携帯アプリの日


 ~ 一月二十六日(火)

    携帯アプリの日 ~

 未経験者 VS 沼




「は? アイドル曲のつもりで作ったんじゃねえ」

「なんだ。それじゃ、アイドルに詳しいって訳じゃねえんだ」

「人並み以下、だな」


 スリル満点の山岳スキー。

 エクストリーム。


 もちろん、そんな危険なものを高校生がやらせてもらえるはず無いから。


 日本各地、スキー場の上級コースに挑むというエクストリーム同好会。


 そこに所属する、アイドルとは対極に位置するワイルドな趣味を持つ栃尾君。


 俺は、赤いヘアバンドから覗く鋭い目がトレードマークというこいつの事を。

 心の中で、トラと呼んでいる。


 昼休みに話しかけて。

 放課後、防音になってる放送室まで付き合ってもらって。


 トラ男と並んで椅子に座った正面に。

 マイクを持って立ち並ぶのは。


 バレンタインデーに初ステージを計画している佐倉さんと。


 その夢に巻き込まれて、未だにあわあわ踊り続けている。


 舞浜まいはま秋乃あきの


「……おまえらが?」

「うんうん!」

「プロになるなんて、夢のまた夢なんじゃねえか?」

「ううん? プロになりたいわけじゃないの。高校生の間、何度かステージで歌いたいだけ」

「はあ……。そんじゃ、見せてみ?」


 トラ男が促すと。

 二人はお互いに顔を合わせながら頷いて、スタートのポーズを決める。


 それと同時に。

 俺は、携帯から曲を再生した。



 ……彼が作ったという曲。

 ロック調で荒々しいのに。

 全く耳障りに感じないその理由は。


 何度か繰り返されて耳に残る、一番印象的なメロディーの美しさと。


 夢に向かってひた走る女性の心情が胸に刺さる、かっこいい歌詞のせい。


 そして、秋乃と佐倉さんが、昨日よりもちょっぴり上手くなったパフォーマンスでフィニッシュのポーズを決めると。


 トラ男は柄にもなく。

 盛大な拍手をおくってくれたんだが。


「うめえけど、胸を打つパフォーマンスじゃねえよな」


 開口一番。

 二人の肩をこれでもかって程落とさせた。


「うん……。やっぱそう思う?」

「もし視線が集まったとしても、半分は舞浜のルックス目当てだろうし、半分は地味女子アイドルマニアだろ」

「そんなジャンルあるんだ。アイドル道は深いね。沼だね」

「はあ……。適当に言っただけだって」


 適当だったとトラ男は言うが。

 あるんじゃねえのかな、実際。


 人の好みなんて千差万別。

 佐倉さんみたいな、地味目の子がツボって人も結構いるだろう。


「それで? 俺に何をしてもらいたいって?」

「うん。どこ直せば良くなるのかな?」


 佐倉さんの質問に対して。

 返事もせず、携帯を操作し始めたトラ男。


 さっき、アイドルには詳しくないって言い切ったのにそんな質問されて。


 無視してるのかと思いきや。


「ほら」


 つっけんどんに差し出してきた画面を。

 みんなで覗き込んでみれば。


「……『どこでもオーディション』?」

「採点……、アドバイス……」

「動画撮って送ると、改善点とか教えてくれるってよ」


 そうか、アプリか。

 これは気づかなかった。


 トラ男、粗雑そうなのに。

 意外とクレバー。


 そして、こりゃ渡りに船と。

 佐倉さんがはしゃぎ出すと。


「じゃあ、早速ダウンロードしよ! ……あれ」

「あ……。これ、ひょっとして……、ね?」

「どうした秋乃? ……ああ」


 なるほど。

 有料アプリだったか。


 他の問題ならともかく。

 こいつはダメだ。


「秋乃ちゃん、有料アプリはNG?」

「……うん」

「お母さんに説明しても? そうじゃなきゃ、お父さんを味方につけて……」


 あの手この手で納得させようとする佐倉さん。


 まあ、気持ちは分かる。

 普通の奴にとってみたら。

 たかだか数百円の有料アプリ。


 だが。


「……いや、無理強いすんな。こいつの両親、どっちもダメって言う気がするし」

「今時!?」

「おお。今時」


 片や、理由を話したらブチ切れるだろうし。

 片や、有料アプリなんか買ったら村の皆から石を投げられると本気で泣き出す。


「それに……、もっと大きな問題があってな。こいつに課金を許可するわけにいかねえんだ」

「大きな問題?」


 そう。

 秋乃に有料コンテンツを許可できないその訳は。


「こいつ、一度その枷を外したら」

「外したら?」

「沼」


 俺の未来予想図を聞いた佐倉さんとトラ男が。

 『は?』の字を眉根の皺で描きながら俺を見てくるが。


 さすがに本人はよく分かってんな。

