第4話 兄と妹

 時は現代。

 蛇骨島は魔獣の村、コニウム。

「おじゃましま~す……」

 魔王の家に招かれたフィーネは、遠慮がちに挨拶をした。

「あはは。フィーネったら、まだ緊張してるの?」

「そういうわけじゃないけど……」

 言いながらも、ついつい視線は、アルテナのそばに立つ魔王に向いてしまう。

「……俺の顔になにかついているか」

「い、いえっ」

 ギルドナと目が合い、慌てて顔を背ける。

「大丈夫だよフィーネ。兄さんは、顔は怖いけど、本当は凄く優しい魔獣なんだから」

「アルテナ。余計な事を言うな」

「はーい」

 言いながらも、アルテナはこっそりとこちらを向いて、小さくを舌をだす。

 思わず笑いそうになるのを堪えていると、じっとこちらを見るギルドナに気づき、背筋を凍らせる。

「お前たち兄妹にした事を思えば、お前が俺を恐れるのも仕方のない話だ。恐れるなとは言わぬし、今更許しを乞うつもりもない。だが……」

 ギルドナの鋭い視線がふと丸みを帯びてアルテナを撫でた。

「あいつは俺とは違う。これからも仲良くしてやって欲しい」

 魔王の意外な姿に、フィーネは呆気に取られると、ついつい笑ってしまった。

「なにがおかしい」

「ご、ごめんなさい! その、アルテナの言う通りだと思ったので」

「……むぅ」

 ギルドナは、不機嫌そうに視線を逸らした。今のフィーネには不思議と、ただ照れているだけなのだと分かった。

「それでアルテナ。お兄ちゃんへのプレゼントなんだけど。良い案があるって言ってたよね?」

 だからこうして、蛇骨島までやってきたのだ。

「うん。折角だし、魔獣の品がいいなと思って。フィーネは、マジックキャッチャーって知ってる?」

「ううん。初めて聞いた」

「だよね。これは魔獣に伝わるお守りで、魔力の染みた枝で作った輪っかに、フングスの糸を張って、イゴマで見つかる珍しい石を通した後に、同じくイゴマで見つかる珍しい羽をぶら下げた物なんだけど。

 これを寝床の上にぶら下げておくと、寝ている間に流れてくる悪いエレメンタルが糸に捕まって、石の力で浄化され、羽を伝って寝ている人に流れてくるんだよ。そうすると、悪い夢を見なくなるし、朝も気持ちよく起きられるの」

「すごい! お兄ちゃん、お寝坊さんだから、きっと喜ぶよ!」

「えへへ。でしょでしょ?」

 得意げにアルテナが笑う。

「材料は、俺が取ってくる。お前たちは、ここでキノコウメ茶でも飲んでいろ」

 ギルドナはぶっきら棒に告げると、返事も聞かずに出て行こうとする。

「待ってください!」

 フィーネが呼び止めた。先ほどまでの恐れは、もうない。

「大事なお兄ちゃんのプレゼントだから。わたしも手伝いたいです!」

「作るのは、お前とアルテナに任せる。村の外には、危険な魔物もいる」

「でも……」

「お前にもしもの事があれば、俺はあいつに顔向けできん」

 ギルドナの目が、どこまでまっすぐフィーネを見つめる。優しさで言ってくれているのは分かるが、それでも、フィーネは納得できない。

「もう、兄さんってば心配しすぎ! あたしもついてるんだし、大丈夫だってば!」

 アルテナの快活さが、気まずい空気を吹き飛ばした。

「しかし……」

「じゃあ、こういうのはどう? フングスの糸とか、魔物の素材は兄さんに任せるから、わたし達はイゴマで石と羽と枝を取ってくる。魔物の気配がしたらすぐに逃げるから。これなら危なくないでしょ?」

「だが……」

「なに? 兄さんは、あたしの事が信用できないって言うの?」

 アルテナが、頬を膨らませてむくれて見せた。ギルドナは、何を考えているのか分からない、悲しいような、寂しいような、怒ったような、困ったような、いつも通りの仏頂面で妹を見返す。

