらってもよいか?」
「ごめんよ、もう、ふたつしか残ってなくて」
「それではやめておこう」
ぼくは荷物に堅焼きパンを入れ歩きだした。だが、グラヌスがうつむいて立ち止まっている。
「どうかした?」
「アト、いや、アトボロス殿」
ぼくも立ち止まった。
「それは、アトボロス殿の亡き母が作ったものではないのか?」
「そう、母さんが焼いてくれたんだ」
グラヌスが顔をあげた。その顔はふるえている。
「なんということを・・・・・・」
「グラヌス?」
怒りだ。若き隊長は奥歯を噛みしめ、怒りの形相をしている。
「このグラヌス、アトボロス殿を守るのが役目のはず。それが命を助けられ、あろうことか、二度と食べれぬ母の形見を無駄にしたのか」
あまりの怒りに、ぼくはあせった。
「お、おおげさだ、グラヌス」
グラヌスは首をふった。
「そもそも、アトボロス殿の援軍要請も、この遠出も、自分とダリオンの確執が足を引っぱっている」
犬人族の若き戦士は、ぼくを真っ正面から見た。
いつだったか父さんに言われたことがある。いまは友達ができなくとも、いつか人生にあらわれる。そのときは相手の目を見て話せと。グラヌスは友なのかもしれない。ぼくは犬人族の戦士をまっすぐに見つめた。
「このグラヌス、アトボロス殿に約束する。この身に変えてもラボスまで送り届ける。そして、ともにグールと戦う!」
ぼくはうなずいた。
「この剣にかけ・・・・・・」
「うわぁ!」
グラヌスが腰にさした剣をぬこうとしたので、腕をつかんで止める。
これはかつて、父さんにこっぴどくしかられたやつだ。犬人族の男が約束をかわすとき「剣の誓い」というものがある。ぼくは忘れていた水くみを明日にすると剣に誓ったのだが、ふざけて誓ってはならぬと、めずらしく父に本気でおこられた。
グラヌスがいま、剣の
「アトボロス殿?」
「おおげさだ。言葉だけで充分!」
戦士は不服そうに柄から手を離した。あぶなかった!
「まあ、アトボロス殿が、それほど言うなら」
「その、アトボロス殿というのも、やめて」
「わかった、アト殿」
グラヌス、わかってない!
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