青白い夕暮れに

薄星

第1話

ただ重く、ただ暗い。

時間が早く過ぎ去ってほしいようで、過ぎ去って欲しくない。

あんなにもやる気に満ち溢れていた私はどこへ消えたのか。

あんなにも目標を立て行動しようとしていた事柄を、いざ前にしても。

このことに何の意味があるのかと、まるで手につかない。

外は既にほの暗く、何もなさずに夜を迎えてしまう。

ああ...そうだ、せめて庭の子たちでも見ておかなければ。

少しでも気が晴れるかと思い、開け放った窓を見てそう思う。

階段を勢いよく下り、玄関に向かいます。

室内の寒さは体に堪えるが、外の寒さは、寒ければ寒い程、気持ちがいい。

外に出ると、寒い風が吹き、少し心が晴れます。

庭の子たちは、皆元気で、私がいなくても生きていけるかのようでした。

そういえば昨日は、強めの雨が降っていました。

そのまま家に戻ろうか、と思ったそのとき。

私の目に、坂が映りました。

住宅街へと通じ、どこか目的の場所に行くために使うこともないその坂が。

そして私は、衝動的にその坂へ向かい走り出しました。

ついさっきまでただ重く、何もできなかった私が、

このように行動できることに驚きましたが、

もしかしたらずっと私が求めていたものだったのかもしれません。

食事よりも、睡眠よりも、自慰よりも。

自由になって何でもできるようになっても、ただつまらなかったのは

本当に私がしたいことをすることができていなかったから。

ただ時間が流れることに絶望し、それを受け入れようとすらしていた。

ただ忘れていたのだ、どれだけ有象無象があっても虚しさはぬぐえないと。

ただ欲しいものが一つあれば満たされることを思い出せなかったのだ。


夕暮れが来たと思えば、すぐに夜になる。

何度も見てきたはずなのに

私はその速さに驚きながらその住宅街を歩きます。

私は、暗くもまだ水色が残ったこの空が好きです。

何度見ても飽きることなく感嘆することができるため、

本当に私はこの空と、この時間帯、

そしてこの場所が好きなのでしょう。

この環境は、考え事をするには最適です。

不要な情報を排除し、ただ一つ向き合いたいものだけに集中することができる。

ただ私は、自分が考えること全てが、他人にとっては陳腐な、

くだらないものなのではないかと、不安で仕方がないのです。

何かを考えても、他人にはつまらなくただ何もかもが無意味に思えてしまうのです。

他人と比較することは、何もいい結果を生まないことを、知っているはずなのに。

ただ何にもやる気が出ず、強制的に行動を強いられることを待っている。

私は今、余りにも強大すぎる相手を前に絶望している。

だがそれは敵ではなく、必ずしも戦わなければいけないわけではありません。

時には、今のように目の前に立ちはだかり、

その、圧倒的な強大さに打ちひしがれ、立ち止まる事もあります。

ですが、その存在は己を攻撃してくる訳ではなく、

自身が勝手に敵わないと絶望し、諦めてしまっているだけ。

逃げず、立ち向かい、歩みを止めなければ、

どれだけ傷つこうと、前に進めるはず。

ですが、どれだけ言葉を並べても、この気持ちが変わることはありません。

ただその言葉を知っていても、実感し行動に移すことは難しい。

そう考えているうちに高台までやってきました、

ここからは遠くの家の灯や、走る車のライト、

電波塔の赤い点などが見渡せます。

その灯にはいくつもの感情の渦があることを私は知っています。

私と同じか、もしくはそれ以上の物語があることを知っています。

そう考えると、この景色がとても尊いものに感じられる。

私はそんな灯の一つになりたかったのでしょう。

人がその片鱗を見て、少しでも心を満たしてくれる、そんな人生を送りたい。

たとえば家の外にまで香る夕食を作るなど。

私は、誰かの人生を彩る一部に、ただなりたい。


この景色を見ると子供の頃を思い出します。

いつどうやって見たのかは覚えてはいませんが、見たことだけは覚えています。

もしかしたら、それは車の車窓から見える景色だったのかもしれません。

そう、私はあの道路を助手席に乗せられてよく走りました。

最寄りのスーパーへと向かう道。

もし、昔と同じ状況を再現したとしても。

同じ感覚を味わうことはできないのだろうと思うと、

この先の人生には、何も楽しいことが無いように思えてしまいます。

夕暮れの、この青白い空。

子供の頃は、この空をよく恐れていました。

友達と遊んでいるときに、時間が経つのを忘れ、

気付けばこの青白い空がありました。

暗くなってから帰れば怒られてしまうからと。

特に家から遠い場所で遊ぶときは、友達の時計をよく確認させてもらっていました。

