君という名のミステリー

針間有年

君という名のミステリー

 ずっと放置している謎がある。

 僕は教室の窓辺に目をやった。

 白いカーディガンの似合う、ショートヘアのおとなしそうな女の子。ほら、また目が合った。

 彼女は佐久間里穂さくまりほ

 やたらと目が合う彼女の存在。それはミステリー。


 僕、水城明人みずしろあきとには探偵というあだ名がついている。

 高校一年の秋にもらったあだ名だから、もう丸一年か。

 友人の玉川がなくしたノートを見つけたのがきっかけだった。

 そのノートは玉川が所属しているバスケ部の記録ノートで、とても大切なものだった。彼はそれをなくし、先輩から大目玉を喰らい、ノイローゼ気味になっていた。

 僕はそんな玉川を見ていられず、なくなったノートの探索に挑んだ。

 結論から言うと、それは彼を叱り飛ばした先輩の自作自演だった。一年生でありながらエース級の実力を持つ玉川に嫉妬したのだ。

 僕がそのことを言い当てると、その先輩は顔を真っ青にさせ、玉川に平謝りをした。そして、ノートは無事に返ってきた。

 そんな先輩のことなんて見捨ててしまえばいいのに、玉川は優しく、先輩の罪を告白しなかった。ただ、水城がノートを見つけてくれた、それだけを級友たちに伝えた。

 その日から僕はクラスの探偵となる。

 皆様々なことを僕に尋ねる。僕はその謎を一つ一つ解いていった。

 謎を解くのは好きだから、皆がそうやって何かしら事件を運んできてくれる、そんな日常は刺激的で楽しい。だけど、探偵と呼ばれるのはむずがゆい。

 だって僕は、人よりもただ少し人間観察が好きで、ただ少し感情を介さず事実を見るのが得意なだけなのだから。


 チャイムが鳴った。眠い古典の授業が終わる。僕は目覚ましに廊下に出た。

「水城」

 隣のクラスから出てきた担任の吉原先生に声をかけられる。

「今回の模擬テスト、少し成績が落ちたようだが、何かあったのか?」

「いえ、特に」

 僕は自分でもびっくりするくらいそっけない声で答えた。吉原先生は苦虫を噛み締めたような顔をしたが、その表情は一瞬でいつもの好青年な笑顔に戻る。

「何か困ったことがあれば言ってくれよな」

「はい」

 吉原先生に背を向け、僕は教室に戻り、席に着く。

 困ったこと。それは吉原先生のことくらいだ。あの日からやたらと僕に話しかけてくる。別に言いふらしもしないのに。

 また、窓際の佐久間さんと目が合った。

 誰にも言いふらしやしないって。


 一か月前のことだ。

 視聴覚室に忘れ物をしたのに気づき、職員室に行った。事情を話すと、鍵を貸してくれるという。だが、鍵はなかった。事務の先生が首を傾げた。

 誰かが使っているのかもしれない。そう言われたので、僕は部屋に向かった。

 通常教室とは別棟にある視聴覚室。廊下には人気ひとけがない。

 視聴覚室の電気はついていなかった。だけど部屋からは小さな声が聞こえた。

「里穂」

 それは吉原先生の声で、里穂というのは佐久間さんの下の名前だった。

「愛しているよ」

 僕は仰天してしまった。

 確かに吉原先生は佐久間さんをひいきしているとは思っていた。この間の二者面談、僕の前は佐久間さんだった。佐久間さんと吉原先生の面談はやたら長く、うんざりするほど待たされたのは記憶に新しい。

 そういったことを考え始めると、いろいろなことが思い起こされた。

 吉原先生が佐久間さんに向ける視線、目線を逸らす佐久間さん。

 教室の入口、四角い窓を覗き込む。

 佐久間さんは胸の前で両手を組み、まるで祈るかのような格好で吉原先生を見上げていた。

 僕は得も言えぬ感情を覚えた。体の中で何かが燃えたぎるような。

 扉を開く。佐久間さんと吉原先生の顔が僕に向いた。

「忘れ物を取りに来ました」

 言い訳がましい言葉に聞こえたが、そう言う他なかった。

 二人は言葉を発することすらできなかったらしい。僕はため息をつき、そっけなく言った。

「誰にも言いませんから」

 その時の佐久間さんの顔が忘れられない。怯えた目をしていた。

 吉原先生とのことがばれて怖いんだね。

 僕は苛立った。なぜかは知らないけど。

 

