人口調査記念日


 ~ 一月二十九日(金) 人口調査記念日 ~

 乙女の夢 VS 乙女の貞操観念




 一晩悩む必要なんか。

 ほんとは無かった。


 王手飛車取りと言われたわけだから。

 飛車を差し出して。

 王を守るしかないんだ。


「ご提案通りの条件でお受けします。ご指導よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします……」

「俺はやらんぞコントなんか」

「……この中に一人。どエムがいます」


 放課後の学校に。

 わざわざ足を運んでくれた黒崎くろさき萌歌もかさんこと、西野姉。


 借りておいた音楽室で。

 ピアノ用の椅子に足を組む現役アイドル。


 その正面で椅子に座る。

 現役女子高生二人から交互にパンチされる現役どエムの俺。


「何度も言うがコントなんかやら……、いてっ、いてっ、いてっ、いてっ」

「大変だな、保坂」


 そして、萌歌さんが来ると知って。

 指導一つでどう変わるのか見てみたいとついてきたのは。


 佐倉さんへ三曲もの楽曲を提供した栃尾君。


 関係者が一堂に会した音楽室は。

 なんだかピリッと緊張感。


 まあ、張り詰めるのも当然か。


 無料で顧問が、あるいはコーチが指導してくれる部活と違って。

 この先生に払った対価は安くない。

 生半可な指導じゃ納得いかないだろう。


「…………では、まずやってもらうことを話そうか」


 そして前触れもなく始まった萌歌さんのレッスンに。

 俺の両脇で、ごくりと喉を鳴らした二人だったが。


「コントが嫌なら、もぎりをやってもらおう」

「俺の話かーい」


 肩透かしを食らったうっぷんを。

 俺を左右から叩くことで紛らわせていた。


「いてっ、いてっ、いてっ、いてっ。……立ってる仕事も御免だ」

「では、今回の話はなかったことに」

「昨日みてえな証文ひらひらさせながら言うなっての。まったく、しょうがねえな……」


 覚悟を決めて。

 いや、両側から小突かれるのが嫌になって。


 燃歌さんから証文を取って、ハンコがないからサインをしようと思っ、ばかやろう。


「ステージとレッスンの証文じゃねえのかよ!」

「昨日、お客様が破いてしまったので再版しました」

「しかも昨日より増えてるぞ俺の借金!」


 ピッタリ三百万円って。

 計算面倒になったんだな?


