第2話 勇者が村にやってくる
「なんだってーっ!?」
アーベルは叫んだ。
朝、母親にかなり強引に起こされ、未練をたっぷりと布団に残しながら食べていた朝食を口から飛ばし、椅子を蹴って立ち上がっていた。
「今、何て?」
「落ち着きなさいよ、アーベル。お前らしくないよ?」
「だって……。だって、母さん、今……」
「そう。王様が遣わした勇者様たちが、村にいらっしゃるんだって」
「なんだって――――っ!!」
先ほどの叫びが向こう三軒両隣に響くに十分な声量だとしたら、今のは村のはずれにいてもしっかりと聞き取れただろう。
「ああ……」
アーベルは膝から床に落ちる。
自分は他の子と外を駆け回って遊べるほどの体力もなく、剣術ごっこをしようにも、木剣すら重くて振り回すこともできず、幼なじみのエリーザと薬草を集めたり、村に居着いた流れ者の爺さんを師匠にして軍師盤を指したりするような軟弱者のただの子どもだ。
でも大人になる頃には体力もついて、人並みには動けるようになるかもしれないし、自分には武器などを作る工作の腕がある。だからいつの日か、世界が乱れたときに天が遣わすという勇者が現れたら、絶対に自分も一緒に戦うのだと誓ってはいたが……。
「来るの早すぎ! 時期尚早だっつーの!!」
子どもには分からない、と大人たちがアルコールなどをたしなむ姿を見せつけられるとき、あるいは流行が自分を置き去りにして大人たちに消費されていくときに、子どもなら誰でも味わうあの焦燥感をアーベルもまた喰らっていた。
「集会所で聞いた話なんだけど、勇者様は魔王の拠点を探しながら少人数で旅をしているそうよ。それで、ついでに街道沿いの魔物も退治してくださるんだって」
「あぁ、そう……」
ウキウキしている母親とは対照的に、げっそりしているアーベル。
そりゃそうだろう。ウキウキもするだろう。
魔王が現れ魔物たちを世に放って以来、人里のすぐ近くであっても柵の外に出ることは、大変危険な行為となっていた。おかげで他の村や街との交流や交易は途絶え、村は貧しくなっていく一方だ。
だが勇者が通った後なら、一過性であれ往来が可能だというのだから、母親をはじめ大人たちが喜ぶのはもっともなのだ。
「そうだ。干し肉がそろそろ無くなりそうなのよ。お昼前の開林時間にちょっと獲ってきてよ。お前の、ほら例のヘンな弓。あれ使ってみたいってお隣のヒール爺さんも言ってたし」
「ああ……。わかったよ……。ヘンな弓で鳥でも獲ってくるよ」
アーベルは母がいうところのヘンな弓を棚から取り出す。それは軽量化した短めの槍を土台に、十字になるように弓を固定したアーベルの発明品である。
滑車を使っているため、アーベルの力でも強く引くことができ、その矢は大人顔負けの射程距離を誇るのみならず、近距離においてはそのまま槍としても通用する。言うなれば、ボウガンと銃剣を合わせたような武器だった。
「おー、待っていたぞ」
村の広場。開林時間に合わせて、大人たちが集まっている。
「あー。ヒール爺さん、これ使ってみたいんだって?」
「そうそう。アー坊の腕力であの射程と精度だろ? 他の者は邪道だなんて抜かすが、ワシは試してみたい」
「まあいいけど。でも、僕の腕力でもあの射程って言うけれど、この弓ってそもそも腕力は関係ないから。いくらヒール爺さんが腕力に自信があったとしても、射程も威力も僕と同じだよ」
「ん? 力が関係ない?」
「そうそう。まあ、使ってみれば分かると思うけど。あと、ひとつしかないから交代でね」
「わかっておる。アー坊は、普通の弓を引けないからな」
そう言ってニヤリと笑うヒール爺さんは、何故か嫌みをまったく感じさせない。本当に得な人だとアーベルは思う。
まもなく、村の教会の鐘が鳴った。
