奥々風土記 江刺恒久年表

年号 (西暦 数え年)

文政9年 (1826年 1歳) 2月3日陸奥岩手郡盛岡に生まれる。專司せんし?と名付けられる。

天保11年(1840年 15歳) 12月朔日(1日)元服して恒久と改める。

天保14年(1843年 18歳) 藩主(南部利済)に供奉ぐぶして江戸に上る〇一の関本間百里を師として有職古実を学ぶ。

弘化元年(1845年 19歳) 盛岡に帰る。〇十二月沼宮内御杖(盛岡藩の絵師)の女艶を娶る。

嘉永2年(1849年 24歳) 漆戸茂喬うるしどしげたか・島川鎌満に従って和歌和文を学ぶ。

安政5年(1858年 33歳) 3月花巻城代屋敷に移居する。

安政6年(1859年 34歳) 八百万神拝詞一折刊行。

文久2年(1862年 37歳) 閏8月藩主(南部利剛)より封入風土記の編集を命じられる。

文久3年(1863年 38歳) 通称を和多理と改める。

慶応元年(1865年 40歳) 四十年賀宴歌集あり。

慶応2年(1866年 41歳) 近侍を勤め兼ねて藩学作人館に於いて国学の教師を命じられる。

明治2年(1869年 44歳) 7月藩主転封の故を以って刈田郡白石に移る○同月藩主旧領に復帰命ぜられる○盛岡藩庁より神祇職申し付けられる○12月権大属ごんだいぞくに任じられる。

明治3年(1870年 45歳) 2月大属に任じられる○10月上京する○伊能穎則を師として古学を学ぶ〇小中村清矩より塾長の属せられる。

明治5年(1872年 47歳) 2月7日神祇省13等申し付けられる○伊能穎則著日本史類名称訓にほんしるいめいしょうくんの次編を著す。

明治6年(1873年 48歳) 3月教部省より氷川神社権禰宣ごんねぎに任じられ、兼ねて少講義に任じられる。

明治7年(1874年 49歳) 1月教部省より権大講義に兼補される〇10月東京府荏原郡矢口村新田神祇詞官に任命される。

明治12年(1879年 54歳) 5月大講義に任命される。

明治29年(1896年 71歳) 菊廼屋70年賀歌集刊行○葬祭告詞集一冊刊行。

明治32年(1899年 74歳) 今様考一冊及び新撰正格今様歌集一冊刊行。

明治33年(1900年 75歳) 前年からの病患療養を尽くしたが癒えず、1月4日東京に於いて没す〇遺骨を盛岡報恩寺古塋に埋葬する。

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