第五章

第五章 明かされてゆく真実その一

 響子が昔、暮らしていた家に向かう途中、私は耳を劈く音にげんなりした。

 着信音が響く度に碌なことが起きないスマートフォンがけたたましく鳴り、またあのチェーンメールが届いたのかと思って。


「またか、今度はどんな災難を知らせてくれるっていうんだろうな」


「確認して頂戴、恵ちゃん」


 響子に催促されて、やむなく私はスマートフォンの受信トレイを開く。たった今、届いた差出人不明のメールを閲覧すると、案の定、あのチェーンメールだった。

 しかし、今回の内容は災難の予告ではない。それだけが予想と外れていた。

 怪訝に思いつつ、私は書かれていた文章を、響子と真奈美ちゃんに聞こえるように読み上げる。


「気を付けろ。あの男が目的を達しようとしている。時間がない、急げ。お前達の行く先で、すべてが明かされるだろう……? 何なんだ、こりゃ……」


「災難の予告じゃなかったのね。今回のメールは、まるで私達に道を指し示すかのような文章になってるけど、もしかしたら……。もういつも通りのチェーンメールを出す必要性がなくなったとも考えられるわね」


 私に返事を返した響子は、顎に手を当てて考え込む。

 彼女はそう言ったが、これまで出されたチェーンメールの予告が無効になったという保証はない。私は考えを巡らせている響子を見ながら、思う。

 今に至るまで予告されながらも、災いが襲ってきていないのは二件ある。

 一件目は、真奈美ちゃんの自宅に向かった時に送られてきた、私が巨漢の暴徒に日本刀で首を斬り落とされて命を落とすというもの。二件目は、鷹羽探偵事務所に向かう道中で送信されてきた、響子が私の手で殺されるというものだ。