 永遠に続くかのように思えたにらめっこは、アルテナの勝利に終わった。

「……好きにしろ。ただし、危険な真似はするなよ」

「大丈夫だって! あたしは兄さんの妹なんだよ?」

「危険な真似はするなと言った。約束できるか」

「はーい。わかりましたー」

 拗ねたようにアルテナが答えると、ギルドナの視線がフィーネに移る。

「見ての通りのじゃじゃ馬だ。もしもの時は、お前が歯止めになってくれ」

「は、はい!」

「頼んだぞ」

 それだけ言うと、ギルドナは出て行った。

「もう、兄さんってば、あたしの事になると異常に心配性になるんだから! イゴマなんか、村の子供達が遊び場にしてるくらいなのに。本当、やになっちゃう」

 むくれるアルテナを見て、フィーネが笑う。

「あ、酷いんだ!」

「ごめんね。でも、お兄ちゃんってどこも同じなんだって思ったらおかしくて」

「確かに、アルドもフィーネの事になると目の色変わるもんね。お陰で、あたし達も救われたんだけど」

「うん。お兄ちゃんには助けて貰ってばかりだから。少しでも、お礼がしたいなって」

「分かるよ、その気持ち。だから、凄い材料を集めて、立派なマジックキャッチャーを作ってあげよう。勿論、フィーネの分もね!」

「えへへ。ありがとう、アルテナ。あなたが親友でよかった」

「こっちのセリフ。それじゃ、いこっか」


 †

 

「思ってたよりあっさり集まっちゃったね」

 拍子抜けというようにフィーネが言う。

 イゴマの探索を始めて、ほとんど時間が経っていない。

「お守りに使うくらいだしね。ちゃんと探せばこんなもんだよ」

「そうなんだろうけど……」

 ふたりっきりの冒険を期待していたフィーネとしては、少し肩透かしだ。

「フィーネ。物足りないって思ってるでしょ」

「そんな事! ……なくは、ないかな」

「やっぱり。あたしもそう思ってたんだ」

 以心伝心。アルテナは嬉しそうにはにかんだ。

「マジックキャッチャーの材料になる珍しい石なんだけど、実は、物凄く珍しい石っていうのもあるの。名前の通り、物凄く珍しいから、もうちょっと奥の方に行かないとダメだけど。探してみる?」

「いいの?」

「そっちの方がお守りの力も強くなるし。どうせ贈るなら、特別な一品がいいじゃない!」

 誘うように言うと、アルテナがフィーネの顔を覗き込む。

「それにこれは、あたしからフィーネに贈るプレゼントでもあるんだし」

「アルテナ……」

「えへへ。じゃ、決まり?」

「でも、ギルドナさんとの約束が……」

 不安そうにフィーネが言うと、アルテナ不意に、わざとらしい仏頂面を作った。

「……好きにしろ。ただし、危険な真似はするなよ」

「それ、ギルドナさんの真似?」

「似てるでしょ?」

「うーん、あんまり」

「えー、結構自信あったんだけどなぁ?」

 首を傾げると、アルテナは言った。

「イゴマなんか、庭も同然だし。ちょっと遠くに行ったくらいじゃ、危ない事なんて起きないよ」

「んー……」

「何かあったら、あたしが守ってあげるし。二人なら、向かう所敵なしだよ!」

 はにかむと、アルテナは素早く弓を構え、矢をつがえて見せる。

「ね?」

 フィーネの心は揺れた。ギルドナとの約束を破るわけにはいかないが、アルテナに、意気地なしだと思われたくない。別に、ギルドナは危ないことをするなと言っただけで、遠くに行くなとは言わなかった。アルテナも、イゴマは危険ではないと言っているし、これくらいなら、約束を破る事にはならないように思う。