 七時間目が終わる。ようやく帰ることが出来る。学校にいるとどうしてもあのことを思い出してしまう。

 僕は緩慢な動きで、荷物をまとめた。こんな日はだらだらとゲームをするに限る。

 廊下で吉原先生と佐久間さんが話していた。佐久間さんは胸の高さで手を組んでいた。彼女の目が僕に向いた。また、にらんできた。

 言わないって。

 僕はそれを無視し、背を向けた。前はあんな表情で見られることはなかったのに。

 なぜだろう。僕の心はかき乱される。不思議でたまらないのだ。

 佐久間さんと初めて話したのは去年の冬だった。

 それは僕が探偵と呼ばれ始めた頃で、皆が続々と僕に謎を持ってくるようになった頃。

 佐久間さんも僕に謎を持ち込んできた一人だった。

 なくしたハンカチを見つけてほしい。

 彼女のか細い声。僕は軽い気持ちでその依頼を受けた。

 おばあさんの形見のハンカチ。それはもう大事にしていたそうだ。お守りとしていつもカバンに入れていたものが、その日の朝に見るとなくなっていたという。

 捜査は難航した。薄い絹のハンカチだ。そう簡単に見つかるはずもない。加えて佐久間さんはおとなしく、優しい子で、誰かに恨みを買うなんてこともなさそうだった。

 僕は首をひねった。

 それでも、彼女は胸の前に手を組み、僕を見上げるものだから僕も頑張ってみた。彼女もまた頑張ってくれた。僕と一緒に探偵ごっこに付き合ってくれた。

 彼女の性格、行動、立場を考えて導き出された答えは、家族だった。

 僕の考察はビンゴだったらしい。

 佐久間さんの言うおばあさんは父方の祖母で、佐久間さんの母親とは仲が良くなかったそうだ。娘がそんな義母のハンカチを大事に持っていることに気づいた彼女の母が、それを彼女のカバンから引き抜いていたのだ。

 その後、佐久間さんは家中を探し回り、ごみ箱すら漁ったというのだから、驚いた。あのおとなしい子にそんな行動力があったとは。

 彼女は生ごみまみれのハンカチを発見したようだ。きれいに洗ったそれを僕に見せてくれた。

 赤い花の刺繍が入ったハンカチ。古びて色は落ちていたけど、可憐なものだった。

 彼女は僕の目を見て、ありがとう、と笑った。

 その笑顔が僕の目に張り付いてやまなかった。

 その事件から僕は佐久間さんとよく目が合うようになる。なぜかはわからない。でも、ちょっとワクワクするミステリーで、僕は謎を謎のまま放置していた。

 それがまさかこんなことになるなんて。

 僕は帰宅し、自室のベッドに転がった。目を覆う。

 楽しいミステリーはいつの間にか、どろどろした黒いものに変わっていた。


 なんとなく憂鬱に登校。

 ホームルームギリギリの教室に着く僕。クラスで上がる悲鳴。

 扉を開くと、クラスのムードメーカがほうきを持ち、皆が壁際に集まっていた。

 部屋の中央で奴が飛んだ。

 ゴキブリ。

 また悲鳴が上がった。僕も悲鳴を上げた。

 目に映った佐久間さん。今度ばかりは僕をにらみつけることもなく、宙を舞う害虫を見ていた。その手は胸の前で組まれていた。

 五時間目が終わり、掃除が始まる。

 今日はゴキブリ騒ぎのせいでクラスは妙に浮足立っていたし、僕もまた疲れていた。

 一匹いるところには何十匹もいる。そんな話を聞いたこともあるし、学校なんて温床だろう。また出てくるかと思ったら落ち着きがなくなるのも当然だ。

 ゴミ捨て係に当たった僕は、ゴミ箱に奴が入っていないか不安に思いながら、ゴミ捨て場に向かう。ちらと中を覗く。飛び出してこないだろうか。

 そこで、僕はゴミ箱の中に赤を見た。鮮やかとは言えない少しくすんだ色。見覚えがあった。

 僕は迷いなくゴミ箱に手を入れる。

 目を見張った。それは佐久間さんのあのハンカチだった。

 こんな大事なものがなぜゴミ箱に捨ててあるのだろう。彼女は涙さえ浮かべて、その帰還を喜んでいたのに。

 僕はそれを拾い上げ、ポケットに突っ込んだ。

 自分で捨てたのだろうか。どうしてもそうは思えなかった。

 だが、返すタイミングなどなかなか見つからない。掃除時間も、休憩時間も、僕は彼女にそれを渡すことも、彼女に声をかけることすらできなかった。

 佐久間さんとは相変わらず、ヘンなほど目が合うし、にらまれる。

 洗って帰すのがいいのか、そのまま渡すのがいいのか、それとも佐久間さん自身が捨てたのか。それすらわからなかった。

 放課後、いつもなら直帰する僕だが今日は教室に残っていた、佐久間さんに声をかけるか意気地なく悩んでいたのだ。

 窓辺の佐久間さんを見やる。彼女は鞄を開き、廊下に飛び出した。

 あまりの慌てぶり。きっとこのハンカチだ。

 僕は急いで後を追った。

 彼女が向かったのは視聴覚室だった。

 また逢引か。ハンカチなんて関係ないのかもしれない。

 僕はげんなりして引き返そうとした。中から声が聞こえる。

 ハンカチは?

