文化勲章制定記念日


 いつまでも日が沈まぬ夏至の夜。

 ヘルシンキの少女は、野を歩き。

 美しい花を、七種類。

 願いを込めて手折りゆく。


 一年のうちに一度だけ。

 未来を映す扉が開く奇跡の日。


 いつも胸に想い抱くあの人か。

 それともまだ見ぬ素敵な方か。


 贅沢は言いませんから。

 かっこいい人が現れますように。


 そんな、少女にとって贅沢とは呼ばない。

 至極当然の期待を胸に。


 枕の下に、一輪ずつ。

 手にした花を並べ入れ。


 赤紫に煙る窓を最後に見つめると。

 呪文を口にしながら瞳を閉じる。



 それでは、夢の中でお会いしましょうね。

 未来の婚約者様――。



 いつまでも沈まぬ太陽が。

 この地にかけた小さな魔法。



 ヘルシンキの少女は。

 夏至の夜。


 扉の向こう側を。

 少しだけ覗き見ることができるのだ。





 作中特別編

 =誰がために星は煌めく

        第一話 =



 ~ 二月十一日(木祝)

    文化勲章制定記念日 ~

 大器晩成 VS 栴檀双葉




 ここが北極圏なら。

 作られていても不思議はない。


 夜の無い世界に生みだされた。

 人工的な黒い天空。


 そこには沈まぬ太陽ばかりか。

 星すら瞬いていなかった。


「……うん。広いね」

「あ、圧倒されて、足がすくむ……」


 どこに天井があるのかまるで見えない。

 どこに最後尾の座席があるのかすら分からない。


 完全な闇。


 何度か足を運んだことのあるライブハウスとはけた違い。


 サイズで正式な呼び名が決まることはないと思うが。


 そこはコンサートホールと呼ぶにふさわしいほど、広い広い会場だった。



「では、早速聞かせてもらおうか。お前達の歌を」


 ……勝負事には。

 メンタルが本当に大切で。


 勝ちにこだわる場合。

 戦術に組み込まなければいけない重要なファクターなわけだが。


「きたねえ」

「何の話だ? 彼女たちは、ステージの規模でパフォーマンスが変わる程度の実力なのか?」


 墨で塗りつぶされた世界の中。

 ステージ上に立った俺たちの耳に響き入る舞浜父の声。


 貸し切りの会場の中。

 一体、どのあたりに座っているのか見当もつきゃしねえ。


「おいこら。明かりくらいつけろ」


 雰囲気作るな。

 卑怯だっての。


 ぎゅっと掴まれた両腕から。

 二人分の不安が流れ込んできて。


 ほんとは俺がビビってんのに。

 逃げれやしねえじゃねえか。



 もしも観客の姿が見えたら。

 少しは落ち着くだろうに。


 意地悪親父の。

 その隣に座っているであろう舞浜母。

 少しでも光があれば。

 豪奢な金髪が輝いて見えるだろうに。


 でも。

 そんな俺の思いは。


 意外な形で覆された。


「明かりか。つけてやろう」

「おお。たのむぜ」



 ばんっ!



「おわっ!?」


 何が起きたのか。

 意味は分かるが、理解が及ばない。


 スポットライトを浴びせられた俺たちが感じたことをそのまま言葉にすれば。


 黒の世界が白に塗り替わっただけ。


「何も見え……、てか、熱いっ!」

「なんだ。そのタキシードでお前も歌うのか?」

「歌うかっ!」


 視界ゼロの中、ステージから落ちないよう。

 足で探り探り、白い輪の中からようやく外に出ると。


 信じられないほど遠くから放たれた光線の下。

 ステージのすぐ近くの席に。


 たった二人の観客の姿を見つけ出すことが出来た。


 ……でも。

 さっき俺自身も体験したんだ。


 ステージ衣装に身を包んだ二人から。

 この観客は見えねえだろう。


 想いを伝えたい相手が見えないという不利な条件を跳ねのけて。

 秋乃たちは、この二人を笑顔にさせることができるのだろうか。



 いや、違う。

 なにがなんでも勝たねえと。



 そのためなら。

 俺はプライドを捨てることもできる。



 万が一にも。

 二人の歌が、彼らを笑顔にできなかった時に備えて。


 ステージの端。

 スポットライトの光も届かない暗がりへ滑り込むと。



 俺は。

 まず最初に。



 ズボンのファスナーを下までさげた。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 ――休みの日に相応しく。


