ぬか床の日
~ 一月二十日(水) ぬか床の日 ~
色気 VS 食い気
朝、正門をくぐったら。
目に入って来たのは、佐倉さんの走る姿。
弾む吐息が寒空に凍らされて。
朝日に煌めきながら彼女の三つ編みに追いすがる。
そんな美しい、真っ白な写実画に。
まるで景色との境界線を失う程の白い頬は真剣そのもの。
トラックを懸命に走るその姿勢に。
誰もが一瞬足を止めて。
彼女に心で。
エールを送っていた。
……もちろん俺も。
そんな佐倉さんに胸を打たれた。
でも、いくら感動したからと言って。
応援する気にはなれない。
どうして応援できないかと言えば。
パラガスのことはもちろんあるんだけど。
それだけじゃなくて。
まるで言葉にできないけど。
なぜだか。
どうしてだか。
俺は佐倉さんから。
苦手なオーラをずっと感じているんだ。
「…………困り顔すんな」
結論を出したくせに。
未だに心をぐらつかせるこいつ。
自分で賭けを受けたのに。
彼女をパラガスとくっ付ける訳にはいかないと、そう決めたのに。
「あんな必死な顔見せられたんだ。気持ち、分かるけど」
基本、誰にでも青天井に親切なこいつが。
苦しまないはずはない。
だからこそ。
「こんなメッセージ送って来るやつとつき合わせるわけにゃいかんだろう」
……そう。
登校中に。
俺と秋乃が盛大にため息をつくことになったバカメッセージ。
『今日、風が強いからスカートめくれてパ』
どうして途中で打つのをやめたのか。
どうしてそれ以降メッセージが来ないのか。
考えるまでもなく、そして。
考えたくもない。
「おはよ~! いや~! 最高の朝だね~!」
「お、おはよ……」
「俺たちには最低な朝になったよお前のせいで」
「ピンクは正義だって、俺は認識を改めたよ~」
「お前は認識じゃなくて人間を改めてやり直せ。石器時代から」
そして本人登場とか。
危うくフライパン出してバターで炒めそうになっちまったぞこの野郎。
へらへらと。
幸せそうな顔して長い手を振りながら近づいてきたパラガス。
すると。
恋する乙女はセンサーも敏感。
「おはよう、長野君!」
佐倉さんが、今までの必死な形相を後頭部に隠して。
眩しい笑顔と共に走って来た。
「お~。おはよ~」
「うんうん! 今日は三人一緒に来たの?」
「多分電車は一緒だったと思うけど~。俺はゆっくり目に来た~」
そうだな。
お前は朝から偶然を必然にするために時間を費やしてたからな。
「うん、そうなんだ。今日は朝も甲斐君と勝負するの?」
「しない~。ここんとこ俺が勝ちまくってるからさ~。あいつ、勝負逃げてるんだよね~」
「うんうん! 調子いいよね、長野君!」
「違うよ~。ようやく実力通りになって来たんだって~。今まで、優太がツキまくってただけだよ~」
「あはは! そうだよね、うんうん!」
このやろう。
そのアゴ外してえ。
パワーショベルの先とすげ変えてえ。
秋乃も呆れ顔したまま。
横目でパラガスのことにらんでやがるが。
どうだ?
やっぱり諦めさせる気になった?
俺のアイコンタクトに。
こくりと頷いた秋乃。
よし、そういうことなら。
助けてやろうじゃねえか。
「なあパラガス。佐倉さん、二位って凄いよな」
「え~?」
「走り方も綺麗だし」
「そうだっけ~? 鈴村さんの女の子走りが可愛くて、そっちばっか見てた~」
よし。
さすが、お前はゲスの星の下に生れ落ちてる。
がっくりうな垂れた佐倉さん。
これくらいじゃ諦めないにしても。
かなりマイナスになったろう。
そう思っていたんだが……。
「あ、あたし、頑張る!」
「ポジティブ!」
「そっか~。頑張れ~」
「うん! 頑張る!」
「一位になったらなにかあげるよ~」
「ほんと!? うんうん! 絶対一位になる!」
「おま! 余計なこ……、ちょっとこっち来い!」
燃料投下してんじゃねえ!
お前が幸せになる邪魔してんだよ俺たちは!
その邪魔をお前がしてどうする!
「なにかあげるって! そこまで佐倉さんの応援したかったのかお前!?」
「ううん~?」
「え……?」
あれ?
なに言ってんの、こいつ?
「俺が応援してるのは、しまっちゅと夢ーみんと鈴村と、あと香坂先輩と皆木さんと林先輩と、テニス部の方の斎藤さんと胡桃沢先生と神取先輩と……」
「ブレーキ踏めノンストップ見境なし野郎! 何で先生出て来た!?」
「すげえおっぱい大きいから~」
「な・ん・で! 三年の数学教師がマラソン大会でお前に応援されなきゃならんのか聞いてんだ!」
「給水コーナーにいるんだって~。俺、胡桃沢先生の手で淹れてくれた水、大事に零さず持って帰るんだ~」
「曲芸か!」
「遠心力で~」
「観覧車か!」
……いや、うん。
そういう返事してもらって合ってるんだけど。
それにしたって早朝から飛ばしまくりだなてめえは!
「そんな高速観覧車、あったら乗ってみたい~」
「あたまいてえ……。そもそも一位の商品、なにあげる気だよ」
「我が家のぬか床~」
ああもう。
聞きたくねえけど説明しろお前は。
「なんで!」
「増やしたんだけど~。貰い手なくてさ~」
「そうじゃなくてなんでそんなの佐倉さんにあげる気なんだよ!」
「邪魔だから~」
なんというパラガス祭り。
呆れるのを通り越して。
俺の脳は、こいつの言葉を理解することを拒絶し始めた。
でも、目的は果たした。
これを聞いたらさすがに呆れかえるだろう。
さあ、会心の苦笑いを浮かべて逃げるように立ち去るがいい、佐倉さん!
「うん……。ぬ、ぬか床?」
「ぬか床~」
「長野君と同じ漬物食べれる!」
「ポジティブうううううっ!!!」
だめだ!
何枚ドローツー出しても全部返される!
俺は顔を両手で覆って。
下にびろんと引っ張りながら天を仰ぐ。
もう打つ手がない。
あとはお前に託したから絶対勝てよ秋乃!
「……ぬか床って、なに?」
「そしてお前のマイペースはたまに俺の神経を鬼おろしでゴリゴリ削る」
「アクセサリー?」
「漬物って言ってるだろうが。パラガスからぬか漬け貰ったことあるだろ」
「あの、無限に食べれるキューリ?」
「それを無限に作れる装置だ」
「わ、私が一位になる!」
「うはははははははははははは!!!」
余ってるって言ってるんだから。
勝たなくてももらえるわ。
でも、そいつは黙っとこうぜ、俺。
なんてったって、秋乃も本気になったみたいだしな。
さてさて。
色気が勝つか。
食い気が勝つか。
こいつは見ものになってきやがった。
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