嵐は壊し、暴露する。ただし不完全に

 国境の争いはついに戦争に拡大した。

 報道は景気のいい戦果を大々的にうたい、褒賞される英雄が次々生まれてインタビューをうけていた。それだけ聞けば、戦況は圧倒的に見えたが、地図の上で前線はほとんど前進せず、時々相手に押し返されることもあった。

 アカネは卒業し、就職が決まった。政府の都市行政の研究機関である。トウキチは彼女に真新しい靴を贈った。精一杯のお祝いだった。

 やがて、政府は徴兵を発令した。扶養家族のいない、健康な男性から呼び出しがあり、応じなければ逮捕され犯罪者として前線に送り込まれることになった。まっさきに逮捕され、前線に送り込まれたのは反対運動をしていた市民団体だった。彼らがどうなったかはわからない。

 トウキチは、ちょうど扶養家族がいなくなったところである。すぐにも徴兵されるかとびくびくしていたし、会社も職場から徴兵者を出すと補償や優遇があるので彼をとめおいていた。暇の多くなった彼は、寂しさもあって資格をさらに取り、いずれ解雇されることを考えて仕事を探した。

「なるほど、人格再構成を受けていまでは別人ですか」

 採用担当者の三人に二人はそんなことを言う。そのうちの半分は一片たりとも信じていない口調であり、残りは自分の上司にどう思われるかを警戒していた。条件が同じ人がほかにいれば、彼をわざわざ採る理由もない。だんだんにトウキチは以前の自分を憎むようになってきた。アカネとくらしていたせいもあるのかも知れない。

 結局、彼のもとにも召集は来た。軍規と賞罰、装備の用法、衛生安全の心得、演習といった二週間ほどの速成訓練をうけ、彼は前線に向かった。

 一緒のほろつきトラックにのっているのは、年齢もまちまち、風貌もまちまち、制服も体にあってない人も多いいかにも素人くさそうな新兵ばかりだ。ずっと若い軍曹に睨まれたり、時には殴られたりもするがその目を盗んでのひそひそ話が絶えない。内容はまちまちだが、要約すればいつ家に帰れるかというそんな話ばかりだ。私物の携帯端末をいじっている者も多い。外は半壊した建物や、踏み荒らされた畑、まだ煙を吹く車両など彼らの日常からかけ離れたものになっているのに、電波が届いているということに彼は驚いた。

 異変は不意に訪れた。先導車のほうで爆発音がして、トラックが急停止した。豆をいるような遠い銃声が聞こえて、新兵の一人が悲鳴をあげた。肩がべっとり赤くそまっている。医者、医者と叫びながらその男は制止をふりきってトラックを飛び降り、どこかけへ駈けて行った。軍曹が拳銃を抜いて止めようとしたが、次のケガ人と、ものも言わずに倒れる者が出てそれどころではないと思い直した。

「降りて展開。訓練でやった通りにしろ」

 彼自身もおそらく訓練でしかやってないことを命令、拳銃でほかの者たちを脅す。

 またケガ人が出て、このままでは危ないと思った新兵たちは、先を争うように荷台から飛び降りた。

 そこに、弾丸が大量に降ってきた。あるいはものいわず、あるいは踏みつぶされる蛙のような声をあげ、飛び出した兵たちはばたばたとくずおれた。切り裂かれた肉体からあがる血潮の湯気がたちこめ、胸が悪くなる。

「途切れたら、飛び出してうってきたのと反対のかげにとびこめ。すぐ伏せるんだ」

 残った数人の誰かがそういう。もっともだと思ったトウキチは彼と、ほか一人とともに射撃が途切れたとおもった瞬間に飛び出し、つんのめるようにトラックのかげに飛び込んだ。

 反対から飛んできた弾丸がトウキチのわずかに上をかすめた。伏せてなければ危うかった。

 もたもたしてる暇はなく、そちらからも遮蔽の取れる位置に急ぎ這う。

 軍曹と何人かが乗ったままのトラックが炎上した。ロケット弾を受けたらしい。

 隊列は完全に阿鼻叫喚の中にあった。そこら中に人間の身体やその一部が散乱し、糞尿と血と臓物の臭いがしていた。雄叫びをあげながらやみくもに射撃している者も何人かいたが、だんだんに減って行く。