 誰も起きてこない食卓に三人分の目玉焼きを並べて。

 一人でトーストにマーガリンを塗りつけながら大あくび。


 ああ、この艶やかな液体がパンに溶けてく光景。

 これぞ朝の幸せ。


 でも、どうせならたっぷり眠って。

 すっきり目覚めた朝に。

 この香りを楽しみたかった。


 昨日はあれこれ考えすぎて。

 一睡もしてねえから眠い眠い。


 結局、どこで歌うのやら何も決めずに。

 タイヤが一つ足りない車で走り去っていった舞浜父。


 一応、今日の準備はしておいたものの。

 それきり連絡もないから。


 言いたい事だけ言って逃げたのだと。

 俺は眠い目をこすりながら。

 そう結論付けることにした。


 ホットコーヒーの苦みを一口楽しんでから。

 では早速。


 いただきま……。


「いただきマンゴー刀狩りっ!」

「どあっ!? 横取りされタンゴー!」

「おにい! ジャム取って! マンゴージャム!」

「そんなもんネエンゴー」

「そいつはケチンボー!」


 この辺り、山が近いからな。

 家の中に山賊が出ても不思議じゃねえか。


 しょうがねえから席を立って。

 食パンをオーブントースターに放り込んだら。


「あ! 凜々花、焼き立てが食いてえ!」


 山賊が、そう言いながら。

 半分になった、かなり焼き立てのトーストを俺の皿に戻した。


 さすがに𠮟りつけようと。

 俺がキッチンから顔を出したその時。


「……ほえ? 車の音?」


 うちの前に。

 車が止まった気配を感じた凜々花が。


 廊下をダッシュして玄関を開けると。


「おはよー舞浜ちゃん! 朝ごはん一緒に食べよー!」

「あ、ううん? これから出かけるから、また今度……、ね?」


 意外なタイミングで。

 開戦のゴングが鳴り響いた。


「まじか……。急いで準備するからちょっと待ってろ」


 申し訳なさそうな顔して。

 頭を下げるこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 きっとこいつも似たような目に遭って。

 有無も言えないまま車に乗せられたに違いない。


 俺は、秘密道具を部屋から持ってきて。

 やめてくれと喚く親父の引きこもりルームから。

 タキシードに着替えて車に搭乗。


 途中、佐倉さんを拾って乗せた車内には。

 舞浜父の姿はなく。

 代わりとばかりに。


「アキノチャンノ歌、タノシミ」

「うん……。頑張って歌う……、ね?」


 どういう訳やら。

 舞浜母の姿があった。


「……今日、なんで秋乃が歌うのか理由知ってて参加してます?」

「ハイ。ヒトサマニ聞カセルホドノモノカ、正シク評価」

「そうか。じゃあ、是非とも甘い採点よろしくお願いいたします」

「ソレハドウデショウ……」


 おや?

