scene 3. In the Wee Small Hours of the Morning [Side Tedi]

 真夜中にふと目を覚まし、テディはブランケットのなかの温もりを逃さぬよう、そっとベッドから抜けだした。

 昨夜は些か羽目を外し過ぎた――いつもと違う、ちょっとサディスティックなユーリの行為の所為なのか、ドラッグを使ったわけでもないのになんだか躰が怠かった。

 部屋のなかも、カーテンの隙間に覗く窓もまだ昏かったが、キッチンの傍にあるカウンターの端に置かれたランプが、ほんのりと淡いオレンジ色を滲ませている。

 テディはその光に近づき、スツールに腰を下ろすとそこに置いたままだった煙草を取った。一本振り出し、愛用のジッポーで火をつける。すっかり馴染んだ、独特の臭みを含む甘い香りが、自分を取り巻くように立ちこめた。

 そしてふと、すっかり落ち着き、頭の冷えている自分に気がついた。

 もとよりそれを狙ってオープンリレーションシップというかたちをとっている、三人の関係である。とはいうものの、それがこれほど巧く機能するとは思っていなかった。自分の役割をきっちりと果たしてくれているユーリには、感謝しかない。


 ファックバディだとか、生真面目なルカとではできないを共にする悪友だなどと自分では云っているが、ユーリがルカと同じように自分のことを愛してくれていると、テディはちゃんと知っている。

 少々エスカレート気味なベッドでの行為だって、ユーリ自身が愉しみたいからというよりも、テディになにも考える隙を与えないように、終わった後ぐっすりと眠って、目覚めたとき気分がリセットされているようにと考えてのことだろう。実際、今はこうして落ち着いているのだから――まったくやってくれるよ……と、テディは昨夜のことを思いだし、苦笑した。


 ユーリは、自分を愛してくれている。今はもう、なんの疑いもなくそう確信できる。

 そして思う――何故、どうして、ルカの心は時折見失ってしまうのか。



 普段なんでもないときには、ルカがずっとPCの前に坐っていようが、モデル仲間の女の子たちと何時間もビデオチャットしていようが、別になんとも思わないのだ。テディはテディで、邪魔されずにゆっくり本が読めると寝室に籠もったりもする。

 だが自分でも気づかないうちに、ふっと気分がネガティヴなほうへと落ちこんでしまうことがある。そうなるともう、自分のことを放ったらかしにしているルカが信じられなくなる。そして思考はひたすらマイナス方向へと沈んでゆく――


 長く一緒にい過ぎたのだろうか。

 もう愛じゃなく、惰性なのだろうか。

 ルカはバイだから、女性に気持ちが向くことだってあるだろう。

 否、実は自分が知らないだけで、もう決まった誰かがいるかもしれない。

 というか、ルカが自分以外を――つまり、女を知らないなんてさすがに思ってはいない。生憎あいにくと、そこまでおめでたくはない。

 もしもルカがどこかの女とそういう仲になっていたとしても、自分にはなにも云えない。自分がやってきたことを考えれば、云えるわけがない。

 それに、こんな自分とどれだけ一緒にいたって、ルカは子供も持てない。

 そのときが来たら、自分はルカと、もう――


 と、こんな具合にぐるぐるとした思考から抜けだせなくなる。

 こうなるともうだめだ。なにかが起こったわけでもないのに、気分はどんどん荒み、肚のなかで黒い靄のようなものが渦巻き始める。そして、いつもなら気にもしないようなことをきっかけに、その黒い靄は弾け散って暴れまわり、自分をコントロールできなくなる。

 その結果、今回もつい云ってしまったように、部屋を飛びだしたその足でゲイバーやクラブへ行き、適当な相手に自分を好きにさせたりと、ルカが決して赦さないようなことを――以前はしていたのだ。

 バンドで成功し、顔が売れてしまった今はさすがにできないが。

 そんなことを考え――ふとテディは眉根を寄せた。

 できない、なのか。やらない、ではなく。バンドが売れていなければ――否、もしもユーリがいなければ、自分は今でもまたあんなことを繰り返していただろうか? ……していたかもしれない。

 ルカは、どう思っているだろう。ここまで察しているだろうか。もしもそうだとしたら、あんなふうに部屋を飛びだした時点で、ああまたかと思われているかもしれない。そしてそのうち、愛想を尽かされるかも――



 指先に熱さを感じ、はっとする。短くなった煙草を揉み消し、テディはまた昏い思考に落ちていきかけていた自分に気づき、苦笑を溢した。……大丈夫だ。こうして自覚ができている。だから、大丈夫。

 立ちあがり、テディは喉が渇いたなとキッチンに入っていった。手探りで壁のスイッチに触れ、ぱちりと明かりをつけて振り返る。漏れた光は部屋のほうも見通しを良くしたが、ベッドで眠るユーリが眩しさに目を覚ますほどではなかった。

 冷蔵庫を開け、マットーニを取りだす。キャップを開けながら、一口でいいなとグラスを探す。シンクの横にはディッシュラックがあり、何枚かの皿が立ててあって、そこに昨夜使ったグラスも伏せられていた。

 グラスを取ってガス入りの水を注ぎながら、なんとなくそのあたりを見やる。どこもきちんと整頓され、磨かれているが、ビルトインタイプの焜炉ホブには焦げた跡が残っていた。半分ほど飲んだマットーニを戻そうと開けた冷蔵庫にも、食材がたくさん入っている。うちとは違う、使われているキッチンだ。

 ユーリは見かけによらず料理好きで、去年のクリスマスもテディとルカの住むフラットにやってきて、買いこんできた食材でクリスマスらしい料理を作ってくれた。

 ポテトサラダなど、簡単なものだけだが自分も手伝って作ったことを思いだし、テディはふっと笑みを浮かべた。――けっこう上手くできて美味しかったし、それに、楽しかった。

 料理を作る、一緒に食べる。そして後片付けをして、ゴミをどっちが捨てに行くか『ロック、ペイパー、シザーズじゃんけんぽん!』と、子供のようなことをして押しつけ合う――そんななんでもないこともテディにとっては初めてで、なんだかとても幸せに感じた。

 ああいうことをルカともできればいいのに――と、ふとそんなことを思ってテディはおもむろに顔をあげ、戸棚のガラスに映った自分に向かって問いかけた。

 もう、帰りたくなったのか。帰れるだろうか……自分は落ち着いても、ルカのほうはまだ怒っているんじゃないだろうか。

 それに……ユーリを利用だけしてさっさと帰るなんて、そんなことはできないし、したくもないな、とテディは思った。だって、ユーリだって大好きな、大切な存在なのだから――帰るにしてもなにか、埋め合わせができるといいのだが。

 そんなことを考えながら、もう一度ぐるりとキッチンを眺めて、テディは明かりを落とした。キッチンの眩い白さに慣れた目が、一瞬めしいたかのように真っ暗になり、何度か瞬きをして視界を戻す。時計を見ていないので何時かはわからないが、目が慣れるとさっきよりもなんとなく部屋の昏さが薄らいでいるような気がした。もうじき、夜が明けるのかもしれない。

 ベッドに戻り、ブランケットに潜りこむと、寝返りを打ったユーリが手を伸ばしてきて背中を引き寄せられた。起きているのかと思ったが、どうやら夢現で、ほとんど無意識にやっているようだった。

 くすっと笑みを溢し、テディはその広い胸に顔を擦り寄せ、目を閉じた。

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