「うん!」

 答える声は、我知らず弾んでいた。アルテナと、二人だけの冒険。考えるだけで、ワクワクする。

「そうこなくっちゃ!」

 二人で手を繋ぎ、イゴマの奥へと進んでいく。


 †


「全然見つからないね」

「そりゃ、物凄く珍しい石だからね」

 当たり前だという風にアルテナが言う。

 イゴマの奥に進んで、かなり時間が経っていた。

「あんまり遅くなると、ギルドナさん、心配しないかな」

「あたしだって子供じゃないんだから、このくらい平気だよ。……多分」

「多分!?」

「兄さん、あたしに対しては過保護だから。もしもの時は、二人で一緒に怒られよう!」

「えぇ! ギルドナさんに怒られたら、わたし、泣いちゃうかも……」

「大丈夫だって。兄さん、女の人や子供には怒鳴ったりしないから。まぁ、それはそれで怖いんだけどね……」

「うぅ、早く見つからないかな……あれ?」

 不意にフィーネは足を止めた。

「どうしたの、フィーネ?」 

「なんか、あそこ、ピカピカしてない?」

 少し先の地面を指さす。しっとりと濡れた土の地面に、なにやら、淡く輝く綺麗な緑色の石ころが転がっている。

「すごいじゃないフィーネ! きっと、物凄く珍しい石よ!」

「あ、アルテナ!」

 フィーネを置いて、アルテナが駆けだした。

 石の所まで駆けていくと、ひょいと拾い上げようとする、が。

「あ、あれ?」

「どうしたの?」

「埋まってるみたい。ん、ん~!」

 三角形の石を、アルテナは持ちづらそうに引っ張るが、ビクともしない。

「大きいのかな?」

「だとしたら、大手柄だよ! みんなで分けて、沢山お守り作れるもん!」

 アルテナは興奮した様子で根本を掘る。やはり、大きな石のようで、三角形の下の部分が露出した。

「これは、手で掘ったくらいじゃどうにもならないわね」

「ギルドナさんを呼んできて、手伝ってもらう?」

「冗談。これくらい、あたし一人でなんとか出来るわよ!」

 挑むように言うと、アルテナは魔力を高め始めた。

「アルテナ!? なにするつもり!?」

「まぁ、見てなさいって! 土の精霊よ、あたしの願いを聞いて!」

 どうやら、土の精霊に呼び掛けて、巨大な石を直接持ち上げて貰うつもりらしい。

 アルテナの呼びかけに呼応するように、足元が揺れる。程なくして、物凄く珍しい石の塊は、その全貌を現した……のだが。

「なに、これ?」

 呆けた声でフィーネが言う。

 それは、三角錐の頭を持つ、奇妙な石像だった。

「……嘘、でしょ」

 隣のアルテナが、絶望色の声を震わせる。

「アルテナ? これが何か知って――」

「いいから逃げて!」

 アルテナが叫んだ。

「え?」

 突然の事に、フィーネは反応できない。

 なにかに呼応するように、石像が輝きだした。目を奪われるような美しい緑の光は、しかし、どうしようもなく見ている者を不安にさせる。程なくして、光はどす黒い闇色へと変わった。

「危ない!」

 見惚れていたというよりも、魅入られていた。指一本動かせずにいたフィーネの身体を、アルテナが体当たりで弾き飛ばす。直後、目覚めた魔導機甲の呪詛がアルテナを直撃する。

「あぁぁぁあああ!」

 獣のような悲鳴がイゴマの木々を揺らした。

「アルテナ!?」

 ゾッとして呼び掛ける。一見して怪我はないが、平気なようには見えない。黒い靄に包まれながら、アルテナは胸を掻きむしり、悲鳴をあげ続けている。

「嘘、嘘! アルテナ……わたしのせいだ!」

 自分がグズグズしていたせいで、アルテナが犠牲になった。わたしのせいだ、わたしの……。

 こみ上げる涙を堪えると、フィーネは必死に治癒魔法をアルテナに唱えた。

 なにをされたのかは分からないが、とにかく、助けないと!