 舞浜母にしては意外な返事。


 でも、この人のことだ。

 親父さんを説得するのは無理でも。


 高評価を口にして、

 秋乃に有利な展開に持って行ってくれるだろう。


 そう言った意味で。

 俺たちが真面目に取り組んでる姿を。


 舞浜母に見せつけておくのは良手だろう。


 人目を引き付ける術が未だに見つからない今。

 打てる戦術はすべて仕込んでおきたい。


「で? メッセージ終わってからも、答えは出てねえんだな?」

「うん……。自分が一番伝えたい思いを込めて、とか考えてはみたんだけど……」

「そ、そんなことで変わるなんて、非科学的……」

「いや、ちゃんと意見を言うのは大切なんだが。お前が三時ごろにそんなこと言い出すから完全に議論が迷子になって解散したんだろうが」

「ナヤミゴト?」


 よし、食いついたな。

 ここは丁寧に説明しとこう。


「この二人、現役アイドルに指導してもらって頑張ってるんだけど……」

「スゴイ」

「でも、魅力と言うかなんと言うか、お客を引き付ける何かが足りないことで悩んでいるんですよ」

「ガンバッテルデスカ」


 さっきも感じたが。

 意外と淡白な返事の舞浜母が。


 佐倉さんに向かって問いかける。


 こんなことができるのも。

 高級車ならでは。


 ボックスシート的な配置のなせる業。


「ドウシテアイドル、ナロウト?」

「あ、それはですね。アイドル研究会に入っていろいろ調べてるうちに、どうしても自分でやってみたくなって……」

「ジャア、アイドルシテルウチ、引キ付ケルヲ探スデ良イノデハ?」


 ああ、そうそう。

 体育の授業中もそんな話になったっけ。


 でも、佐倉さんは。

 こいつについては頑なに首を横に振る。


「違うんです。これを解決できないと、アイドルになる意味がないの」

「前にも言ってたよな。それどういう意味だよ」

「どうして萌歌さんのステージは、あれほどあたしたちの心を釘付けに出来るんだろう……」


 佐倉さんは、俺の言葉に返事もせずに。

 いつものように、迷宮に潜り込んじまったんだが。


 大器晩成って言葉じゃ納得できねえのか?

 でもこれだけ悩んでも輝くことはねえんだ。

 栴檀双葉せんだんのふたばなんて望むべくもねえってことくらい分かるだろう。


 俺は半ば呆れながらも。

 秋乃はどう思ってるのか聞こうと顔を向けると。


「そ、その前に、今日お父様に納得してもらわないと……」

「ああ、確かにな。でもあの堅物を笑顔にさせるなんて至難の業だろ」

「大丈夫。いざとなったら、応援団がいるから……」

「え?」

「よ、四人で歌えば心強いから……、ね?」


 四人?

 なんの話だ?


 俺は、秘密主義の秋乃に訊ねることは最初からあきらめて。


 二人の助っ人について推理してみたんだが。


「…………夏木?」

「あ、それ、いいかも……、ね?」


 違ったか。

 でも、他に適任なんて……。


「まさか」

「あ、当たらないと思うよ?」

「パラガス」



 ……俺は、秋乃を笑わせるために言ったつもりだったんだが。


 こいつは車を止めてもらって。

 外の空気を吸わなきゃならない程体調を崩しちまった。


「わりい。でも、なんでそこまで気分悪くなったんだ?」

「ステージ衣装姿を想像しちゃった……」


 そして再び車が走り出すまで。


 俺の気分が悪くなったせいで。

 もう十分ほどかかることになっちまった。


「お、おへそも出てるの……」



 ……もう二十分ほどかかることになっちまった。




 おええ。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 俺が身を隠した舞台袖。

 プライドをかなぐり捨てた最後の手段を準備している間。


 スポットライトの中で。

 マイクを手にした二人は。


 お互いの体を支えていなければならない程に緊張していた。


「や、やっぱり、応援団がいないと……」


 小さな声で囁いた。

 秋乃の言葉。


 四人で歌うとか言ってたけど。

 応援団って誰のことだ?


 音響機材の陰から。

 顔だけひょこっと出してみると。

 

 秋乃の背中からベニヤ板が二枚。

 モーターの唸り声を上げながら左右に展開。


「ぶふっ!?」


 うはははははははははははは!!!

 あ、あぶねえ!


 大声出して笑いそうになったじゃねえかなに仕込んでんだお前は!


「……秋乃ちゃん。なにそれ?」

「マイハマズ……」

「ネーミングセンスださっ!?」


 うはははははははははははは!!!


 秋乃が佐倉さんの方を向いたせいで見えたベニヤには。

 左右それぞれにアイドル衣装着た女の子の背中が描いてあるんだが。


 きっと正面側には。

 ちゃんとマイハマズの顔が描かれているんだろう。


 あまりの事態に。

 舞台袖から出て突っ込みたくなったが。


 佐倉さんがマイハマズを外して遠くへ捨てることによって一件落着。


 客席では、舞浜母がくすくす笑っているようだが。

 肝心の親父はどうなんだ?


 暗がりに目を細めると。

 ようやくおぼろげに見えた舞浜父。


 その仏頂面が。

 ゆっくりと口を開く。


「それでは始めるぞ。音楽、スタート」

「え!?」

「ちょ、ちょっと待って……」


 どこまで卑怯なんだあいつは!


