奥々風土記 巻一 ③

・雫石の里

 盛岡城の真西にあって、城下から3里ほどの行程である。


・沼宮内の里

 盛岡城の真北にあって、城下から8里ほどの行程である。


・岩手の里

 現在盛岡城を構えているところが岩手の里である。夫木抄(鎌倉時代後期に成立した私撰和歌集)巻6、山吹の歌に、前中納言大江匡房おおえのまさふさ、くちなしの色とそ見ゆる陸奥みちのくの岩手の里の山吹のはな、また同巻読み人知らず、きて見れはくちなし色に咲きにけり岩手の里の山吹の花、と読まれている。


・三石神社

 三割村(現在の盛岡市名須川町)にあり。現在の東顕寺という寺の境内にあったと伝説では伝えられる。


・八幡神社

 盛岡城内にある。昔日戸の何某がいた城でその子孫。氏神として祀られた神社であるという。御神殿みあらかの後ろに、烏帽子の形の大石がある。これを烏帽子石という。礎石に稲綱いなつなとして、二年に一度しめ縄を引き渡すことがある。その技は今も日戸氏のものであるのは、古例のままである。さて城の東南、八幡山というところに、この大神の御旅所いてましところがある。これは延宝8年(1680年)のころに、南部行信が造営した仮宮である。


・熊野十二神社

 大沢村にある。


・鹿島神社

 土淵村にある。今は昔、康平(1058年~1065年)のころ、大将軍源頼義朝臣が朝的である安倍貞任などを征伐しようとしたときに、厨川城の南にある籾葛川(諸葛川?)の水かさが増して、渡河する事ができなかったため、頼義朝臣が神に祈ったところ、川の中から島が出てきた。この島をつかって、無事渡河することができた。この故事から陸奥国の平定が終わった後に、この場所に鹿島神社を招聘した。


・神山神社

 土淵村にあり、少彦名命を奉っている。


・住吉神社

 下厨川村にある。


・稲荷神社

 下厨川村にある。文治5年(1189年)、藤原泰衡・武衡(誰?)等を征伐するために大将軍である源頼朝卿が陸奥に来られた時に、工藤小次郎祐光を厨川城主に指名し、領地を与えた。そのときに祐光が建立した。


・鬼古里獄神社

 鬼古里山きこりやまにある。(現在、該当地に神社はありません)


・岩手山神社

 一方井村にあり。


・豊受皇大神社

 本宮村にある。上古の時代からの神社である。鰐口の銘に、『岩手郡中野卿大宮鐘奥州願主田村 俊宅敬白』、裏の方に『応永2年(1395年)乙亥12月吉日』と彫りつけている。


・林崎八幡神社

 下太田村にある。源義家朝臣がここに神社を建立された。

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