 佐久間さんの切羽詰まった声。

 捨てたよ。

 吉原先生の声。僕は反射的に振り返った。

 あんな汚いものはいらないだろう? 新しいのを買ってあげる。

 小窓を覗いた僕の目に映った佐久間さんはやはり手を胸の前で組んでいて、そして、震えていた。

 悪寒が走った。僕は気づいてしまったのだ。

 その震え、潤んだ瞳。彼女は今、恐怖している。

 ハンカチを失った時も、ゴキブリが出たときも、彼女は手を胸の前で組んでいたじゃないか。

 つまり、彼女は吉原先生を怖がっている。

 にらむような視線。あれは必死な目だったんじゃないか。どうして今まで気づかなかったんだ。

 あれは彼女のSOSだったんじゃないか?

 佐久間さんと目が合い、にらまれる。その謎が今、解けた。

 この解が間違えでもいい。正解だったら、そうだったら、僕が取るべき行動は一つだ。

 視聴覚室の扉を勢いよく開けた。

「佐久間さん、ハンカチはここにある」

 ポケットからくちゃくちゃになったそれを取り出す。佐久間さんが潤んだ目で僕を見た。僕は当然のように嘘をつく。

「吉原先生、職員室で田中先生が呼んでました」

「そ、そうか」

 吉原先生は気まずそうに視聴覚室を出ていった。僕はそこへ踏み込む。そして、震える佐久間さんの隣に立つ。

「佐久間さん、一つ聞いていいかな」

 彼女は首を縦に振る。

「君は吉原先生のことが怖いんじゃないか?」

 彼女は目を見開き、何度も頷いた。その目からは涙が溢れていた。

「ごめん」

 僕はこぼした。泣きそうになった。 

 あれだけ必死に訴えかけてくれていたのに。あれだけ僕を見てくれていたのに。僕は気づけなかった。

 探偵なんて呼ばれているくせに。自分の無能さに呆れかえる。

 だけど、彼女は言った。

「ありがとう」

 その手はもう、胸の前では組まれていなかった。

 

 それから、僕と佐久間さんは付き合うことにした。吉原先生を彼女から遠ざけるためのカモフラージュだ。

 僕が弱みを握っているからだろう。吉原先生から何かをしてくることはなかった。

 佐久間さんとはその後も何度も目が合った。彼女は僕と目が合うと、まるでいたずらをしている子供みたいに小さく笑って見せた。

 穏やかで楽しい日々を過ごした。

 翌年、吉原先生は別の学校へ赴任することとなった。

 佐久間さんはほっと息をついたようだった。春、やっと彼女に安寧が訪れた。

 よかった。

 そう思った。本当にそう思ったのだ。だけど妙に胸がざわついて。いや、もう僕の役目は終わりだ

 放課後、佐久間さんとの帰り道。僕は切り出した。

「佐久間さん、別れようか。先生もいなくなったし」

 彼女は少し間を置いた後、小さく頷いた。目が合った。

 佐久間さんとやたら目が合う。それはミステリーだった。でも、それは彼女が僕にSOSを送っていたからだ。

 だけど、おかしい。事件より前から、そして、事件の後も、僕は佐久間さんとよく目が合った。何か見落としてる気がする。何だろう。

 一度逸らした視線。だけど、僕の目はまた引き寄せられるように佐久間さんへ。再び目が合う。

 そこで解は出た。

 佐久間さんとやたら目が合う。なぜか。

 簡単なこと。僕がやたらと佐久間さんを見ているのだ。そりゃ目が合うに決まっている。

 僕の顔に血が上る。

 彼女のSOS、そして、事実になかなか気づけなかった僕。そう、僕は皆と同じく感情を通した偏見に捕らわれていたのだ。

 佐久間さんと吉原先生は愛し合っている、そう誤解したあの日、僕は得も言えぬ感情を覚えた。それは嫉妬ではないか? 嫉妬からとんでもない早とちりを起こしたのではないか?

 そこから導き出される解は一つ。

 僕は佐久間さんが好きなのだ。

 今更すぎる答えに僕は足を止めてしまう。彼女はびっくりしたように立ち止まり、僕の顔を覗き込む。

「水城くん?」

「さ、佐久間さん。大変なことに気づいてしまった」

「へ?」

 彼女は不思議そうに首を傾けた。僕はしどろもどろになりながら言う。

「その、解を、聞いてもらっても、いいだろうか」

 佐久間さんはこくん、と頷いた。

 

 あれから何年もたった。

 あの甘酸っぱい青春が懐かしい。感慨にふけりながら、夕飯を用意する。

 インターフォンが鳴った。扉を開く。

「おかえり、里穂」

「ただいま、水城くん」

「そろそろ名前で呼んでほしいな」

 そういうと、彼女ははっと口元を覆う。そんな彼女と目が合う。浮かんだ柔らかな笑顔に僕は幸せを覚えた。

 僕はあの時、君という一つのミステリーを解いてみせた。だけど、また新たな謎が出来てしまった。

 君はなぜ、笑顔一つで僕の心を揺さぶることができるのだ。

 本当に、君という存在はミステリーだ。僕にわかることはただ一つ。

 君ほど魅力的な謎はこの世に存在しないということだ。

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