 一件目は別に構わない。どうとでも切り抜けてやる自信はあるからだ。しかし、二件目の予告に私は恐怖を覚える。


「……響子っ」


 私は歯噛みする。私にとって世界で一番大切なものとは、響子に他ならない。あの予告はまだ生きていて、これから私を使って私から彼女を奪おうというのだろうか。

 そんな悪い想像が、頭を過ぎった。否応なく、握り締めた拳に力が入る。

 目線を上げると、外の景色が目に入った。私達が乗る救急車は走り続け、目的地に近づきつつある。病院を脱出してから、かれこれ一時間近く走り続けているのだ。

 真奈美ちゃんの家からほど近い場所にある、M市のベッドタウンの一軒家。もうそろそろかつて響子が父親と住んでいた、その家に到着してもいい頃だろう。


「邪魔だなぁ、あいつら。私達を見つける度に襲ってくるから、車体がもうぼこぼこだよ。騙し騙し走らせてきたけど、この救急車、もう限界にきてるかもね」


 真奈美ちゃんが運転する救急車は、タイヤに奴らの血や肉がこびりついているのか、スピードが落ちてきている。

 このパンデミックの最中にあって、移動手段を失うのは死活問題だ。また別の車を盗んでいく必要に迫られるかもしれない。

 そう考えていた時、ブレーキがかけられ、車体が大きく揺れた。今後のことを案じていた側から、さっそく問題が発生したらしい。


「どうした、真奈美ちゃんっ。何かあったのかっ?」


 言いつつフロントガラスの向こうを見たのと同時、鋭い刃が首の右横を掠めた。

 冷たい汗が、どっと流れる。真横から鋭利な物が救急車の車体を突き貫き、今一歩で喉笛を掻っ切られる所だった。

 よく見れば、これは日本刀の刀身だ。救急車の前方では、道路上に停車した多くの車によって通行できなくなっている。やむなく、急停車する羽目になった形だ。

 更に後方では、暴徒と化した群がる人々によって、救急車が力ずくで横転させられようとしている。集まっている数が数だけあって、凄まじい力だ。

 真奈美ちゃんは無理やりバックしようとアクセルを踏んでいるが、タイヤは空回りして走行できていない。


「上等だよ……っ! 予告通りに、この日本刀で私の首を斬り落とす気だったか? その挑戦、受けて立ってやるよ!」


 日本刀の刀身が引っ込み、間髪いれずにまた車体を貫通させて、私達を襲った。運良く今度も命中はしなかったが、これじゃ海賊が飛び出す玩具のあれだ。

 私はすかさず、日本刀の腹に右蹴りをぶち当てる。だが、かなり頑丈だ。亀裂は入ったが、圧し折るまでにはいかなかった。

 このまま受け身でいるのは、悪手と判断。私はバックドアを開けると、外に飛び出していった。救急車の後ろにいた人数は、数十人。どうにか出来ない数じゃない。


「お姉さんっ。そいつらを蹴散らしてくれたら、また出発するからさぁ。早々にね」


「ああ、響子のことはしばらく頼んだぞ、真奈美ちゃん」


 私はバックドアを勢いよく閉め、右拳を左手の平に打ち付けて挑発した。理性を失った奴らに意味を通じたとは思えないが、儀礼的なものだ。

 私は標的の姿を捜す。すると、救急車の右横から日本刀を手にした大柄の中年男が現れ、私達は向かい合って対峙する。でかい、それが私の感じた第一印象だった。

 目は狂気で血走り、全身を黒い靄に覆われている。目測だが、身長百九十以上はありそうだ。確かに予告されていた暴徒と、特徴は一致している。

 その上、周りではこいつ以外の連中も、攻撃の機会を窺っているのだ。あまり悠長に構えている暇はない。


「私も詳しくはないけど、日本刀の持ち方は素人同然だな。来なよ、私の首が欲しかったんだろ。受けて立ってやるから」


「が、る……お、おおるるろぉああああっ!!」


 いきり立つ中年男は、漆黒に操られるまま、奇声と共に突進。日本刀を振り上げながら、身体ごと私に飛びかかってくる。

 しかし、互いの身体が交差すると同時。軽快な音と共に、中年男は転倒した。

 私の足払いで、足元のバランスを崩したのだ。そして中年男がうつ伏せになって動きが鈍った瞬間、私のスタンガンがその脳天に炸裂した。

 そこへ救急車を囲んでいた連中が、続々と躍りかかり、私を殺そうとする。だが、その攻撃は阻まれた。奴らの身体が一人ずつ、次々に宙を舞っていく。

 拳で奴らをぶちのめしたのは、駆けつけた真奈美ちゃんだった。運転席側から外に出た彼女が、助太刀に現れてくれたらしい。


「もう救急車は捨てた方がいいかもだって、響子さんがさぁ。こっからは走っていくよ、お姉さんっ」


「この混雑した状況じゃ仕方がないな。幸い、響子の実家はもう近い。何とか無事に辿り着ければいいけど」


 バックドアが開き、響子も外に出てきた。その右脇には、あの古本を大事そうに抱えている。

