振袖火事の日


 ~ 一月十八日(月) 振袖火事の日 ~

 く VS 俺




 約束した言葉は。

 よく覚えている。


 

 『来週には返事をする』



 引き伸ばしたい者にとっては。

 ギリギリ一杯、金曜日をさすこの言葉は。


 待ちわびる者にとって。

 月曜の朝一番を意味するのだ。



「うんうん。秋乃ちゃん、決めてくれた?」

「うう……、ま、まだ決めかねています……」



 当本人が前の席に座っているから。

 もちろんお互いに明言はしていないけど。


 これは、先週から佐倉さんがお願いし続けている。

 パラガスとの仲を取り持ってもらいたい案件。


 そんな無茶ぶりに。

 飴色の髪ごと頭を抱えているのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 こいつの煮え切らない態度を見て。

 佐倉さんは、やれやれと肩をすくめながら締め切りを引き延ばしてくれた。


「うん。じゃあ……、金曜日まで? マラソン大会の日?」

「ごめんね?」

「うんうん。そしたら、あたしがマラソンで勝ったら協力してくれるっていうのはどう?」

「あ、それ……。いいかも……」

「うん! じゃあそれで決まりね! ようしがんばろ!」


 そしてちらりとパラガスの横顔を見つめてにっこり笑った佐倉さんは。


 先生が教室に入って来るのに合わせて席の方へと走って行った。


 ……べっ甲眼鏡に、顔を隠すかのような前髪。

 三つ編みを好む子に似つかわしい物静かな女の子。


 それが、パラガスがらみで急に仲良くなったせいで。

 印象がまるで変わることになっちまった。


 まあ話すこと。

 まあ積極的だこと。



 とは言え。



「なんとかなったか……」

「う、うん。しょうがないよ……、ね?」


 争いごとは嫌いな秋乃だが。

 パラガスと佐倉さんとの仲を取り持つ事を拒否するためならやむを得ない。


 走ることにかけて。

 男子のトップクラスとそん色ない秋乃が。

 万が一にも負けることはないだろう。


「でも……。ちょっと、胸が痛い……、ね?」


 そんな秋乃のつぶやきに。

 きけ子が首を大きく前にこくりと倒す。


 授業が始まっているから。

 返事をすることはできないが。


 気持ちは余すことなく伝わって来たぜ。


「まあ、そう言うな。他人の恋路にヘタに関わると恨まれる」

「うん……」

「ちょうど、今日はそんな日だしな」

「……どんな日?」

「おい保坂。寒いだろうが、換気のために五分だけ窓を開けておけ」

「へいへい」


 俺が先生の命令で窓を開けると。

 冷たい風が吹き込んで。


 ちょうどいい具合に。

 秋乃の体を芯から震え上がらせた。




 ――時は明暦元年。

 質屋の娘であった梅乃が、十六歳で亡くなった。


 すれ違った少年に一目ぼれをした梅乃だったが。

 少年の素性も知らずでは再び出会えるはずもなく。


 恋の病に臥せって寝込むようになると。

 両親は梅乃のためにと。

 少年の衣服と同じ荒磯に菊の柄の振袖を作ってあげたのだが。


 心づくしも甲斐が無く。

 振袖は一途な恋心と共に棺にかけられて本妙寺へと収められることになった。


 そんな形見の品が寺男の手から売り払われて、町娘の手に渡ると。

 その娘も病に陥り、十六の同じ日に、振袖と共に本妙寺へ運び込まれた。


 これが恐ろしいことに再び繰り返され。

 振袖のかかる棺の中はやはり十六の娘。


 住職は振袖を焼いて供養せんとするも。

 炎に包まれた振袖は忌し方角からの風に舞い。

 人が羽織るかのような姿で寺に落ち。


 大屋根を焼き。

 木々へ燃え移り。

 町を炎で包み込み。


 ついには。

 江戸の町をぐいと飲み込む大火となった。


 ……まるで、江戸のどこかにいるはずの。

 愛しの君を探し出そうとしているかのように……。




「がくがくぶるぶる……」


 ああ、いかんいかん。

 怖い話NGの秋乃相手に盛り過ぎた。


 これ、明暦の大火にかこつけた作り話らしいのに。


「同い年……。乃の字も同じ……。怖い……」

「そうだ、恋の恨みは恐ろしいぞ? ほいほい恋ごとに首突っ込むな」

「うん……。マラソン大会、絶対勝たなきゃ……」

「あと、振袖も怖い」

「うん……。マラソン大会、振袖で出ないようにする……」


 なんだそりゃ。

 思わず笑いそうになったが、ここは我慢。


 だって、この長話。

 こいつに繋げるためのネタふりだからな!


「そして、そんな振袖を、俺は持ってきている」

「がくがくぶるぶる」

「さあ、見ろ! これがその振袖だ!」


 鞄から出したものを。

 怖がる秋乃の目の前に突き付けると。


 こいつはびくっと縮み上がりながらも。

 俺が出したものを手に取って。


 そして、ぽつりとつぶやいた。



「……フリソデーだからフリスビー?」

「その裏をかいて。ブーメランでしたーってオチなんだが」



 いやいや。

 オチを言わせるな恥ずかしいだろ。


 でも、失敗の原因は。

 こいつを怖がらせ過ぎたことだったかもしれん。


「はあ……、まあいいや。返せ、それ」

「フリソデー?」

「だからブーメランだっての」

「こ…………」

「こ?」

「怖いから東京へポイ!」

「投げるなバカ! 大火事になるわ!」


 ちょうど換気のために開いてた窓を見据えて。

 秋乃が大きく振りかぶる。


 俺は慌てて窓を閉めようとしたんだが間に合わず。

 耳元をかすめて外に飛び出したブーメランは。

 美しい弧を描いたかと思うと舞い戻……、おいおいおいおい!


「ごひん!」

「ひやあああ! ふ、振袖が舞い戻ってきた……!」



 おでこにブーメランの直撃を食らった俺が。

 次に目を開けると。


 そこは、保健室のベッドの上だった。


「がくがくぶるぶる……」


 そして、震える秋乃が。

 そばで看病してくれていたようなんだが。


 ひとつ。

 言っておかねばなるまい。


「……なぜ俺のおでこにブーメラン乗せてる」

「そ、そのまま本妙寺に……」

「残念だが。お前の所に戻って来るぞ?」

「がくがくぶるぶる……」


 まあ、その都度。


 棺に入れられるのは俺なんだろうけどな。

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