復興の闇に本物は消えた

 復員したトウキチは、新しい生活を始めた。

 アカネと暮らしていた家は爆撃できれいになくなっていたので、復員兵にも貸与してもらえる仮設住宅を借り、最低限の道具だけ買い足し、仕事を探した。ぜいたくを言わなければ、仕事はいくらでもあった。軍隊で習い覚えたことの中にはこういう時に役に立つことも多かった。おかげで臨時仕事でもしばしば呼んでくれるところができたし、収入は安定していないが生活に困ることは免れた。

 アカネとは音信不通のままだった。あちらも引っ越したりしたせいらしい。

 いつの時代でもそうだが、世間は復員兵に冷たい。ついこの間まで殺し合いをやっていて、壊すのも殺すのも平気でやっていた連中である。恐れとともに、まっとうな市民とは思えないとしてもおかしなことはない。

 まるで前科者だな、と彼は苦笑した。彼は前科者で復員兵である。これ以上ないくらい冷遇される立場だろう。

 実際やくざまがいの仕事をやって、景気のいい復員兵も大勢いたし、彼がさそわれたこともあった。彼からすれば、長続きしそうにない景気で、命の危険がいつまたあるかわからない仕事は少しも魅力的には思えなかった。

 ざわざわした世間には犯罪が横行していた。少年犯罪も多かったし、凶悪犯罪も珍しくもなかった。政府は軍事動員法は廃止しており、暫定的に少年犯罪も成人犯罪と同じに処理されることになっていたため、刑務所に収監されたり、死刑にされていた。

 「本物」がやってきたのはそんな矢先だった。

「ひさしぶり。ちょっといいか? 」

 不意に玄関のベルをならして、そんなことを言うのである。

 音信不通ならアカネもこの男も変わらなかったはずなのに、なぜ尋ね当ててきたのだろう。着ているのはやくざ風とはいえないなかなか仕立てのいい背広だ。

 いぶかしむトウキチを、「本物」は近くの居酒屋に誘った。居酒屋といっても、仮設住宅を利用したしろうと居酒屋である。

 まだ日も高いのに、日銭仕事にあぶれた連中があつまっていてほぼ満席だ。背広をきた連中もそこかしこにいて「本物」が浮き上がることもない。セルフでビールを抜き、現金引き換えでもつ煮込みを受け取ってつつきながら彼らは久闊を叙した。

「実はこれから外国へ一旗あげにいくんだ」

 渡された名刺には貿易商の肩書きがあった。住所は国内だ。たぶんそこはもう引き上げ済みなのだろう、とトウキチは直感した。

「帰ってくるのか? 」

「さあな」

 「本物」はにやりと不適に笑った。

「先のことはわかんねえ。だから面白いんじゃねえか」

 そしてそこで声をひそめた。肝心の話をする顔だった。

「政府が人格再構成刑の受刑者を探しているらしい」

「へえ、なんでいまごろ」

「また復活させるかどうか、判断したいんだろうな。気に入らないのは、さがしてる政府の連中に二種類いるということだ」

「管轄争いかなにかかい」

「そういうわかりやすい話じゃあない。片方はのんきな連中だが、もう一方は裏の筋も平気で使ってくるやばい連中だ。やばいほうに見つかった場合、行方不明になったやつもいる。不都合な事実が多々あるのだろうよ」

「あんたがいて、なんで俺がいるか、とかか」

「そうだ。俺たちはやばいケースだ」

「まあ、不正のにおいしかしないね」

「そういうわけで俺はとんずらする。ついでに金持ちになってみせるさ。おめえもとっとと逃げたほうがいいぜ」

「いや、逃げはしない」

 トウキチはかぶりをふった。

「このまんまじゃ、とっつかまるぞ」

「俺はあんたほど目端がきかないしな。それに、あんたが逃げるならなおのこと、俺は逃げないほうがいいと思う」

「そう来るか」

 舌打ちしてから「本物」は破顔一笑した。

「わかった。おまえはトウキチをやれ。俺はなりたかった俺になる」

「あんたは、それでいいのか? 」

「俺の過去は消えやしねえが、そこから解放されてるってのは悪いもんじゃないぜ。俺のかわりを俺よりちゃんとやってくれる物好きがいてくれてうれしいよ」

 アカネのことか、トウキチはぴんときた。

「あんた、こうなると読んできただろう」

「わかるか。やっぱりすみにおけないな」

「油断ならんお人だな。あんたは」

「そういうわけで、今日からトウキチはお前一人だ」

「わざわざそれを言いに? 」

「そう、口止めにな。おめえが知らぬ存ぜぬなら俺にも追手はかからないし、おめえが面白くない目にあうこともない」

 なるほどね、とトウキチは得心した。

「わかった。いまから俺もあんたもお互いのことは知らない」

「それでいい。助かるぜ」

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