「さあ、なんの話やら分かりかねますが。お客様がそこに判を押さないと話が進みません」


 まったく。

 まさかこいつが役立つとは思わなかったぜ。


 これを予想してわざわざ用務員室から連れて来た。

 校内をうろつくわが校のシークレットゲスト。



 ネコ。



 こいつの肉球を赤く塗って、手形をべったり押してやったら。


「いてえっ!」


 証文をビリビリに破ったついでに。

 俺の手の甲に爪を立てて。

 すたこらどこかへ逃げて行っちまった。


「困りますね、お客様。証文が台無しになってしまいました」

「グッジョブ、ネコ」

「でもあのネコは私の娘でして……」

「ルールは守ろうな。生物学と倫理の」

「お客様に、傷ものにされてしまいました」

「傷を負ったのは俺の方だと思うが」

「慰謝料として三百万円請求します」

「プラマイゼロなのな」


 こんなバカなやり取りも。

 笑うやつさえいない寂しさよ。


 もう。

 好きにしてくれ。


「では、たっぷり楽しんだところで本題に入りましょう」

「俺のことを前座として扱い過ぎだからなお前」


 そんないい加減女も。


 今度はホントに本気。

 瞳の色と口調をプロのものに切り替えると。


「……まずお前達のパフォーマンスを見せてみろ」


 そう言って、音楽室の一番後ろの席に腰かける。


 佐倉さんと秋乃は。

 萌歌さんが腰かけるよりいち早く。


 正面の壇上に立って。

 スタートのポーズを決めた。


 そして栃尾君の作った曲に合わせて。

 今までで一番気合いのこもったパフォーマンスを披露したんだが……。


 やはり。


 素人目に見ても、何か物足りない。

 そんなステージを終えた佐倉さんが。

 肩で息をしながら萌歌さんに声を張り上げる。


「ど、どうでしょう!」

「…………どうも何も」

「え、えっと……」

「論外」


 やはり。

 萌歌さんは、ばっさりと切り捨てながら二人の元へ歩み寄った。


「どこを直せば良くなりますか?」

「お、教えて欲しい……、です」


 真剣な二つの視線をその細身に浴びながら。

 ため息をついた萌歌さんは。


 あご先に指を当ててしばらく黙考すると。


「曲の音源を借りよう。アレンジと振りつけが出来るまで、お前達は活動禁止」

「ええっ!?」


 アドバイスも無しに。

 一方的に言い渡してきた活動停止宣言。


 もちろん佐倉さんは反論し始めたんだが。

 そんな熱い言葉を浴びながらも涼しい顔をした萌歌さんは。


「……ほんと論外だって。二人揃って、足を怪我してるじゃねえか」


 たった一言で。

 佐倉さんの反撃を止めてしまった。



「うん……。分かるものなんですね……」

「当たり前。ちゃんと直さないと、取り返しがつかねえことになるぞ?」

「で、でも……」


 劣勢になった佐倉さんが。

 それでもなんとか食い下がろうとしたんだが。


 そんな彼女を思いとどまらせたのは。

 秋乃の一言だった。


「が、頑張る時は……、きっと、今じゃない、よ?」


 ……かつて。

 マラソン大会の時にも口にしたセリフ。


 秋乃の言葉に再び救われた佐倉さんは。

 二つのおさげが肩から前に落ちるほど俯きながらも。

 なんとか納得してくれた。



「……いい相棒ではありませんか。ダンスは下手だけど」

「秋乃ちゃんを舐めないで下さい! ダンスもあたしより上手くなります!」

「そ、そこも、張り合うところじゃない……」

「……ははっ!」


 珍しく声に出して笑った萌歌さんは。

 二人に背を向けると。


「とにかく。今は足を治すこと」


 そう言い残して。

 栃尾君に歩み寄る。


「…………なんか用か?」

「この二人には一週間ほどかけて足を治してもらいます。その間、曲のアレンジを手伝って欲しいのですが」

「冗談じゃない」

「謝礼はします」

「いやだね」


 両手をポケットに突っこんだままの栃尾君。

 たしかにそこまで手伝う義理は無い。


 珍しく西野姉が負ける姿を拝めるかと思った俺だったんだが。


「うちの妹のファンだと聞きましたが?」


 こいつ。

 隠し玉出してきやがった。


「いや、別にファンって程じゃねえ。何度か演劇部の公演見に行ったことがあるだけだ」

「……ほんとに?」

「ほんとに」


 そして沈黙する二人がしばらく見つめ合うと。


 萌歌さんは、のそのそと。

 ポケットからSDカードを取り出した。


「ここに、妹が中学生時代、学芸会でステージに立った時の映像があるのですが」

「なんでも手伝おう」

「だめだだめだ! お前が掴もうとしてる幸せの果実に見えるそれは、こいつの喉ち〇こ!」


 そのままゴクンと飲み込まれてお陀仏だっての!


「では、早速今日から作業を始めましょう、お客様」

「おお。……まさか、お前の家でか?」

「お望みとあらば」

「…………西野、家で芝居の練習してたりする?」

「さあ、どうでしょうね?」


 そんなやり取りをしながら。

 二人は音楽室から出て行ってしまった。



 ……最悪だ。

 だって。



 王子くん、芝居始めたの高校に入ってからだっての。



 多分その映像に映ってるの。

 森の木・3、とかに違いない。


「なんという詐欺師……」


 でも、それを知ってて止めきれない俺も詐欺の片棒。


 すまん、栃尾君。

 エサにつられて、いい曲に仕上げてくれ。



 ……さて。

 それよりこっちの主役二人。


 早速携帯で。

 ねん挫と足首の疲労について調べているようなんだが。


「た、立哉君も手伝って……」

「いやいや。そんなのスポーツトレーナーに聞いた方がいいんじゃね?」


 そう口にしたところでふと気づく。


 トレーナー。


 最近。

 どこかで聞いたような?


 俺が首をひねったところで。

 スペシャルヒントがポケットから鳴り響いた。


「おお、そうだった。お袋が紹介してくれるって言ってたっけ」

「うんうん! そうだったわよね!」

「お、お母様、なんて……?」


 慌てて顔を寄せる二人と共に。

 お袋からのメッセージに目を走らせると。


「げ」


 ……にわかに信じられず。

 二度、三度と読み返すようなその文章。


 こんなの。


「で、できねえよな?」


 秋乃ならともかく。

 佐倉さんには到底飛び越えることが出来なさそうな障害物。



 いくらなんでも。

 トレーナーと一緒に。

 泊り込みって。


 しかもその場所……。



「が……」

「が?」

「頑張る!」

「うそだろ!?」



 結果。

 二人の足が完治するまでの間。


 我が家の人口が。

 二人も増えることになった。



「わ、私はどうしよ……」

「お前は帰れ」


 二人って言ってるじゃねえか。


 佐倉さんとトレーナーさん。



 ……え?

 二人だよな?


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