 やがて、あたりは静まり返った。車両と死体の燃える不愉快な音だけが聞こえた。

「おおい、生存者はいるか? 」

 そんな声をあげる者がいる。救護班をつれた一個分隊ほどの兵の姿があった。敵ではないが、隊列にいた新兵ではない。

 トウキチ以下何人かがそこかしこでよろよろ立ち上がり、ショックさめやらぬ目で彼らを迎えた。

「お、思ったより残ってるな」

 百人以上いたのが、十人以下になったというのに、その一隊を率いる下士官はそんなことを言うのである。

「ようしおまえら、全員集合。下士官は生き残ってるか? 士官はいるか? いねえか。だらしねえな」

 よろよろと集まったトウキチたち生き残りが集まると、くたびれた軍服を少し着崩したその下士官は一人づつの顔を見てにやりと笑った。

「まあ、ちっとはカンのいいやつがこれだけいてうれしいぜ。これからおめえらはうちの部隊に編入する。銃と弾薬を一人前ちゃんともて。死んじまった連中のことは忘れろ。どうせ囮くらいにしか役にたてねえ連中だ」

 伍長、と下士官は上級兵を呼んだ。無表情な痩せた兵士が進み出る。

「こいつらの面倒を見てくれ。ショックで呆然としてやがる。格好だけもらしくさせて、しゃんとさせてやんな」

 そしてトウキチの腕をむずとつかんだ。

「俺はこいつの面倒を見る。なに、ちょっとした知り合いだ」

 ショックで呆然としていたトウキチは下士官の顔を見た。知らない顔だが、何か親しみがある風情。

「よう兄弟。直にあうのは初めてだな。驚いたぜ」

 下士官は落ちている銃を拾い上げ、動作を確かめて投げ捨てた。

「けっ、こわれてやがる。おめえもさがせ。初回は見逃すが、次から銃を置き忘れるようなら敵陣に取りにいってもらうぞ」

「あんたは、誰だ」

 トウキチはのろのろ別の銃を拾い上げて訓練された通りに点検した。大丈夫そうだ。

「俺はおめえさ。おめえに表向きのすべてを譲って軍隊がすべてになった男だ」

「どういうことだ」

 トウキチは気づいた。この男は自分に似ている。整形で印象を変えているが、少なくとも従兄弟程度には似ている。

「俺がオリジナルのトウキチさ。頭は少しいじられたみたいだが、記憶はきっちり持ってるぜ」

「まて、それじゃ俺は誰なんだ」

「知ったことかい。記憶なんてさすがに移植できるわけではないし、俺は自分で思い出したのだから、俺が本物だ。一家殺しの凶悪犯。改悛なんてあり得ない悪党のトウキチさ。おまえはすり替えるためにどっかから連れてこられて整形された替え玉だよ」

 下士官はトウキチの装備を検め、まあいいだろうと言った。

「アカネは元気にしてるか? 立派なビッチになったんだろうな」

「大学を出て、就職したよ」

 下士官は目を見開いた。

「へえ、そりゃあ驚いた。へえ」

 下士官は動揺を隠せなかった。

「あいつがどうやって大学なんかいったんだ」

「自力で」

 動揺がおさまり、落ち着きがもどってくるのをトウキチは感じていた。周りの胸の悪くなる非日常は変わらないが、それがなんだというのか。

「そうか」

 下士官はぺっと唾をはいた。

「ま、戦争が終わったら会いにいくか。たった一人の肉親様だ」

 会いにいってどうするつもりなのか、トウキチはむかむかするものを感じた。こいつは本当のろくでなしだ。確かに、自分とは違う。

 確かに、自分と違うが、とトウキチはこみ上げてくる感情に戸惑った。

(俺はトウキチという人間を憎んでいたのはずだ)

 だが、なぜその偽物だということに不安を感じ、この本物の存在を憎むのか。

「ようしきけ、おまえら。まず覚えることは、使えるものは全部使うということだ」

 生き残った新兵たちは、死んだ仲間たちから靴や食料、弾薬を集めさせられた。所持金や貴重品を取るのはさすがにちょっと遠慮していると、下士官と伍長が手際良く手分けして全部とりあげてしまった。

「えらいとこにきてしもた」

 他の誰かがつぶやくのが聞こえた。

 移動のときに彼らが気づいたのは、部隊が壊滅したまわりに、違う軍服を着た死体が見慣れぬ装備を手に多数散乱していることだった。彼らの武器や食料も他の兵たちによって奪われた後で、それがどうやら襲撃してきた敵の末路らしいと知れた。

 つまり、この下士官の属する部隊は、トウキチたち新兵の車列をおとりにしたのだ。

「なんちゅうことを」

 誰かがいった。

 トウキチも同感だった。

 本物のトウキチだという下士官は平然としていた。

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