第13話 スノーグローブ
「失礼だとは思ったのですが、人がいらっしゃるのではないかと、お部屋をいくつか拝見させてもらいました。どれも素敵なお部屋で、子供が喜びそうなところだと思いましたよ」
エドワードがそういうと、老人は微笑んだ。
「自慢の別荘だから、そう言ってくれて嬉しいよ。ここに来て喜んでくれる者は、もういないからね」
「なぜです?」
私は聞いた。
「どうして誰も来なくなってしまったのですか? こんなに素敵な場所なのに」
すると老人は悲しげな声で言った。
「可愛い奥さん、こんな不便な土地に誰が好んで来るかね。今の時代、すぐ近くにお店があって、なんでも買うことができる方がいいのだよ。便利なものも、おいしいものもなんでもすぐに手に入る方がいい」
「でも、おじいさんはここにいます」
老人は力なく微笑んだ。
「私はここが好きだからね」
「ですが一人でいるなんて。寂しくないのですか?」
「ああ」
老人は遠くを見るように目を細めた。
「とても寂しいよ」
「……」
「ある時までは私の息子達も親戚も来ていたんだ。だけど、それが少しずつ減っていってね。随分前にもう私と妻以外は来なくなってしまった。そして二年前までは妻とともに来て、毎年掃除もして、質素ながらも料理とプレゼントも用意していたんだ。子どもたちのためのプレゼントと、私の妻のためのをね」
「渡せないのに?」
私はそう言ってから、聞いてはいけないことを聞いてしまったと後悔した。そんなことはこの老人だって分かっている。分かっているけど、そうせずにはいられなかったのだ。彼は力なく笑う。
「ああ。でもマリアにはあげたよ。一年に一度のプレゼントをね」
マリアとはきっと彼の奥さんの名前なのだろう。感慨深くなったのか、彼は自分の妻の名前を愛おしそうに呼んだ。
「あの……失礼ですが奥様は?」
「二年前」という言葉が気がかりだった。そして、彼が答える言葉は予想するには簡単であった。
「亡くなったよ」
「……そうですか」
「微笑んで天国に行ってしまった。それからだね。私ももう歳だから、ここで人生を終えようと思ったのは」
彼は立ち上がると、ゆっくりとおぼつかない足取りで窓のほうへと歩いた。そのとき彼の手に握られているものがなんなのか、ようやく分かった。スノーグローブだ。それもオルゴール付きの。
「何を考えているんです?」
エドワードが言った。
それは私も聞きたい。
彼は本当にここの所有者だったのだろう。だが政府が確認したところでは、もうすでにこの別荘の持ち主はいないことになっている。こんなに愛おしくこの建物を想っているのに、なぜ手放したのかが気がかりだった。
「私はここで人生を終えようと思っているんだ」
そして彼は、スノーグローブについている薇をまいた。そこから音楽が流れる。
「アヴェ・マリアだよ」
オルゴールだった。彼はそれを優しく撫でる。
「妻が好きだった曲なんだ」
ぽろん、ぽろんと優しい音が聞こえる。大きいオルゴールほど長いメロディーではないし、音質も高音域ばかりなのだが、不思議と落ち着きのある音色なのだ。私は目を細め、彼のそばにいた彼の妻を想像していた。
「クリスマスの日に必ず僕がピアノで演奏をしてあげていたんだけど、年に一度ここでしか弾かないものだから、いつの間にか鍵盤を押す力が弱くなってしまってね。だから代わりにこのオルゴールを贈ったんだけど、返されてしまった」
老人は力なく笑った。私はそれを見ながら、彼の人生はマリアという妻がいてこそ一つのしっかりしたものだったのではないか、と思った。今見る彼は優しいが、力強さに欠けているように見える。
「きっと今でも、奥様がおじいさんを見ていてくださっています」
勇気づけるように言ったつもりだった。
「ありがとう」
すると老人は私の傍に寄ると、しわくちゃの手で私の手を取った。
「私はもう長くない。だから、これを持って行っておくれ」
彼は私の手にスノーグローブのオルゴールをそっとのせる。
「ここで会ったのも何かの縁だ。君たち家族に幸せが来ることを祈って……」
「でも、これは、とても大切なものなんじゃ……」
「いいんだ。私がいなくなった後捨てられてしまうより、誰かに持っていてもらった方が嬉しいから」
そう言われたら、受け取らないわけにはいかないではないか。
「……分かりました。大切にします」
すると老人は満足そうに頷いた。
「ありがとう」
「あの、それでお聞きしたいことが――」
私が老人の名前を聞こうとした時だった。通信を切っていたトランシーバーのバイブ機能が震え出した。
「どうした?」
エドワードは私に聞いた。
「緊急みたい」
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