空気清浄機の日


 ~ 一月十九日(火) 空気清浄機の日 ~

 無臭 VS いい香り




 放課後の教室は。

 重苦しい空気に包まれていた。



 いつも無駄に明るい、夜道の自動販売機こと、きけ子が。

 どんより机に突っ伏してるせいだ。


「なんてこった……。三位……」

「いいじゃねえか。五位までは同じグループなんだから」

「三位…………」



 ついさっき。

 マラソン大会の予選として。

 千五百メートル走が行われ。


 クラス内の順位が確定したわけなんだが。


「三位…………」


 女子で三位。

 佐倉さんに負けたきけ子が。

 ずっとこの調子。


 うっとうしいことこの上ない。


「それにしても、あいつ遅いな」


 珍しく部活組が揃って休みだから。

 帰りにお好み焼きでも食べていこうって事になったんだが。


 トイレに行ったきりいつまでたっても戻ってこねえあの男。

 束ねてあるテープの端っこがどうにも剥がせない面倒な奴。


 一体何をやっているのやら。

 みんなで廊下への扉に目を向けると。


 ちょうどそいつが開いて。


「げ」


 事もあろうに。

 パラガスは、佐倉さんと談笑しながら帰ってきやがった。



 もちろんそんなの見せられた日にゃ。

 当然のリアクション。


 俺を含めた三人程は。

 わたわた慌てて佐渡おけさ。


「なんかお前ら、最近おかしくねえか? 隠してることとかあるだろ」

「ぎくっ」

「ぎくっ」

「ぎくっ」


 もちろん、甲斐には何も話してねえ。

 この石頭に話したら絶対に面倒なことになる。


 とは言えいつまで隠し通せるのやら。

 馬鹿正直な二人がマイムマイムを踊りだすのを見た甲斐が。


 問い詰めようとした瞬間……。


「うんうん。みんな揃ってどうしたの? お出掛け?」

「お、おお。お好み焼きでも行こうかと思って……」

「珍しくチア部と休みが重なってな。佐倉さんも来るか?」

「いいなー! 今日は用事があるんだよな……。長野君も行くんだよね?」

「ああ~! しまったのんびりしすぎて失敗~!」


 急に大声をあげたパラガスに。

 佐倉さんが目を丸くさせていると。


「帰っちゃったか~! しまっちゅか夢ーみんか鈴村誘おうと思ってたのに~!」


 いつも通りのパラガス節に。

 あっという間に膨れ顔。


 ……そんな佐倉さんに聞きたい。

 こんなやつのどこが気に入ったんだ?


 あと。

 文化部なのにどうしてそこまで足が速いんだ?


 ただ足が速いってレベルじゃない。

 あの速さは鍛えてなきゃ出ない。


 実は、運動系の部と掛け持ちとか?