 回復、治癒、解毒と、持ち得る限りの力をアルテナに注ぐ。しかし、効果はない。

「げ……て……フィ……ネ……あたしを……置いて……にげ……」

 アルテナは、食いしばった歯の奥で、どうにかそれだけを伝えてきた。

「出来るわけないでしょう!? 絶対に、あなたを見捨てたりなんかしないんだから!」

 こうなったら、背負ってでも逃げるしかない。そう思い手を伸ばすが。

「ひっ!?」

 黒い靄に触れた瞬間、フィーネは悲鳴をあげた。それは、燃え盛る炎のように熱く、触れるだけで身がすくむような激しい憎悪と怒り、そして底なしの絶望を湛えていた。

「どうしよう……どうしたら……」

 アルテナを癒す術はない。彼女を連れて逃げる事も出来ない。ここに置いて一人で逃げるなんて論外だ。では、自分に何が出来る?

 頭の中を真っ白にしていると、魔導機甲が動いた。古の殺戮兵器は、邪悪な魔力を胴体の眼のような意匠に集める。

 攻撃される。それだけは、フィーネにもわかった。

 出来る事は、ただ一つだ。

「だめ……にげ……て……」

 アルテナの悲痛な声に心を痛めながら、魔導機甲を前に、両手を広げて親友を庇う。

 無駄な事は分かっていた。

 けれど、こんな事しか自分には出来ない。

 ごめんなさい。

 最愛の兄の姿が脳裏に浮かぶ。

 魔導機甲の眼が破壊の光を打ち出す瞬間、フィーネは心の中で叫んだ。

 ー―助けて! お兄ちゃん!

