その男、ゴロにつき

じんてつ2:50

第1話 はじまり

 パチッ。

 使い込まれた木製の盤上。将軍の駒を、敵陣深くに進めるアーベル。

「むう……」

 アーベルの相手をしている白髭の老人は、もともと厳つい顔に、さらに皺を寄せてうなる。

 ここは、ジャルセン王国の辺境。エーリック村の、さらに柵の外。陽光が柔らかく差し込む林の終わり。

 アーベルが自作した折りたたみの椅子を出して、これまた自作の折りたたみテーブルをはさみ、軍師盤に興ずる二人の姿は、こんな時代でもなければのどかにピクニックを楽しむ祖父と孫にも見えただろう。

「どうだ!」

 勝ち筋は見えている。いや、この手を持って投了でもおかしくない。

 アーベルにそのくらいの自信は持たせるに足る一手だった。

「では……」

 そう言って老人が進めた駒はただの二等兵。アーベル側の陣深くに入り込んではいるが、もともとたいした戦力ではないし、第一孤立している。目の前の将軍の駒で蹴散らせば良いだけだ。誰が見ても、慌てるような手ではなかった。

「成りじゃ」

 しかし、老人は進めた二等兵の駒を返す。

「えっ――」

 アーベルが絶句するのも無理はない。

 事前に全持ち駒のうち、ひとつだけに付与しておくことができ、敵陣に入って成った時に判明する特殊な駒。そう、老人が指した手は諜報の駒だった。

 通常は多く動ける駒などに付与しておくことが定石とされるこの諜報の駒は、接触した敵の駒を意のままに操ることが出来る。

「ズルイよ、師匠~」

「はっはっは――」

 アーベルに師匠と呼ばれた老人は歯を見せて笑う。

「まだまだだなアーベルよ」

「あーあ。これじゃあ、勇者の魔王討伐に参加するなんて遠い夢だなぁ……」

「またそんなこと言ってるの?」

「あ、エリーザ」

 大きく落胆のため息をつくアーベルの背後に立っていたのは、アーベルと共にこのエーリック村で育った少女、エリーザだ。

「お目当ての薬草は採れた?」

「うーん。それがあんまり見つけられなくて……。やっぱり林に入らないとダメなのかも」

 エリーザは左腕に下げている籠の中に視線を落とす。

 空っぽということはなく、それなりに草が入っているのが見える。だが、アーベルには見分けが付かなくとも、エリーザのお目当てではないのだろう。

 なにせ村で魔女と呼ばれている女性のところに通っていて、薬草調合の知識はそのへんの大人でも相手にならないくらいなのだから。

「もうちょっと探す? 手伝うよ」

「そうね……」

「いや」

 遮ったのは、師匠と呼ばれた老人だった。

「そろそろ日が傾き始める。二人とも、ここを片付けるぞ」

 立ち上がり、盤上の駒を集めていく。アーベルとエリーザもそれにならい、軍師盤を片付け、テーブルの脚と椅子を畳む。

 それまでの、のどかなひとときが嘘のように。老人と孫ではなく、老いた将軍と良く訓練された兵士のように。無言で三人は後始末をしていく。

 立つ鳥跡を濁さずとは、まさにこのこと。見事な手際で、三人は数分と待たずにその場を離れていた。あとには、わずかに踏み倒されているものの、それを隠すに十分な量の風に泳ぐ草があるのみ。

 やがて風は冷たくなり、傾いた日は木立の影を三人がいた場所まで連れてくる。

 日の南中時刻を挟んでわずかに残されている、か弱い人間が外を出歩ける時間が終わりを告げる。

 代わりにやってくるのは、魔物たちの時間だ。

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