奥々風土記 巻一 ④
薬師神社
繁村の温泉にある。温泉の神様として奉っている。
姫神嶽神社
玉山村にある姫神嶽山上にある。須勢理毘売命を奉っていると言い伝わる。
八幡神社
下厨川村、いわゆる厨川古城にある。昔からこの城の守り神となっていた。
八幡神社
平舘村にある。かつて源義家朝臣が山城国にある石清水八幡宮より御霊を勧請し、この地に奉っていると言い伝わる。境内に馬場があり、それは義家朝臣が当時流鏑馬を行った跡という。そのため今日でも祭りの際には村人が集まり、流鏑馬を行う。これを十七騎乗という。
大豆門神社
下米内村にある。猿田彦命を奉っている。また、御神体として奉納されているものは大同二年(807年)8月朔日(1日)と刻まれた獅子頭なる大変古いものである。
岩手山神社
岩手山を御神体として、
田村神社
某村(旧北岩手郡坊村?)にあり。桓武天皇の時代、延暦二十年(801年)のころ、坂上田村麻呂が討手の使い(追討使)に任命され、この岩手郡に下って来たときに、まずここに軍を集めて賊衆(蝦夷?)を討伐した。そのため国中が安定し後にここに大きな宮を造営、御霊を鎮めた。村人たちは大宮と呼びはじめ、ついには村の名前にまでなり今も大宮村という。
諏訪神社
上鹿妻村にある。鰐口の銘に、慶長十八年(1613年)三月三日右京進と刻まれている。
藤倉神社
繁村(現盛岡市繋)にある。大変古い神社である。応永二十七庚子(1421年)九月二日の札がある。祭っている神は
御明神社
御明神村にある。多賀大神を奉っている。その昔、近江国の某という者が犬上郡に鎮まります、多賀大神を奉っており、そのご神体を移して御剣を作り、常に自分で持つか家に安置しているものを、何らかの理由にてこの国に持ってきて神社を建立して奉納した。それより開拓されて一村となった。村名にも影響し、近江明神村と呼ばれていたものが、いつしか訛って
鹿島神社
盛岡城内にある。城の東南、新城村にこの大神の御旅所がある。これは寛文二年(1662年)に南部重直公により造営された神社である。(盛岡砂子には寛文元年四月四日新庄山に遷ったとある)
薬師神社
下米内村にある。
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