 光が、全てを飲み込む。

 そのはずだった。

 痛みはない。

 苦しみもない。

 何の変化もない。

 恐る恐る、硬く閉じた瞼を開く。

 フィーネはそこに、愛する兄の姿を見た。

「おにい、ちゃん?」

「お前の兄ではない」

 ぶっきら棒な声が、困惑気味に答えた。

 そこには、絶望のつるぎを構えて魔導機甲と対峙するギルドナの姿があった。

「だが今は、あいつの代理ではある、か」

 皮肉っぽく呟く。面白がるような、自嘲するような声。

「ギルドナさん! アルテナが!」

「分かっている。だが、今は目の前のゴミを片付けるのが先だ」

 肩越しに言うと、ギルドナは魔導機甲に向き直った。

「魔導機甲。まだ残っていたとはな。目障りなゴミが、俺の妹に手を出した事を、後悔させてやる」

 フィーネの肌が泡立った。一瞬先までそこにいた、優しき魔獣の兄はどこにもいない。そこにいるのは、溢れんばかりの憤怒に煮える、絶望の魔王がただ一人。

 カチカチと、フィーネの歯が鳴った。正体不明の魔導機甲とやらよりも、今はただ、目の前の魔王が怖い。

 魔導機甲も、同じ事を思ったらしい。目標をギルドナへ変えると、即座にアルテナを苦しめる黒い靄を放った。

「ギルドナさん!?」

「温いな」

 呪術兵器の怨念に塗れた魔力を全身に浴びても、魔王は眉一つ動かさず、涼しい顔をしている。

「絶望なら、既に知っている。俺を倒したければ、あの男を連れてくる事だ」

 呟くと、ギルドナは獰猛な笑みを浮かべた。

「今度は、俺が勝つがな」

 そして、絶望が形をなした剣を贄へと向ける。

「貴様のような木偶は、敵ですらない。消え失せろ!」

 一閃。

 絶望の火が視界を焼いたかと思うと、後には、塵一つ残ってはいない。

 魔導機甲など、最初から存在しなかったかのように。

「すごい……」

 そんな言葉を言うのが、フィーネには精一杯だ。

「あ、あ、あ、あああああ!?」

 アルテナの悲鳴で我に返る。

「アルテナ!? ギルドナさん!」

「分かっている。魔導機甲の穢れた魔力を浴びたのだろう。アルテナの中では今、激しい怒りと絶望が吹き荒れて、その心を食いつぶそうとしている」

「そんな!? アルテナを助けるには、どうしたらいいんですか!?」

「何もしなくていい。どのみち、お前に出来る事などなにもない」

「そんな……」

 ギルドナの言葉に、フィーネはショックを受けた。涙が込み上げるのを、ぐっと堪える。

「そんな事、ない! わたしにも、出来る事があるはずです!」

 涙を拭うと、フィーネは叫んだ。

「アルテナ! 怒りや絶望に負けないで! あなたなら、きっと大丈夫だって、私は信じてるから!」

 アルテナの手を握り、必死に呼び掛ける。そうしているだけで、魔導機甲の呪詛が流れ込み、気が狂いそうになる。

 ――このくらいの苦しみ! アルテナは、もっと苦しいんだ!

 そう思えば、フィーネはいくらでも耐えられた。

「……ふん」

 そんなフィーネの姿を見て、ギルドナは深く溜息を吐いた。

「アルテナ。いつまで遊んでいるつもりだ」

「ギルドナさん? 遊んでるって、アルテナは、こんなにも苦しんでるのに!」

「お前は黙っていろ。俺達兄妹には、俺達のやり方がある」

 一蹴すると、ギルドナは続けた。

「お前は、俺の妹だろう。絶望すらも従えた、この魔王の。ならば、その程度の呪詛、自力で跳ね返して見せろ!」

「にぃ……さん……う、う、う……うゎああああああああああ!」

 ギルドナの鼓舞に、アルテナの中のエレメントが呼応する。

 憎悪、怒りでも、絶望でもない。美しく暖かな力が膨れ上がり、全てを洗い流すようにして迸る。

「アルテナ……」

 フィーネが呟く。荒い息をしているが、アルテナを包んでいた呪詛の靄はどこにもない。

「よくやった。それでこそ、俺の妹だ」

 誇らしげに、ギルドナが言う。

「えへへ……当然、でしょ」

 アルテナは、土気色の顔で精一杯の笑みを浮かべる。

「アルテナ!」

 感極まって、フィーネは親友に抱きついた。

「良かった……心配したんだから……」

「フィーネ……く、苦しいよ……」

「ご、ごめんなさい。安心したら、つい」

 アルテナに詫びると、フィーネはギルドナを向いた。

「ギルドナさんも、ごめんなさい。危ない事はしないって約束したのに」

 特にフィーネは、もしもの時は歯止めになるよう頼まれていた。これでは、彼に怒られても仕方がない。

「そんな顔をさせる為に助けたわけじゃない」

 予想に反して、ギルドナの声は優しかった。

「え? 怒ってないんですか?」

「……イゴマは、俺達の庭みたいなものだ。そこで危険な目にあったと言うのなら、責められるべきはむしろ、この島を統べる俺の方だろう」

「そんな事ないです! ギルドナさんは、私の事、助けてくれたのに……」

「借りを返しただけだ」

 ぶっきら棒に告げると、背を向ける。

 思い出したようにギルドナは、背中越しに告げた。

「だが、これだけは言っておく。俺にとってアルテナがそうであるように。お前も、あの男にとって、己の命よりも大切な、かけがえのない存在だ。あの男を悲しませたくなければ、二度と、命を危険にさらすような真似はするな」