 二世紀先を行く超高速運動を可能にした赤べこと化して肯定してやがる。


「いや、保坂。舞浜なら平気だろ」

「そうよ。秋乃ちゃんならしっかりしてるから平気でしょ?」

「本人に聞いてみ?」

「ま、まったく自信なし……」


 未経験者対、沼の魅力という、今日もどこかで繰り広げられる熾烈なバトル。


 こいつの場合、敗北した瞬間に。

 無限に沈んで落ちていく。


「評価して欲しい人全員の登録が必要みたいだから、諦めてくれ」

「うむむ……。そしたら、また他の人探さないとダメ?」

「……それならいるじゃねえか。うってつけの奴が」

「パラガスか?」


 トラ男は、俺の返事に首を横に振ると。


「現役アイドルの妹がいるじゃねえか、クラスに」

「へえ! そうなんだ!」

「いや、ダメだ。王子くんに課金させるわけにゃいかない」

「は? 課金?」

「あの姉は、有料コンテンツなんだよ」


 あるいは詐欺サイト。

 ダメ絶対。


 王子くんが、実の姉のせいで自己破産とか。

 そんな未来、見たくない。


「意味分からん」

「とにかくダメ」

「……じゃあ、私がお願いしてみる……、ね?」

「待て。やめろと言ってるだろう」

「でも、このままじゃ……」

「それに、なんでお前が萌歌もかさんの連絡先知ってるんだ?」

「連絡先は知らないけど……。ここに、どんな質問にも答えますって……」


 秋乃が変なことを言いながら差し出す携帯の画面。


 ……そこには。

 確かに萌歌もかさんがピースしながら。

 どんな質問にもお答えしますと書き込んであるんだが。


「ファンサイトじゃねえか! ……いや、これ? うはははははははははははは!!!」

「ど、どうしたの……?」


 質問したい方はここをクリックって書いてあるボタン!



 釣竿の餌に食いつくサギの絵!!!



「うはははははははははははは!!! 正直だけれども! 詐欺だと思ってんならはなから作るなこんなサイト!」

「……ひでえな。フィッシング詐欺を明言してやがる」

「あちゃあ。これは保坂君の言葉、信用できるわね」

「こ、これを押すとどうなるの?」

「押した先でパスワードまで入力したら、質問料が電話代に乗っかってくる」

「で、でも、他に知り合いなんていないし……」

「押すなよ、絶対」


 悲しそうな顔をする秋乃。

 お前の気持ちはよく分かるが。


「じゃないと、こうなる」


 よく見ろ。

 これが、現代社会の仕組みだ。


「え……? 携帯?」

「もう、お願いしといてやったから」


 俺が、携帯をみんなの方に見せると。


「なんだかんだ言って頼んでくれたの!? ありがと、保坂君!」

「……お前、良いやつだな」

「あ、ありがと……、ね?」


 まるでぬるま湯。

 呑気なこと言ってやがるが。


「そんな話してるんじゃねえよ。いいから萌歌もかさんの返事、見てみろ」


 俺の言葉に、改めて。

 三人が顔を寄せて画面をのぞき込んだその瞬間。


「げ」

「うわ」

「こ、これ……」


 揃って。

 顔を真っ青にさせた。


「ようやく分かったか。これが萌歌さんだ」

「これを分かってて……、お前、よく頼めたな?」

「そこが課金の恐ろしさだ」


 一度体験すると。

 どんどん罪悪感やブレーキという概念が薄れていく。


 それが課金。


「一度やっちまうと、次から歯止めが利かなくなっちまうんだ。……秋乃、お前は絶対こんな道に入って来るなよ?」

「た、立哉君は……。もう、真っ当な道に戻れないの?」


 俺は携帯を握った手をポケットに突っ込んでパイプ椅子から立ち上がると。

 防音室の低い天井を見つめながら語った。


「日の光を浴びて歩いてるうちは、なんてバカなことしちまったのかと反省もするんだが。……そんな思いは、長くは続かねえ。夜が必ず訪れるんだからな」


 そんなことをつぶやいた俺の携帯に表示されたメッセージ。



 次のうちのライブん時。

 前座で一人コントしろ。

 もちろんノーギャラで。



「保坂、お前……」

「保坂君……」

「あ、あの、立哉君……。い、今から、断ったら……?」

「そうはいかねえ。俺のことは気にせず、お前達は夢を追いかけてくれ。それだけが、俺の望みだ……」


 そして、放送室をあとにしようとした俺の背に。

 秋乃の声がかけられる。


「そうじゃなくて」

「え?」

「た、立哉君のコントなんて、きっとつまらないから迷惑……」

「うはははははははははははは!!!」


 ……仕方ない。

 じゃあ、お前は萌歌さんからアドバイス貰う代わりに。


 俺に笑いの何たるかを叩き込んでくれ。

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