 一体、どうやって手に入れたのか。

 スピーカーから流れるのは間違いなく二人の曲。


 慌てて曲の振り付けを始めた佐倉さんに対して。

 秋乃は、スピーカーから吐き出されたあまりの音量に驚いて。


「まずい!」


 身を固くさせてしまったんだが……。


「ん? ……いや、これは!」


 真横からの眺めじゃよく分からないものの。

 でも、あいつの手の動き。


「アドリブ!」


 自分の失態を、それと見せないために。

 ダイナミックに踊る佐倉さんとは対照的に。

 一小節毎のタイミングで。

 ダンスの途中の姿勢でぴたりと静止。


 瞬間だけ左右対称になる静と動。

 青と赤の織りなすアシンメトリーは。


 この緊急事態が生み出した偶然の産物。


「やるなあ、秋乃……」


 ここしばらく。

 アイドルとは何か。

 どうしてこれほど惹かれるのか。

 そいつを掴むためにさんざん動画を目にしてきたからな。


 その答えは結局見つからないままだけど。

 突発的な事態に対応できるだけの引き出しが知らぬ間に身に付いていたってわけだ。 


 そして。

 佐倉さんと切磋琢磨した時間も味方する。


 ソロパートが切り替わると。

 打ち合わせもなしに。

 今度は秋乃が流麗に踊って。

 佐倉さんがストップモーション。


「すげえ……」


 歌も、出だしこそ力みがあったものの。

 すぐに軌道修正していつも通り。


 ……いや。

 いつもより断然胸に響く。


 眠っていた才能がここぞとばかりに目を覚まして燃え上がり。

 青と赤の火弾となって。

 観客席の二人に襲い掛かる。


 感動と呼ぶには足りないが。

 間違いなく誰もが目を奪われるパフォーマンス。


 情熱を。

 本気をぶつけたT・A’sティアーズのステージは。


 見えるはずのないその敵を。

 寸分違わず指さした姿勢でフィニッシュを迎えた。


 そして。


 演奏が終わってもなお静まらない耳鳴りの中。

 客席からかすかに聞こえる拍手の音。


 その、たった一人分の拍手が。

 不合格の評価を彼女たちに伝えたのだった。



 ……ちきしょう、あのクソ親父。

 はなから合格させる気、ゼロだったんだろ。


 だが、そうはいかねえぜ。

 約束は確か。

 こいつらのステージを見た後。

 笑ったかどうかで判断するって話だったよな?


 さあ、練りに練ったこの仕掛けを見て。



 無様に笑いやがれ!!!



「…………ぶはっ!!!」

「よっしゃざまあみろ! 俺たちの勝ちだ!」

「え……、え?」

「なに? あたしたちの勝ち?」


 客席から聞こえた笑い声は。

 間違いなく舞浜父。


 最高のステージを見せた二人に目もくれずに。

 勝負の相手である俺の姿を探したからそうなる。


「保坂、何かしたの?」

「ぶ、舞台袖にいるの……?」

「こっちに来るな!!!」


 びくっと停止した二人には。

 スポットライトの眩しい光の中に立つお前らには。


 舞台袖ギリギリにいる俺の姿なんか見えねえだろう。


 でも、暗い客席に座る二人からは。

 ぼんやりと俺の姿が見えるんだ。


 そしてぼんやりだからこそ。

 少し感じる違和感に興味をそそられる。


 興味をそそられて。

 凝視してみれば。


 ハンガーに下がったタキシードを体の前に当てて。

 素っ裸で立ち尽くす俺の姿に気が付くってわけだ。


「ごほん! ……笑うのと笑顔になるのとでは違うだろう」

「違わねえよ。今更自分が口にしたこと反故にするんじゃねえ」


 俺は急いで服を着ながら。

 逃がさねえように退路を塞いでいく。


「他人のネタを踏み台にするとは。恥ずかしくないのか?」

「ねえな。俺は、はなからプライドを捨ててる」

「だが、今のでこの二人が勝ったというのは詭弁だろう」

「いや? 俺はこいつらが歌ってる横で手品をする予定だった、れっきとしたT・A’sの一員だからな」


 おお。

 暗がりでもよくわかるぜ、お前の忌々しそうな顔。


 でもあれだろ?