 いっぱいいるからな、文化部と運動部両方入ってるやつ。


「……そ、それにしても、速いよね。佐倉さん」

「うんうん! でもそれを秋乃ちゃんに言われてもねー!」

「ああ。三馬身から四馬身差は引き離しての勝利だったよな」


 俺が褒めるのを。

 身をくねらせて照れるこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 長距離の方が得意らしいから。

 これなら大会当日も勝利確定いてててて。


「耳を引っ張るな!」

「う、馬じゃない……、よ?」

「いまさら!?」

「じゅげむじゅげむ……」

「そして今度は何の真似だ」

「う、馬の耳に念仏」

「俺も馬じゃねえしそれは念仏じゃねえし引っ張った耳にささやくなむず痒いってのと近付きすぎだから離れろ」


 一息に四つも突っ込んでしょんぼりさせちまったが。

 お前が一度に四個ボケるせいだ、もっと反省しろ。


「うんうん、保坂君も速かったよね。男子で三位?」

「今日は秋乃に頼まれて、走り方チェックしてたから。ほんとは秋乃より速い。男子でも一番速い」

「そうなんだ! うんうん!」


 ああ、そうだとも。

 走り方をチェックしてたんだ。


 ガチでこいつに負けたわけじゃねえし。

 お尻を見てた訳でもねえ。


 そこんとこ勘違いしねえように。



 ……さすがに予選会直後。

 しかも上位メンバー同士の会話。


 必然的にこんな話になったんだが。

 そのせいで、急に暴れ出した負けず嫌い。


「あーーーーっ!!! もう! 予選の話すんなーっ!」

「うわびっくりした。いいじゃねえか三位だって」

「良くない! ちょっと今日は、あの、違ったの!」

「なにが」

「それは……」

「靴か? 気温か? 地面か? 何が違うってんだよ」

「く……」

「く?」

「空気が!」

「うはははははははははははは!!!」


 空気ってなんだよ。


 そんな言い訳しながら暴れるきけ子の。

 頭を押さえ付けた甲斐。


 いつもの石頭で。

 まるで子供と話す親みてえなことを言い始める。


「こら、他のもんのせいにするな」

「ほんとだもん! あたしの周りだけ、空気が悪かった! 舞浜ちゃんの後ろ走ってたらこんなこと無かったのに!」


 そして秋乃の背後に回ったきけ子が。

 長い飴色の髪に顔をうずめてもがもがつぶやく。


「あ、いい匂い」


 いやいや。

 お前はパラガスか。


 秋乃がわたわたしてるからやめてやれ。


「ほら! これなら速く走れるもん!」

「やめねえか、キッカ」


 そして石頭がむりやりきけ子の首根っこを掴んで秋乃から引きはがすと。


「……舞浜の匂いはクラスの共有物だって、学級会で決まったろ?」


 なにやら。

 めちゃくちゃなことを言い出したから。


 秋乃が。

 髪を逆立てて驚いてる。


「なんだそりゃ!? いつ決まったんだそんなの!」

「だから、学級会で」

「そうだよ~。舞浜ちゃんが座ったベンチとか電車の椅子の権利を金銭でやり取りするのも禁止になったじゃないか~」


 秋乃が。

 自分の体を抱きしめて震え始めた。


「俺と秋乃が揃って立たされてる時にでも決まったのか?」

「ああ~。確かそうだったかな~?」

「わけわからんなこのクラス」

「でも、そんなルールなんて知った事か! 保坂ちゃんだって舞浜ちゃんの後ろ走ったからベストタイムだったんでしょ!?」

「なわけあるかい」

「舞浜ちゃんの匂いはあたしが全部吸う!」



 しゅごおおおお!



「空気清浄機か」



 ひゅごおおおお!



「……すげえな。いつまで吸い続けてるんだこいつ」

「なんか~。膨らんできてねえ~?」

「こらキッカ、無茶するな。そのまま吸い続けたら……」

「確かに。なんか、破裂しそうだな」

「いや? 舞浜の匂いが無くなる」

「うはははははははははははは!!! 無くなるかっ!」


 そしてとうとう。

 秋乃が悲鳴を上げて……。


 あ。

 ちょっと考え直してる。


「に、匂い、無い方がいいかも……、ね?」

「それは絶対ヤダ~!!!」

「うるせえ黙れ変態」


 ……佐倉さん。

 こいつ、こんなだぞ?


 ほんとにいいの?


 俺が佐倉さんに半目を向けてると。

 視線に気付いたようで。

 ひそひそと話しかけて来たんだが……。


「うん……。秋乃ちゃん、いい香りするよね」

「佐倉さん、羨ましいの?」

「うんうん。そりゃ、女子としちゃね? ……でも、長野君はどうなんだろ」

「あいつは、雨の日の下駄箱みたいな匂いがする」

「ううん? 女子の香りとか、ほんとに好きなのかなって話……」

「え~? そりゃ好きだよ~」

「き、聞こえてたっ!?」

「あ~! いいこと思い付いた~。空き瓶買ってこよ~!


 うわ気持ち悪い!


 ちょっと佐倉さん!

 このどうしようもない生き物のゲスい発言聞いてた!?


 鞄から小瓶出して自分の周りの空気集めてる場合じゃなくて…………?


 ん?




 いやいやその瓶どうする気だ貴様!




「じゃ、じゃあ! はい! あげる!」

「うおおおおい! そんなの渡すな!」

「いやっほ~い! 早速明日、しまちゅの香りこれに閉じ込めよ~!」



 ……がっくりと両肩を落とした佐倉さん。


 ようやく分かってくれたか。

 そうだ、こいつはこういうやつなんだ。



「……うん。決めた」

「そうか。でも遅かれ早かれその結論に達してたと思うから、気を落とさないで……」

「今日から毎日! フルーツだけ食べる! うんうん!」

「ポジティブっ!」



 ……彼女が目を覚ましてくれるには。

 まだしばらくかかりそうだ。

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