今では、どれだけ遅く帰ろうと怒られることなどありません。

それは嬉しくもありますが、二度とあの感覚を味わえないのだと思うと悲しくもあります。

こう思うと、私はとても恵まれているように思います。

この懐かしさも、切なさも、あの変えられない過去があったからこそあるのですから。

あの時、無知であった私に比べて、本当に成長したものです。

もうあの時の私には戻れませんが、今生きる子供たちの人生の一部になることはできます。

私は、またこの高台から景色を眺める者にとって、

認知されるような、強い光を放つ人生を送りたい。

そう思いました。


しかし、今の私がなれるとは思えません。

何をしても意味のないことにしか、どうしても思えない。

どれだけ行動しようと、ただ延々同じところを回っているような、

そして何をするのも嫌になり逃げてしまいます。

だが、そう。そんな一日で何かが大きく進歩するものなど、そうありはしません。

私は今自分ができる限りの事しかできません、

背伸びをしても届くわけではありませんから

ただ今できる事を一心不乱に続けるしか

この虚しさと無力感を忘れる方法はないのです。

それが一番の答えなのでしょう。

私は、まだ少し悩みを残したまま、来た道とは違う道から高台を下ります。


帰るために、別の道を歩きながら、

私は、この頭に浮かぶ悩みの、存在意義について考えます。

この世の全ては、何か意味があって生まれ、

そして、役目を果たし消えてゆく、そう思っていました。

ですが、生まれては消えていった悩みは、答えを見つけた物もあれば、

ただ忘れ、消えていったものもありました。

だからおそらく摩擦が起これば熱が生じるように、

ただ生まれる条件が整ったから生まれただけで、

その生まれた熱をどうするかは私次第なのでしょう。

植物が進化をするために種を作ることとは違い、

ただ自然に生まれ、自然に消えるか使われる。

このようなくだらないことに頭を働かせる私は、客観的に見て、

とても愚かでしょうが、今私にできる愚かではないことなど存在しないので、

ただ続けるしかないのです。


帰り道の途中、

春に咲く沈丁花が蕾をつけているのを見つけました、

あのどこからともなく香りを漂わせては、

どれだけ鼻を近づけようと鼻孔をうまく刺激することはない

じれったい香りを持った、あの花です。

その姿を見て私は、己のだらしなさを恥じ悔い改めます

この存在の仕方が正解。いや良いのでしょう

今の私よりも、よっぽどいい存在の仕方をしています

この花は誰も見るものがいなくても、同じように成長し、

蕾をつけるのでしょう。

私たちはその美しく、懸命な生き方のおこぼれをただ吸わせてもらっているにすぎません。

ただ美しく生きている存在は、自分とその前しか見ていないのです。

どうしたら同じように生きられるのか、考えるのが億劫になってしまうほど、

その生き方は今の私とはかけ離れているように感じました。

そしてまだ花を咲かせるまで何ヵ月もあるというのに、

なまけず、必要なことだけに力を使う姿を見て。

期限のギリギリまで物事を始めない私のずぼらなさを痛感しました。


この短い時間に様々なことを考えました。

それはもしかしたら、以前にも考えたことがあって、

ただの堂々巡りだったのかもしれませんが、

こうして物事を考えることができる、それだけでとても幸せなのです。

私はただの木偶の坊ですが、ただこうして存在することができている

それだけでとても幸運なのだということを知っています。

そして、たとえ認識していなくても皆それを知っているであろうこともわかっています

私も他と変わらぬ存在ですが、皆別々の存在であることも知っているので。

また、同じように下らない痛みや、悩みに、一喜一憂することができるのです。


頭に浮かぶ私を悩ませる嫌いな顔たちを思います

頭に浮かぶ嫌いではなくなった過去の人たちを思います

今過ぎ去り消えてゆく私を思いを馳せます

過ぎ去り消え去った過去の私たちを思いを馳せます

これから死んでゆく未来の私を思い涙を流します

そして、死んだ先を見ることができる私に対して、

哀れみと羨望の感情を抱きます。

そして我が家が見えてきたとき、やはり私は、

どうしようもない程、自分のことを愛しているのだと実感しました。

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青白い夕暮れに 薄星 @marou410

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