 アルテナを庇った事を言っているのだろう。確かに、ギルドナの言う通りだった。非力な自分では、盾にもならない。ただの無駄死にだ。

「…………」

 それでも、はいと答える事は出来なかった。同じような事が起きれば、きっと自分は、何度でも、親友の為に身を差し出すだろう。

 不穏な沈黙を破ったのは、ギルドナだった。

 不愉快そうに鼻を鳴らすと、ぼそりと呟く。

「あの男の妹なだけはある、か」

 そして、言うのだった。

「アルテナを庇ってくれた事。兄として、心から礼を言う。お前のような友がいて、妹は幸せ者だ」

「ギルドナさん……」

「兄さんが人間に礼を言うなんて。これは、明日は雪になるかも?」

「アルテナ……」

 呻るように、ギルドナが咎める。その程度で済むのだから、さしもの魔王も、妹には甘いのだろう。

「えへへ。でも、兄さんなら、きっと助けに来てくれるって信じてたよ」

「少しは反省しろ。この、じゃじゃ馬が」

「はーい」

 と、気のない返事で答える。はたから見ているとひやひやするが、それがこの兄妹の、本来の距離感なのだろう。

「でも、ギルドナさん、どうしてここがわかったんですか?」

 それが謎だった。助けに来るタイミングが、あまりにもよすぎる。

「愚問だな。兄という生き物は、妹の身に危険が迫れば、何処にいようが駆けつけるものだ」

 当然のようにギルドナは言う。

 なるほどと、フィーネは納得する。

 そうやって兄も、自分の事を助けてくれた。

 そんな風に考える単純なフィーネに、悪戯好きの魔獣の娘がそっと耳打ちをした。

「絶対違うよ。兄さんってば、あたしの事が心配で、こっそろ後をつけてたに決まってるんだから」

「聞こえているぞ」

 ぼそりと、強面の兄が呟く。

「そういえば、そこの茂みで物凄く珍しい石を見つけたんだよね! 早く帰って、マジックキャッチャーを作らなきゃ!」

 聞こえないふりをして、アルテナはフィーネの手を引く。

「う、うん。ギルドナさん! ありがとうございました!」

 アルテナに手を引かれながら、心からの感謝をフィーネが告げる。

 一人残された兄は、何度目かの深い溜息を足元に溢し、二人の後を追った。

「まったく。妹という奴は」


 †


 一方、夢見の巫女の祈りにより、異界の勇者として、異世界スペキオールに召喚されたアルドは。

 星の力を悪用し、全てを消し去ろうとする絶望の魔女、ラサとの最終決戦を迎えていた。

「ここまでのようね。異界の勇者アルド。時を操る魔剣を使うようだけど、その程度の力では、星骸躯を得たあたしを傷つける事は出来ないわよ」

 星の命を吸い上げる異形の装置の中で、人の姿を捨てた魔女の成れの果てが狂ったように笑う。

 アルドは死力を尽くしたが、星の命を帯びた星骸躯の赤い装甲を破る事は出来ずにいた。

 状況は、万事休す。

 それでも、彼の眼に、絶望の色はない。

「諦めないぞ。この世界に生きる全ての生命と、星の命を救う為。ラサ! お前を倒す! そして、元の世界に帰って、フィーネの誕生日を祝うんだ!」

 立ち上がり、剣を構える。

 オーガベインは、使えてもあと一度。

 残されたチャンスを生かすには、どうにかして、鉄壁の装甲を破る方法を見つけないと。

 その時、ふと、アルドは胸元が熱くなっている事に気づいた。

「これは……あの騎士がくれた、魔除けのナイフか?」

 鞘から引き抜くと、赤い刀身が白熱し、眩い程に輝いている。

 その姿はまるで、目の前の星骸躯の装甲のように……。

「それは、あかき石の短剣! どうしてあなたが!?」

「その慌てよう。なんだか知らないけど、このナイフはお前に効くみたいだな! 行くぞオーガベイン! もうひと踏ん張りだ!」

「ふん。オーガ使いの荒い奴め。愚かな魔女よ。このお人よしを敵に回した事を後悔するんだな」

 そして時が凍る。

 停止した時間の中で、深紅のナイフが星骸躯の装甲を穿つ。

「やったぞ!」

「だが、この力の奔流……ナイフの力と星骸躯の力が混ざりあって、爆発するかもしれぬな」

「なんだって!」

「時間だアルド。時が動くぞ」

「ぎゃあああああああああああ!」

 天空神殿に魔女の断末魔が響き渡る。

 星骸躯の胸が、深々と刺さったあかき石の短剣を中心にひび割れ、内側に向かってめくれ上がる。ぱっくりと開いた胸部には、青々とした時空の穴が広がっている。

「どうするアルド。ここで魔女と心中するか、一か八か飛び込んでみるか」

「そんなの、決まってるだろ!」

 がらがらと瓦礫が降り注ぐ中、間一髪、アルドは時空の穴に身を投げた。

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