scene 2. As Time Goes By

「――ああ、わかった。いつも悪いな……それで今、テディは? ――風呂? ふうん……いや、なんでもない。……ああ、じゃあ頼む」

 電話を切ると、ルカははぁ……と息をついて、お気に入りのソファに深々と躰を沈めた。


 昔に比べればずいぶんましにはなったが、テディは定期的に情緒不安定というか、気分を沈ませ少し言動がおかしくなる時期がくる。

 どうやらいったんネガティヴな思考にとりつかれてしまうと、普段は気にしていなかったようなことが苛立ちや不安の原因になるらしい。そんなときのテディは、まるで駄々を捏ねている我が儘な子供のようだった。少しでも気に入らないことがあると、もうこっちがなにを云ってもやっても受け容れられない。謝罪も、愛の言葉もだ。

 テディが出ていくのをルカが黙って放っておいたのは、それをわかっていたからだった。

 ただ、ユーリのところへ行ったのが、二日目の今日だったのだけが誤算だった。一日目は以前住んでいたフラットに泊まっていたと聞いてほっとしたが、ユーリからこうして連絡があるまでは心配で気が気ではなかった。

 もっとも、自分がこんな気持ちでいることを、テディは想像もしていないだろうが。



 ルカとテディ、ユーリの三人はオープンリレーションシップという関係を選択している。

 オープンリレーションシップには婚姻、恋人関係にあるふたりが互い以外の相手と関係を結ぶことを容認するものや、ひとりが同時にふたりの恋人とつきあったり、三人で恋人関係を持つなど様々なかたちがある。ルカたちの場合はテディがふたりの恋人を持っている、ということになっている。

 実状は、テディは普段ルカと一緒に暮らしていて、ルカは単に恋人というだけではなくもう家族であり、ほとんど保護者のようでもある。同時にジー・デヴィールというバンドに籍を置く仕事仲間でもあるが、それはユーリも同じだ。

 そのユーリとテディが関係を持つのを、ルカは容認している。ユーリの言葉を借りればルカは恋人、ユーリは『ファックバディ』ということになるらしい。が、それはユーリ流の照れ隠しだ。ユーリもテディの不安定さはよく知っていて、ルカひとりでは支えきれない部分を助けてくれているのだ。

 そして、ユーリが自分と同じようにテディを真剣に愛していることも、ルカはちゃんと知っている。

 どんなに愛していても、いったん精神的にぐらつき始めたテディと一緒にいることは難しい。疑心暗鬼にとりつかれ、感情を暴走させ、破壊的な行動に走って自己嫌悪に陥り、見棄てられることに恐怖する。そして安心を得ようと人の心を試すような行動をし、結果自分が傷ついてしまう。

 それをなんとかしようと懸命に宥め、テディの望むようにしても、いったんそんな状態に陥ってしまうともう遅く、ほとんど効果はなかった。こんな自分のことが煩わしいからしょうがなくしてくれているのではないかとか、こんなふうに面倒をかける自分はいないほうがいいのではないかと感じてしまうらしい。愛の言葉を伝えても、自分にはその資格がないと自虐的な気分になるのだそうだ――これは調子の良いときに、テディ本人が云っていた。

 そんなことに毎度毎度付き合っていてはルカのほうが消耗してしまうし、テディのためにもいいことではない。

 だから、ユーリというガス抜きの場があることはとてもありがたかった。

 部屋を飛びだしていったテディが向かう場所があることでルカは安心できるし、テディは不安定になっているあいだ、無理にルカといることでますます悪い状態にならずに済む。ユーリはちょっと損な役回りかとは思うが、彼にとってもテディは大切な存在だからと納得して引き受けてくれている。

 テディもユーリに対して自分とはまた違う感情や信頼を寄せているらしく、この関係は今のところうまく機能していた。



 ゆったりとソファに躰を預けたまま、目を開けて部屋の中を見まわす。淡いベージュのカーテンが掛かった白い壁、アルダーの淡い紅褐色とグレーを多用したセンスの良い落ち着いた空間のなか、差し色のティールブルーが目に飛びこむ。名前のとおり小鴨ティールの羽のような緑がかった深い青は、テディの好きな色だ。

 彼はレイクプラシッドブルーと呼ばれる色のベースギターを愛用しているのだが、ヴィンテージのそれは最近のものよりも緑が強く、ずっと濃い。つけているインディコライトのピアスも同じ色で、バイクも塗装したほどだ。

 ルカはその色を、ふたりのためのこの部屋に効果的に配置した。

 云ってみればここは、ルカのありったけの愛の証である。テディがいちばん好きだと云ったこのプラハの街に、どこへ行ってもなにがあっても帰るべき場所を、ルカは創ったのだ。

 ルカはこの先テディとの関係がどんなふうに変化していこうと決して離れないと、心に決めているのである。

「んー、三日かあ。ちょうどいい頃合いかな……」

 早く迎えに行きすぎるのはまずい。が、あまり放っておきすぎるのもよくない。スマートフォンのカレンダーを見ながら三日後ならちょうどいいかと呟いて、ルカは続けて調べ物をしようとし――まだ新しいルーターのパスワードを入れていないことに気づき、面倒臭そうに溜息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る