長い長い手が触れる

 数日後、訪問者があった。

「ヤマダトウキチさんですか? 」

 民生委員だというその中年の男女は、復員兵の社会復帰状況の確認と、必要なら援助、助言を行うためにきたのだという。

 地域の民生委員ならトウキチは知っている。引っ越して早々に訪問を受けているし、親身に地域にとけ込む手助けをしてくれた。それとは別人だし、雰囲気も違う。

 来たな、とトウキチは思った。ただ、「本物」の言ったこともどこまで信じていいのかわからないので、それ以上気負うことも身構えることもしなかった。

「おかげさまでうまくいってますよ。仕事も安定しそうです」

「それはよかった。ところで、少し確認したいことがありますのであがってもよろしいでしょうか? 」

「確認したいこと、とは? 」

「あなたは人格再構成刑による更正者ですね? 」

「そんな質問を受けるいわれはないと思いますが? 」

「ははは、これは失礼しました」

 男のほうが笑うが、目は笑っていない。女のほうが何やら身分証明を見せた。特務警察のそこそこえらい身分のものだ。政治犯、思想犯を取り締まり、国家の戦争に人的資源を集約させるためにはなんでもやる法務機関であり、戦争の終結によって役割を終えたはずである。

「驚いた、まだそれがあるとは知らなかった」

「戦争中、悪い意味で目立っていたのでそう思っている人が多いようですが、私どもの部署は法の適正な運用を監視する機関としてずっと存続していました」

 女の口調は堅苦しい。

「再構成刑が適正に運用されたか、そしてその成果がどうであるかを確かめることもその職務とご理解いただきたい」

「あなたと同じ名前の受刑者がいることは確認済みです」

 男のほうは口調が柔らかい。が、目は決して笑わない。女のほうが一歩譲っているように見えるところといい、こちらは身分証明を見せないところといい、厄介なのはこちらのほうだとわかる。

「なので、まずはそれを確認いたした次第です。先ほどの質問に答えていただけますかな」

 しらを切っても無駄だと知れた。

「ここで答えたことは、他にもらさないと約束していただけますか? 」

 二人は顔を見合わせてうなずいた。

「公にする文書では名前も伏せるし、今の職場の人間にももらしません。それでよいですか? 」

「ならば、答えははいです。すっかり忘れていた過去ですよ」

「回答、感謝します」

 男はかばんから分厚い封筒を取り出し、中身をすっとさしだした。

 それはトウキチについての調査報告だった。詳細な報告の冒頭に概要をまとめたものがある。

 期間としては出所してから出征するまでのものらしい。

「あなたのことですね? 」

 トウキチはいやそうな顔でうなずいた。

「どうも。軍務のおかげで、消息の怪しい人が多くてこまります」

 そして二人は彼の顔をじっと見た。

「ではまちがいないということで、一つ確認させていただきたいことがあります。遺伝子検査に応じていただけますか? 」

「なぜ? 」

「応じていただけるならお話します。実はもう結果はだしています。合意をいただければ公式の資料にしますが、いただけないなら秘密裏に処分します。もちろんあなたにも教えません」

 処分、という言葉に嫌な響きがあった。処分するのは資料だけなのか。トウキチはぞくっとする。

 それでも一つくらいいっておきたかった。

「そういう『もう調べました』という話はあといくつあるんですか」

「これで最後です」

 男の声は信用できない響きを帯びていたが、もうトウキチに選択肢はないと思えた。

 「本物」の話が本当なら、この二人は危険なほうの調査員ということになる。

 ここは従っておくしかないだろう。

「わかりました。承諾しましょう」

「では承諾書にサインを」

 手際よく女がボールペンつきのクリップボードを出して差し出した。実に用意がいい。

 彼は署名した。苦笑いの一つも浮かべるところだったのだろう。だが、この追いつめられている実感に彼の笑いは枯渇していた、

「さて、トウキチさん」

 サインを確認して男が微笑んだ。猛禽の笑みだ。

「あなたは再構成刑を受ける前のことをおぼえていないはずです。開戦前の面談記録にもそれが書かれています。戦争はつらい体験だったと思いますが、何か思い出しましたか? 」

「いや、なにも。その日その日で精一杯だった」

 嘘ではないが、この二人が踏み込んでくるであろう事実に対する防衛線でもあった。

 彼らは「本物」と彼の接触まで把握してるのだろうか。

「そうですか」

 相変わらず男の目だけは笑っていなかった。

「では、これから過去にさかのぼりつついろいろ質問をさせていただきます。答えてください」

「なぜそんなことを? 」

「あなた、遺伝子的には収監されたときのトウキチさんではないんですよ。いついれかわったんです? 」

 大変なことをなにげなく言われてトウキチは目をむいた。

「どういうことです」

「あなたは誰かときいているのです。知らないとはいわせません」

 そう問われても答えるすべなどない。ならば、聞くしか無い。

「遺伝子的には誰ということになってるんです? あなたがたのことだ。当然調べているでしょう。しかし私にはトウキチという受刑者としてはじまった記憶しかないんです」

 男はぎろっとトウキチを睨んだ。トウキチはわななきながらも逃げ場のないものの決然さでこれを見返した。

 数秒、彼らはにらみ合った。数秒とは思えない長さだった。

「どうやら、本当に知らないようだ。しかし、不思議なこともあるものだ」

 男は相方をちらっとみた。

「こんなケースはあるのかね? 」

「生活常識や言語を身につけている時点で、それを習得する過程の記憶はどこかで蘇ってくるものなのですが」

 女は携帯端末を開いて記録を調べる。

「処置を行ったとされる医師は戦争で死んでますね。記録では刑の執行が決まって二ヶ月かけて一度の処置を実施したとされています。これだと記憶は十分回復します」

「ふむ、すると記録か本人かどちらかが嘘を言ってることになる」

 男はトウキチをもう一度見た。

「私が信じても、他は信じないだろう。処置直後のことで、何か覚えてることはありませんか? 」

 そこで、トウキチは何年も前にアカネにした話を思い出した。

 確か、彼の処置をした脳神経科医はこういわなかったか?

「何度も失敗した」

 と。

「ありえる話です」

 女がうなずいた。

「何度も人格を作っては破壊していると、その体験が重なって元がわからなくなります。それでもモニターしつつ、専門医が連想試験を半年から一年やれば分析はできるんですが、本人が自力で思い出すのはまず無理でしょう」

「ふむ、その医師の顔は覚えていますか? 」

「見たら思い出すかも、という程度ですが」

「では、ご足労ねがえますか」

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