 予告の一つはたった今、覆してやった。それによって、どこかの誰かが呪いをかぶることになったんだろうが、不可抗力だ。罪の意識は勿論あるが、許してくれと謝るしかない。

 今はそのことよりも私の胸中を支配していることは、別にあった。それはこれまで届いたチェーンメールの呪いの予告は、まだ生きていると分かった恐怖だ。

 つまりもう一件の方。私が響子を手にかけるという、信じがたく、そして腹立たしい予告がこれから履行されようとしているのだ。

 あり得ないと思っていても、そうなるよう仕向けてくるのが、この呪い。最悪の結果を考えないようにしながら、私は響子の腕を取って走り出す。


「大丈夫だ、響子。君は私が守るからっ! 絶対にねっ!」


「頼りにしてるわよ、恵ちゃん。か弱い私じゃこんな状況、きっと十分も生き延びられないわ」


 私達の恋愛でいつも主導権を握ろうとしてくる響子が、私を頼ってくれている。愛する彼女の役に立てている事実が、何より嬉しかった。

 その感情は、戦意にも影響していく。道路に乗り捨てられた車の隙間を縫いながら、襲いくる暴徒相手に振るう拳が蹴り上げる足が、いつになく力を発揮した。


「だぁああああっ!!」


 私達は暴徒達を力任せに押し退け、突き進んでいく。殴り蹴って、時にはスタンガンを炸裂させて。そして私は盾となり、響子への攻撃をこの身で受け続ける。

 痛みは気合いで我慢した。そんな繰り返される攻防の中、暴徒を殴り飛ばす度に、ふと考える。今、正気を保った人間は、この街にどれだけいるのだろう、と。

 空から降り注ぐ漆黒の雪によって、人々は暴徒へと変貌。時間と共に正常な人間は、どんどん減っていっている。

 暴徒以外で目につくのは、死んでいるのか、気絶しているのか、道端に倒れて横たわる犠牲者達。逃げ惑う人々も、しばらく前から見かけなくなってきた。

 さながら今のこの街は、地獄から溢れた悪鬼が跋扈する地獄絵図のようだ。まるで現実感が湧かない、非日常の世界。

 私達も、いつあれに憑依されるか分かったものじゃない。実際、あの黒い雪に触れる度に、精神が汚染されていく不快感がある。

 何とか耐えられているのは、私達が強い意思で自分を強く保っているためだ。


「ったく。神経がすり減らされるよ、こんな世紀末みたいな状況はねっ」


 この悪夢の如き事態に終わりは訪れるのか不安に思いつつも、平常心を保ち、私は他の二人を先導して走り続けた。

 目的地までは、後僅か。邪魔さえ入らなければ、十数分もあれば到着するだろう。

 しかし、辺りは暴徒がうろついている。加えて前方の道路を塞ぐ大量の車が、私達の歩みを邪魔していた。


「だったら、こうやって進むまでだっ!」


 私は地面を蹴って、跳躍。車体の上に着地してから、背後を振り返った。そして腰を屈めながら、地べたで私を見上げる響子に手を伸ばす。


「ほら、車の上なら空いてる。こうやって車体の上を飛び越えて進んでいくのが、最短ルートかもね。上がれるか、響子?」


「はしたないけど、仕方ないわね。ちょっと待って、恵ちゃん。今、上るから」


 私に腕を引っ張り上げられながら、響子が車の上に上がりきる。そんな私達の横では、真奈美ちゃんがいともたやすく隣の車に飛び乗っていた。

 そのまま私達は車体の上を次々と飛び移りながら、先を急いでいく。

 しばらくそうして進んでいったが、襲われる気配はない。どうやら好都合にも、理性を失っている暴徒達は車によじ登るという発想がないらしかった。

 後ろを向くと、響子はあの重そうな本を後生大事に抱えて、ジャンプしている。息を切らし始めている姿を見て、私は立ち止まり、彼女に言った。


「貸してくれ、その本。重いなら持つよ、私が」


「いえ、大丈夫よ、恵ちゃん。この本、事件の真相に通じてる手掛かりだし、戦闘要員の貴方の手が塞がることになることの方が、避けたいもの」


「そうか。なら、できるだけゆっくり移動する。無理はしないでくれ、響子」


 私はそう答えると、車体の上の移動を再開する。配慮を欠かさず、響子を安全に護衛しなくてはならない。

 その責任の大きさ。そして空に渦巻く台風から黒い雪が止むことなく振り続ける悪天候が、私をより慎重に行動させた。

 目的地は、もうここから目と鼻の先だ。しかし、危険は極力避けるのが、第一。

 私は周囲に敵の影がないか確認してから、車の屋根から飛び降りた。そして即座に、大通りから外れた横道を目指して走っていく。

 響子の実家は、この横幅があまりない小道を抜けた先にある。あの黒猫に案内されて、私も場所は覚えている。もう後少し、間近の所まで迫っていた。

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