 強情で融通の利かない大人特有の詭弁並べて。

 ぜってえ譲らねえつもりなんだろ?


 さあ、シナリオを組み立ててくぜ。

 俺が最後に口にするセリフ。


 『それならこっちは勝手にやらせてもらう』


 どうやってここに導くか……。


「約束だからな。それなら勝手にやればいい」

「へ?」


 あれ?

 セリフ取られた。


 まったくもって予想外。

 舞浜父は、あっさりと許してくれたんだが。


 歓喜する二人と違って。

 俺はいまいち納得できねえ。


「おいこら。何企んでやがる」

「……察しがいいな。賭けは私の負けだが、彼女たちが自主的にステージに立つことを諦めるのならば問題あるまい?」


 やっぱ隠し玉持ってやがったか!

 でも一体どういうことだ?


 こいつらがステージを諦めるはずなんかねえっての。


「お前、まさか会場を使え無くする気じゃねえだろうな」

「そんな下らんことに時間を使う私ではない。私の主張は変わらんよ」

「主張ってなんだよ」

「その二人のパフォーマンスは、他人に見せていいような代物じゃない」

「いやいやいや! 今の見てたろうが! すげえだろこの二人!」

「……サーラ」

「ハイ」


 舞浜父に促されて。

 席を立った舞浜母。


 何を思ったか。

 ステージによじ登ろうとし始めた。


 ほっかむりしたまま。

 いつものモンペ姿でどんくさく。

 のそのそとステージに上る。


「フウ。……二十年ブリ。不安」

「御託はいい。……始めろ」


 そして舞浜父の高圧的な命令に。

 輝くほどの笑顔を返すと。



 …………呼気。


 たった一つの深呼吸だけで。



「うわっ……」



 舞浜母の体を中心に。

 会場中の空気が冷たく塗り替わり。


 足下から背筋を伝って脳天へ抜けるほどの震えが俺を襲った。



 彼女の、凛とした立ち姿。

 なんぴとも寄せ付けない孤高の瞳が天を仰ぐ。


 そしてあごから手ぬぐいを外して零れた豪奢な金髪が。

 スポットライトの輪の中で煌めきながら背中に流れ落ちると。


 星ひとつない夜空に。

 燦然と輝きを放つ一番星。



 金星ヴィーナスがその姿を現した。



 ……女神は、その視線を光源へ向ける。


 まるで太陽を射るように目を見開くと。

 ゆっくり。

 厳かに口を開いて。




 『芸術』を紡ぎ始めた。




 Couchés dans cet asile

 Où Dieu nous a conduits



 人に非ざる超常的な歌声が。

 体の中にずぶりと入り込んで魂を握る。



  Unis par le malheur

  Durant les longues nuits



 逆らうことなどできない不安。

 この正体は何だろう。



 Sans jamais nous lasser

 D'implorer son secours !



 そして俺が。

 それが感動だということにようやく気付くと。


 止まらない涙をどうすることもできないまま。


 歌い終えて、お辞儀をする舞浜母の姿を。


 ただ茫然と見つめ続けていた。



「……分かったか。これがエンタテインメントだ」



 エンタテインメント。


 あんたは、これをエンタテインメントに括るほど。


 本物を見続けて来たってのか。



 そりゃあ、秋乃たちのパフォーマンスを。

 人に見せるレベルじゃねえって切り捨てるのも頷ける。



 舞浜父母が会場から出て行っても。

 立ち尽くすことしかできない。


 そんな俺の耳に。

 秋乃の声が届いた。


「お、お母様は……、若くして勲章をもらった程の人だから……」

「先に言え」


 事情を知ってた秋乃はともかく。

 俺と佐倉さんは。

 叩きのめされて身じろぎひとつできやしねえ。


 人目を引くカリスマとは。

 持って生まれたオーラとは。


 これほどまでのものだったのか。



 ステージに立つことへの恐怖を。

 しっかりと植え付けられた俺たちは。


 金星が姿を消した暗闇の中で。


 行き先を見失った船のように。

 ただ、漠然と。

 波に揺られ続ける事しかできなかった。



「……あと、保坂君のファスナーから縞模様がこんにちは」

「それも先に言え」

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