開林時間の始まりだ。
魔物が少ない、昼の一時。さらに、見張りの大人たちが周囲を警戒している間。それを開林時間と呼び、村人たちは林の中など柵の外で片付ける用事を同時に行うようにしていた。
時間以外に林に入るのは御法度。行っていいのは、柵のすぐ外の草むらまでだった。
全ては安全のため。
全ては、魔物たちを世に放った魔王のせい。
林の中をアーベルとヒール爺さんはバディになって進む。
茂みの陰、巨木の洞。
いつもなら鳥か小動物がいるはずのポイントには、何の気配もない。
それだけじゃない。今日は林が、いやその奥の森も静かすぎた。
「アーベル……」
ヒール爺さんは険しい表情で、アーベルの肩を叩いた。
「嫌な予感がする。一旦退こう」
「うん」
そのとき、林の中をラッパの音が響き渡った。
警戒に当たっている大人たちが吹く、魔物襲来の合図だ。
間髪入れずに起きる地響き。大型の魔物が近いのかもしれない。
少し離れた所から木が裂ける音がして、息を潜めていた魔鳥がギーギーと鳴いて一斉に飛び立った。
「ヒール爺さん!」
「ああ。走るぞ、柵の中へ」
林の奥から迫ってくる足音、うなり声、そして運悪く魔物と遭遇してしまった村人の悲鳴。それらに足を取られながらも、アーベルは村の防護柵へと走った。
悪夢の中みたいに草が足に絡みつき、進みを悪くしている気がする。
林から出るには出たが、まだ柵までには草むらをだいぶ走らなければならない。暗がりを好む魔物がここまで来るかどうかは不明だが、何かのきっかけで興奮しているのなら十分に考えられることだった。
ひょっとしたら、村の防護柵だって破られるかも知れない。
「うぁっ――」
余計なことを考えたからなのか、あるいは弓を捨てずに走ったのがいけなかったのか。気付くと背後には魔物の荒い息が迫っている。
追いつかれる。
気配で分かる。これは振り向いて確認したら、その瞬間にわずかに残っている彼我の距離を詰められるパターンだ。
ダメなのか!?
こんなにもあっけなく人は死ぬのか??
フッ――
それがなんなのか、アーベルには分からなかった。
何か鋭く短い呼気のような音と、人間のものとは思えない疾い影が視界の隅をかすめていた。
続けて響く魔物の咆哮……。
「……ん?」
咆哮? いや、これは……。
アーベルは足を止めて振り返る。
そこには、胴体を袈裟斬りにされて断末魔の叫びをあげる魔物の姿があった。
「大丈夫か?」
「え……!?」
声をかけられるまで気付かなかったが、アーベルのすぐ隣には短刀を両手に構えた見慣れぬ少女が立っていた。
「まだ走れるならば、ぬしは村へ」
言うが早いか、少女は林の中へと消えていった。
まだ、魔物たちが暴れているはずの林の中へと。
勇者はアーベルの母親が伝えた通りにやってきた。
村の大人たちが期待したとおり、林の中の魔物をやっつけてくれた。
しかも到着は予定より早かったらしい。
だが、開林時間で林に入っていた村人に死傷者が出た。
「それは?」
アーベルの家に残っていたわずかな干し肉を持って、母親は身支度をしていた。
「集会所に、勇者様たちが宿泊されるんだって」
「あげるの?」
「あなたの命の恩人でもあるんでしょ?」
「そうだけど……」
「それに魔物は根こそぎ倒したから、しばらくは林に入って狩りをしても安全だって」
「うん……」
憧れていた勇者。
聞いていた通りに、村の周囲の魔物をやっつけてくれた。
だが、見知った村人たちに被害が出た。タイミングが悪かったから。それはそうだが、頭では分かっていても納得できないアーベルだった。
たとえ、命の恩人が勇者パーティーのひとりだったとしても。
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